国道156号旧道 福島歩危 序

公開日 2010. 8.31
探索日 2009.11.22

福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。
郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。

「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載


これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。
この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。
東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。

そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。
これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性にとって説明不要と思われる。


こんな恐ろしい場所がかつて、飛騨国白川郷の尾神村と福島村の境の辺りにあった。
そして岐阜県大野郡白川村には、尾神と福島という大字が並んで存在している。
今回はここがターゲットだ。




今回は現地レポートの前に、地形図を見て貰おうと思う。
左の図は明治43年測図5万分1地形図(白山)で、中央を北流する庄川の左岸に沿って、あまり太くはないが「白川街道」と注記された道が通っている。
これが当時は県道であったが、昭和28年に二級国道「岐阜高岡線」となった道の前身である。
図では車道であるかのように描かれているが、実際には昭和20年代に改良が済むまでは、牛馬の通行がやっとだったという(白川村誌)。

そしてこの中から、尾神と福島という地名を見つけて貰いたい。
それぞれ白川街道に沿ってある。
次にその福島寄り、六厩川の合流地点(←この川名を聞いただけでゾクゾクする…)より少し下流の左岸にある、崖の記号が道を挟んで連なっている箇所(おおよそ1km)が、地図に注記はないが、「福島歩危」であった。
ここに、鬚摺睾丸縮があったというのだ。


この地図からは、人影まばらな山峡の小径が、渓谷に沿って細々と続いている光景が想像できる。
だが、私が生きているのはこの時代ではない。
現代の福島歩危を探索するためには、現代の地図が必要である。
続いては、左図から63年後の昭和48年修正版をご覧頂こう。




撃沈…!

福島歩危があった庄川の渓谷は、昭和36年に完成した「御母衣(みぼろ)ダム」によって延々10km以上も水没し、多数の集落が移転を余儀なくされた。
国道に昇格したばかりの白川街道も例外ではなく、15kmあまりが付け替えられていた。

この路線付け替えの実情については、「白川村誌」に収録されている「御母衣発電所建設に伴う補償の要求並びに要望書(抜粋)」より、次の文を引用しておきたい。

御母衣発電所貯水式ダム築造の暁は、現在の山麓の平坦道路は、150m上位の急峻なる山頂山腹につけ替えられ、勾配は堰堤のため不自然となり、谷間の迂回にて長距離に、加うるに海抜高度のため降雪早く解雪はおくれ、しかも積雪多く冬期は約1か月余りも長くなり、交通上重大なる支障を与え、この国道一本をもって交通の重大生命線として依存する本村にとりては(中略)、御母衣より荘川村牧戸まで約15km間に点在する7地域は沈み去るものであり、村民の生活の驚異は実に言語に絶するものがある。

「白川村誌」より転載

このときに湖底に沈んだ道は、地元で「百万円道路」と呼ばれていた。
これは戦前に小牧堰堤を建造する際、流木補償対策として電力会社から岐阜県に支払われた120万円の寄付金をもって建設されたからだが、戦争の影響もあって工事は長らく中断し、ようやく全線開通したのは昭和23年になってからだった。
福島歩危にはじめて通じた自動車の通る道は、たった14年で水没してしまったのである。



もう人類は二度と「福島歩危」を体験できない。

鬚摺も、睾丸縮も、体験できない。


落胆しながらも、さらに新しい現行の地形図と比較していた私は、あることに気が付いた。





昭和36年に御母衣ダムと共に完成した付け替え国道の一部が、早くも旧道になっているのを見つけた。

しかもそこはまさしく、湖底に沈んだ福島歩危の真上ではないか!

ゾクッと来た。

そこは付け替えられてもなお、難所であったということなのか。

この目で確かめる必要がある。




改めて国道156号と御母衣ダムの位置を示した(左図)。

右図は御母衣ダム周辺の全体図で、御母衣湖や六厩川という名前でピンと来た人も多いかも知れないが、自身稀に見る苦闘となった「秋町林道」や「六厩川橋」のそばである。
また探索の時系列順で言えば【この探索】の直後で、【この】2日前にあたる。

当レポートとしては、国道156号と秋町林道が分岐する岩瀬地区からはじめる。
メインは赤く示した「福島歩危」付近であるが、沿道には現役のものを含めて、昭和36年完成のトンネルが沢山あるようなので、さらっとチェックして行こう。

なお、お馴染み「道路トンネル大鑑」巻末のトンネルリスト(これを「日本の廃道」有志の手で「隧道データベース」として再構築した)によれば、岩瀬〜御母衣の区間にある国道の隧道は全部で13本にのぼる。
このうちの数本は、既に旧道になっているはずなのである。





岐阜県大野郡白川村 岩瀬


2009/11/22 正午過ぎ【現在地(マピオン)】

現在地は旧荘川村の中心地だった牧戸の交差点から、2.5kmほど国道156号を北上したところ。
庄川を左に見るが、すでに満水時のバックウォーターは過ぎている。
少し前から沿道の家並みも途絶え、落葉した木々がどこか寂しい“飛騨路”を演出していた。

そんな風景の中に現れた、最初の徴候。

この先の道の険悪を予告する最初の掲示物には、「この先12km区間 トンネル内 すれちがい注意」という文字とともに、トンネル内でトラックが壁や対向車と衝突するイラストが示されていた。
昭和36年という時期に作られた付け替え道路は、既に今日的な国道ではないのかも知れないという予感がした。




そしてすぐに現れた分岐地点。

右は御母衣湖の右岸をゆく秋町林道で、おぞましい激烈な廃道の入口である。
直進するのが国道で、これはまもなく庄川を渡って湖の左岸をゆくことになる。
ちなみに、ダムが出来るまでの旧国道との分岐地点は、これより手前にあったが、森と一体化していて明瞭ではなかった。

ここを直進するとすぐにまた、かすれた文字の掲示物がある。

ここから15kmの区間は なだれ×××× ××して通行してください 岐阜県高山建設事務所×」と書かれているが、現道の標識とは思えないほど閑却されているようだ。
ともかくこれから先はトンネルが狭くて(12km間)、なだれにも注意しなければならない(15km)らしい。




国道が御母衣湖(庄川本流)を渡る地点に架けられているのが、この「岩瀬橋」だ。

これは付け替え国道中第2の長大橋で、「荘川村史」によると全長269.4m、幅6mの3径間下路ワーレントラス(著者注:加えて2径間箱桁)。
使用鋼材量は507tにも及んだというから、山間部の橋としては文句なく巨大だ。

写真は橋を渡って対岸から振り返って撮影したものだが、桁橋としての景観のバランスを欠くくらいに“のっぽ”で、その割に橋脚が華奢に見えるので少し怖い。
というか、御母衣ダムの水位の変動量が、もの凄く高いのである。
現在はほとんど最低水位のようだが、満水になれば印象はまた大いに異なるだろう。

そして、このもの凄い水位変動に耐えなければならない橋脚には、ある秘密がある。




二本の円錐台を組み合わせた門型の橋脚が全部で4本、湖面と湖底から突きだしている。
これらの柱をよく見ると、それぞれ上下に2箇所ずつ、柱一本につき計4箇所の“窓”のような穴が空けられていることに気付く。

この穴の正体だが、「荘川村史」に「この橋の特徴は、ダムの水圧に耐えられるよう橋桁(橋脚の誤りであろう)が空洞にしてある」とある。

ただでさえ華奢に見える橋脚の中身が空洞と聞くと、強度は大丈夫なのかと思ってしまうが、昭和34年の竣功(36年供用)以来立派に水位の変動にも耐えてきているので問題は無いらしい。
また水位と同じ高さで橋脚内部に水が満たされているというのは、水圧に抵抗する最良の策であるのは確かだろう。




橋の上から下流方向を俯瞰する。

御母衣ダムは堤高131mという国内最大級のロックフィルダムで、貯水量3.7億立方メートルの御母衣湖も、国内最大級の人造湖だ。
ここからダムサイトまでは10km近くも離れているのに、水面は広々としている。

それだけに、水没補償問題の解決に難航した事でも、歴史に名を留めている。
前説でも述べたとおり、白川村と荘川村の7地区(集落)が水没し、230戸1200人が移転したが、特に村内最大の平野部を失う荘川村の反対運動は激しく、末期には名前からして恐ろしい「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」を結成していたほどだ。

渇水時のみ現れる眼下の平地には、橋や地名にのみ名を留める岩瀬集落があった。
建物は残っておらず石の畦が見える程度だが、中央を縦貫していた「百万円道路」(旧国道)の跡は鮮明である。




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歩道はないが、どうにか大型車同士でも離合可能な岩瀬橋。その終盤。

左岸の取り付きと同時に急な右カーブがあり、そのままトンネルに突っ込んでいくという、なんとも“昔ながら”の線形だった。
向こうから来るドライバーにとっては、トンネルで暗順応した視界に飛び込んでくる急カーブと、まぶしい橋という取り合わせだ。
またトンネル前は日蔭になりやすく、冬場などは橋の上とともに凍結しやすいだろうから、危険度は倍加するに違いない。

個人的にはこの道路状況だけで丼1杯はイケルが、加えて私の大好物であるところの各種警告標識、掲示物群が現れたもんだから、もう…

みなぎってきた!!




岩瀬橋を渡ると即座に隧道。
御母衣トンネル群の先陣を切る「岩瀬一号トンネル」であるが、これは敢えて「トンネル」と呼びたくない雰囲気がある。
そして、トンネル直前にはさらに多数の掲示物が!

一番目立つのは、「この先22km区間トンネル内注意 高さ3.5m 幅4.3m」の大きな標識。
冒頭でもトンネルの狭さに対する注意書きがあったが、ここに来てそれがより具体的な数字となって現れてきた。
幅4.3mで2車線というのはかなりきつい数字で、大型車同士の離合は困難だが、センターラインもトンネルの直前で途切れていた。

あと細かいことだが、先ほどから「12km→15km→22km」と、危険地帯を示唆する数字が“うなぎ登り”なのが、なぜか楽しい!!(← キャ〜ヘンタイ!)




モエ〜!

矢印の数だけ“注意”があるが、これを全て文章にすると次のようだろうか。

「トンネル内に右急カーブがありますし、道幅も狭いですし、道幅も狭いです(大切なことなので二度言いました)から、大型すれ違いには注意してくださいね。あと、高さ制限は3.5mで、高さ制限は3.5mなので(大切な ry)注意してくださいね!」

全く健気なものであるが、確かにこの岩瀬橋から岩瀬一号隧道に連なる道路線形は、現実の交通量に対して余りに脆弱だ。(この道は岐阜と富山を結ぶ幹線であり、通行量は決して少なくない。)






リストによると、この岩瀬一号隧道の長さは103m。
幅4.7m、高さ4.5m、昭和36年の竣功とされる。
照明はあるがこの日は点灯していなかった。

あと個人的には、この側壁が平で天井が扁平な断面を見ると、それだけで昭和30〜40年代のダム関係と分かる気がする。
鉄道用のトンネルと違い、道路のトンネルに規格があったのかは分からないが、少なくとも電力会社が係わっているトンネルには、このような形をしたものが極端に多い気がするがいかがだろうか。
例えば、かの「奥只見シルバーライン」の数多あるトンネルは、皆この形ではなかったか。

次回は現役を貫くモエモエのトンネル群を突破し、いよいよ最初の廃道へ。
果たして、アレは縮み上がるのだろうか?




ちなみに今回のレポの写真は、最初の3コマは同日早朝に撮影したもので、その次の4コマは翌日の夕方に撮影しました。
一貫性が無くて申し訳ないです。

…つうか、ミニレポじゃないのに俺が出て来てガッカリだろ。