国道156号旧道 内ヶ戸歩危 第2回

公開日 2009. 9.22
探索日 2009. 4.30


トンネルを抜けると廃道だった。


こんな書き出しの文学作品があったら読んでみたいだろうか。


このシチュエーションは色々な意味で象徴的であり興奮を覚えるが、文学を語るにはいささか土臭すぎないだろうか。
やはりここはオブローダーの世界だと思う。


この先は、「内ヶ戸歩危」(うちがとほき)と呼ばれる“難所”であった。
「歩危」は字の如くの危険地帯を現す方言地名で、白川村誌は村内4つの代表的な歩危を挙げている。

福島歩危、平瀬歩危、内ヶ戸歩危、下田歩危だ。

内ヶ戸村名義は、此村東方白川激流高岸に臨みて住人家にて、岸にそひて通ふ路もなければ、三方嶮しき山の包み周らしたる故、内之處と名づけしなるべし。然る村故に、南方飯島村の下田へ出るにも、北方椿原村へ出るにも、嶮難の山路を、上りつ下りつ、打越て通ふを、内之處歩危と言て、諸人いといと苦みて、福島歩危にもかはらぬ難所なりとて、越中城ヶ端歩荷も、此嶮路を避て、曲渓の四十八瀬を渉渡して、美濃国へ往来することなり。
『斐太後風土記』より引用(『白川村誌』所収)

土地に慣れた歩荷(ぼっか)たちでさえ避けたという内ヶ戸の難所は、現在椿原ダムの湖底に沈んでいるはずである。
だが、おそらくはその直上に付けられたであろう旧国道もまた、“車危”とでも言うべき危険を強いた。
結果、狭隘で線形も良くなかった「馬狩橋」の架け替えと絡め、開通から20年足らずで現在のルートへ切り替えられたのだ。

今回は、この内ヶ戸歩危にて、最善を尽くす!




内ヶ戸歩危 緒戦


2009/4/30 15:18 《現在地》


で、

気付いたときにはもう、

ここにいた。

この崩壊現場は、青と白と黒が主役の、美しい現場だった。
恐怖を感じるよりも先に、自らをその場に置きたいという衝動に駆られた。

だが、そのような激情に従うだけならば、私はとうに故人である。
半ば身を委ねながらも、咄嗟に身軽になるくらいの冷静さは有している!




というわけで、今回は自転車とリュックを、まとめて大放出だ!!

彼ら無くして本来の「旧道巡り」は出来ないが、身重のままこの「歩危」斜面に挑むことのリスクは、湖面へドボンという救われない結末を予感させたうえ、上手く目前の難場を突破できたとしても、崩壊箇所はひとつではない可能性がある。(予感と言っても良かった)

また自己分析すると、私は最初で引っ込みが付かない場合、無理に最後まで行く悪癖があるのである。
ここは、冷静である今の内に、最大限に身軽になっておく必要があった。
そして、「どうせ最後は戻らねばならないのだ」という“楔(くさび)”を、ここに打ち込んだのである。

今回に関しては、この決定のおかげでかなり気分が救われたと思う。
いつでも引き返して良いのだから、それが半ば許されなかった過去のいくつかの探索に較べれば、楽。


私だって、学習しているのだよ。




忘れちゃイケナイ。
隧道を離れる前に、南口の扁額チェックである。

 ???

扁額には、北面と同じく「内ヶ戸第二号隧道」と刻まれている。
しかし、その下にも何か、別の扁額が納められていた痕跡がある。
それは一回り以上も小さく、文字が書いていたとしたら、路上からは読み取れないくらいだったかも知れない。

これまでも2つ以上の扁額を持つ隧道を見たことはあるが、その場合は大きい方に隧道名、小さい方に竣功年を書く場合が多かったと思う。
今回は残念ながら不明であるが。




それまでは平凡な旧道であったのが、一本の隧道を介して突如廃道に変貌するという状況。
しかも隧道内からという限られた視界を、全て埋め尽くす崩壊斜面が出てきた衝撃は、自身のこれまでの経験と比較しても計り知れないものがあった。

だが、今身軽になって、冷静に斜面と対峙してみると、これはさほど大騒ぎするほどの危険斜面では…これ以上は敢えて言わないが…、とにかく、見た目ほど通行は難しくないと感じた。

同じ傾斜角のコンクリート斜面と砂山の比較で考えて欲しい。
一見は前者の方が足元も安定していて横断しやすそうだが、実際には後者の方が遙かに墜落の危険が少ない。
砂や目の細かい砂利のような斜面の場合、踏み込むと自然に崩れる分だけ足も埋まり、重心も低くなるし摩擦係数も大きくなるから安定するのである。




というわけで、「こけおどし」は言いすぎで、しかも実際に踏み込んで事故が起こると困るので言わないが、この斜面は意外に難しくなかった。

一瞬、自転車とリュックを取りに戻ることも考えたが、結局この先にも別の崩壊が有る予感は変わらないし、後で戻ってくるにしても安全な道を2kmほど歩くだけで済むということで、身軽なまま進むことにした。

写真は、二号隧道南面に面した大崩壊現場の後半部分だ。
これを過ぎると、一旦路盤の高さへ下ることが許されるようだ。
本来の舗装路面の復帰は、あまり期待できなさそうだが…。




本当に怖いのは、こっちだ。

僅か数十メートルの平穏区間を挟んで、案の定、第一弾に勝るとも劣らない崩壊現場が現れた。

大方の人は最初の斜面の方にインパクトを感じると思うが、より怖いのは明らかにこっち。
草が生えているということは、崩壊から時間が経っていると言うことで、それだけ斜面は堅く締まっている。
そして、生えているのが木ならば手がかり足がかりとして十分だが、痩せ草ではむしろ危険だ。




リュックはともかく、自転車を持ち込まなかったのはこの時点で正解と判断できた。

ただでさえ堅く、足の埋め込みが十分取れないこの斜面では、姿勢制御と草付きを利用したバランス制御が重要である。
自転車は上半身がいちじるしく不自由になるから、このような斜面では非常に危険である。


…と、今さらな事を言ってみる。

ほんと、地面が固い斜面は、大嫌いだ。




隧道から200m弱進んだか。
地図で見ると、2本の隧道の中間の湖岸が“くの字”に凹んだ先端辺りまで来ている。

写真はそこで振り返って撮影。
水の色があまりに青くて毒々しく見えるのは、同じ湖面上に「馬狩橋」を見ていたときとは別の印象だ。
あのときの湖面はあくまでも美しいだけの背景だったが、今のそれは、油断すると致命の害をなす敵であるという認識のためか。




二度の大崩壊を過ぎ、再びの平穏ゾーン。

もっとも、この法面を見ていただければ一目瞭然だが、次弾は既に装填されている状態だ。
あとはもういつトリガーが弾かれても不思議はない。

現役当時からこんな亀裂だらけの法面であったのかは分からないが…、この状態で一切の補強工が施されていないというのは、“明治の馬車道”と何ら変わるところがない。
自己責任で通るような道だったのだろう。




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この旧道部分、最近人が出入りしている様子はない。
そのことも、「この先にも大きな崩壊が有るのではないか」という予感を強くさせた。


壁に描かれた謎の文様。

「内ヶ戸・保木国有林」の林班境界標。未だに「国道敷地」と書かれている。
それにしても、「保木国有林」である。歩危ではあまりにえげつなかったか。





しかし、今のところ路面状況は安定している。
道幅も、一応は2車線幅だ。
そして、行く手はやや右へカーブ。
おそらく、あの先には…。

舗装を隠す浅い土壌には、ウドが良く生えていた。
ウドは山菜素人の自分にも簡単に食べられるイメージがあって、すごく採りたくなる。
だが、やっぱり探索中に山のものを採る時間は惜しいから、素通りする。





いまのところ、オブローダーだけに許された眺め。


とは、いささか言いすぎだが、

現道からでは決して見ることの出来ないアングルで、ダムと橋のコラボを撮影できる。






あっ





15:33 《現在地》

約20分前に【一度見た】隧道である。
坑口前では、瓦礫と笹藪と灌木が三つどもえの勢力戦を展開しているから、夏場はおそらく見通せなかっただろう。

果たして、この隧道は無事に抜けているのだろうか。
まだ銘板を確かめてはいないが、「内ヶ戸第一号隧道」で間違いないだろう。
湖に突き出た小半島を穿つ隧道である。
隧道よりも半島の先端側にはやや広い杉の植林地が広がっているが、いずれ伐採するときには道も甦るだろうか。





最近、私が廃道で予感したことって、


もの凄い頻度で当たるんです…。