国道17号旧道 二居峡谷 第4回

所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町 
公開日 2007.10.15
探索日 2007.10. 8

 「白崩れ」への接近

 宿場から廃道へ 


2007/10/8 14:24 

 三国大橋と地王堂橋を相次いで渡る。
いずれも現道の二居大橋が開通する以前には老朽化が進み、しかも狭隘で不便がられていた橋だと言うが、今日、三国大橋は立派な橋に架け替えられ、地王堂橋も交通量が減ったせいか特に狭くは見えない。

そして、写真のT字路に差し掛かる。
直進が旧道及び三国街道であり、左折は二居トンネル開通後から二居大橋開通までの旧国道である。

また、右手の2階建ての木造建築は…。


 二居宿の本陣を務めていた富澤家である。
近年まで旅館営業を続けていたようで、いまも屋号を記した看板などが残っている。
ある程度建て増しされてはいるようだが、江戸時代に参勤交代の諸大名が駐泊したという本陣らしい、立派な建物である。
湯沢町の指定文化財になっているようだ。

さらに、同じT字路の斜向かいには…



 道路元標が残っていた。
道路元標に関しては今さら説明は不要かも知れないが、大正時代に制定された旧・道路法によって設置が義務づけられていた、各市町村における道路の起終点を示す標柱である。
そのサイズや意匠も決められていたので、全国各地に同様の石標が残っている。
ただし、現在の道路法では設置義務がないため、また起点終点も道路元標とは無関係に決められているため、かつては全国に一万基以上有っただろう道路元標はどんどん失われている。
この道路元標は、それぞれの市町村の役場の前、もしくは最も重要な交差点に設置されることが多かった。
三国村は明治34年から昭和30年までこの地に置かれた村だが、江戸時代の本陣が、明治・大正と村役場の役割を果たしていたのだろうか。

いずれにしても、傷や欠けの目立つこの標柱が、旧道を長く見守り続けていたことは間違いない。



 二居集落は典型的な山村で、小さな盆地の底にこじんまりと家々が集まっている。
ほんの少し進むと、あっけなく家並みは途絶え、道は砂利道に変わった。
遊歩道になった二居峠への三国街道を右に分かち、スキー場の跡らしい草の斜面に沿って緩やかに森へ近づいていく。
斜面を見下ろすと、大河のように悠然と盆地を貫く国道が見えた。

 ひとつ、二居集落で予想外のトラブルがあった。
それは、私が車に財布を忘れてきたことだった。
水分の補給をしたかったのだが、残り少ないペットボトルの水で凌がねばならなくなった。
まあ、この雨だしさして不安もないが。いざとなれば…“野聖水”だ。




 森へ入る直前、道ばたの草むらの中にお馴染みの水準点標識を見付けた。
だが、肝心の水準点の石標自体は見あたらない。
写真にそれっぽく写っているのは、それっぽく立てられた自然石に過ぎない。
大正時代の地形図にも、この水準点は描かれている。
これより奥にも、旧道に沿って何基かの水準点が描かれていたが、道が廃止されると共に、点も現道沿いに移っている。
この水準点は、旧道沿いに残された唯一の物である。



 14:33

 本当の意味では、ここからが始まりか。
森の中へ、えらくイイ感じの道が始まってやがる。

だが、ここまでは砂利が敷かれていたから気付かなかったが、轍は随分頼りない。

 いざ、NYU=ZAN!







30秒で







廃道!





やってくれるぜ…。





 想像以上にあっけなく道は藪に包まれた。
すなわち、廃道である。
刈り払われていないだけの道という感じもしたが、いやいや、進むにつれ倒木の頻度も増えてきて、しかも、全く最近に人が通った気配もない。

これはやっぱり、廃道である。
ここまで早いとは、 ……やばいな。
まだ、撤退地点までマルマル3km以上のこッてんぞ…。

なお、この辺りで二居トンネル坑門直上を横切るが、両者は50mほど離れていた。



 うわ…

これは、かなり萌えるし燃える風景…。

本当にまだ、誰も導き入れてなさそうな…、そんな廃道である。
30年間、ただ私が来ることだけを待っていたのではないか。そう錯覚してしまう。

 とはいえ、チャリ同伴でこれ以上疲労を濃くし、危険を倍加させる理由はもうない。
チャリは棄てていこう。ここに。
どうせ、ここなら簡単に現道から戻ってこれるから。生還した後でじっくり回収すればいい…。

 14:39 チャリ放棄!



 チャリをそっと横たえ、身軽になって歩き出す。
だが、私が枷を棄てたことと釣り合いを取ろうとするかのように、藪が一層深くなった。
この調子で、この先が楽な展開になるとは考えにくい。むしろ、今にまた“生き死に”に関わる場面が現れ始めそうだ。
私は、ここで背負ったリュックも棄てて、最大限身軽になることを決意した。
チャリを棄てたと言うことは、必ずここには戻ってくると言うこと。ならばリュックも不要だ。
大きめのポシェットに残り僅かの水と携帯食を移し、リュックの方は小さなモミジの木の陰に…。

 14:40 リュックも放棄!



 集落からも現道からも遠ざかり、路肩はいよいよ険しさを増し(写真右:立派な岩垣である)、もはや私の行く末を見守るものなど無いかと思われた頃、谷の対岸の尾根の上に、送電線とは違う、何か巨大な索道のようなものが見えてきた。

 地形図にも描かれているので、これが何かは直ぐに分かった。
田代ロープウェイという、観光用ロープウェイである。




 しかし、この日は運休しているのか、一つもゴンドラは見えない。
全長2174m、高低差612mのロープウェイは、最高地上高230mという日本有数の高さを通過するそうだが、灰色の雲の中へ登りながらフェードアウトしていくワイヤーを見ていると、観光用の物とは思えぬ、何かうすら寒いものさえ感じてしまった。

 或いは、今の自身の心境を、その姿に重ねていたのかも知れない。



 そして、入山から約10分、300mほど進んだこの辺りから、いよいよ道自体が崩れはじめてくる。
前方右手に現れたススキの大群などは、古い土砂崩れの跡を埋めるようにして成長した物である。
また、この一連の旧道のうちで最も標高が高いのはこの辺りである。
二居集落から+30mほどで、海抜は860m附近。この時点ではトンネル内にある現道よりも高い位置にあるが、やがては現道を仰ぎ見るように落ち込んでゆく。



 一つの崩壊が引き金となり、隣り合った斜面が相次いで崩れ落ちたのか。
急激に道は荒廃の度を深くした。
無理してチャリを連れてきても、結局この辺りの何処かで断念させられたであろう。
写真には、緑に覆い隠されてはいるが、道を総なめにして一様の斜面に変えてしまった古い崩壊地形が捉えられている。

 チャリを置いてきたのは正解だったが、リュックまで置き去りにしたのは、気持ちの上でマイナスだったかも知れない。
チャリもリュックも、愛着と言えば安っぽいが、まあなんというか、私のこれまでの無事を見守ってきた物ではある。
特に、滅多に手放さないリュックについては、何故今回こうも易々と置き去りにしたのだろうか、背中の慣れない涼しさと共に、私は微かな後悔を感じていた。



 「いつもと同じが、ちょうどいい。」

これは昔のCMか何かのフレーズだと思うが、私の探索についても当てはまると思っている。
普段から頻繁に“生き死に”の絡んだ廃道を歩くとなると、その「普段通り」であることが意味を持ってくる。
私はいままで、山で大きな怪我や、本当に救援が必要なほどの進退窮まれる大ピンチに陥ったことは無いが、それとて、「思いのほか不運でなかったから」に過ぎないと思う。
「あのとき、ああだったら死んでいたな」と言う場面が、幾つも思い浮かぶのだが、幸い今の私がある。
日常での私のくじ運はかなり悲惨だと自負しているが、こと廃道上に限っては、幸運とまではいかなくても、有ってはならないほどの不運に涙を呑んだことは稀なのである。

いつもと同じように事が運べば、今回も私は無事に生還を叶えるだろう。

…しかし、このいつもと違う肩の軽さは…。  


そんな不安を、感じずにはいられなかった。




 驚異の石垣!  


 14:14 【現在地】 

現道が開通したのが昭和37年だから、いまから45年前。
少なくとも、そのときまでは普通に車が通っていたはずの道。
その現状は、ご覧の有様だ。
至る所で法面が崩壊し、その一つ一つの規模が例外なく大きい。路上を2階建てくらいの高さで埋める崩壊が随所にある。

そして、そのような崩壊地の中でもおそらく特別な存在なのだろう…、現役当時にわざわざ「白崩れ」と名前が付けられていた場所は、おそらくそう遠くない。
現在地を正確に推し量る術はないし、しかも唯一の頼りの地形図にも「白崩れ」なんて書いているわけはないのだが、大きな土崖の記号が記された谷が迫っている。

先ほどは反対側から進行し「赤崩れ」には辿り着けず、その前衛と思しき崩壊で撤退を余儀なくされた私であるが、今度こそ、“名のある崩れ”を見たい!
見て、そして出来ることなら、突破したい!!




 斜面を乗り越えて先へ進むと、自然と路肩に目がいった。
別にわざわざ近づく必要もなかったのだろうが、何となく、ものすごく切り立っているのではないかという予感があったのだろう。
こう言うとき、人は必ず覗き込みたくなる。
怖い物見たさという奴だ。

そうして近づいた路肩に、私は白いチラりを見てしまう。
怖々路肩から首を半分くらい中空に投げ出して、足元を見ると、そこには白いチラリが。
下は霞んで見えるほどの垂直の崖に、石垣が組まれているようなのだ。

私は、どうしてもその全体が見てみたくなった。




 ビクビクするなら無理しなきゃ良いのに…

傍目から見たかきっと情けないへっぴり腰だったろうが、私は道からちょっとだけ崖に張りだした、木の根の塊にいくらかの土が載っているような“半島”に、身を置いた。

案の定、そこから見下ろす谷底は、高いなんて言うものではなく…

  ──高かった。

谷底まで100mはあるだろう高さに怖じ気づきながらも、肝心のチラりを確認すべく、振り返る。

 す る と …。





 うわー! スゲー!


って言っても、おそらく伝わらないので、文章で説明したい。

哀しいかな、これ以上カメラを引くことは出来ないし、視界を邪魔する枝を寄せる度胸もない。
ウィンクして写真を見ていただけると、いくらか立体感は増すと思うが、何が凄いのかは分からないだろう。

石垣は足元から左側に向かって、路肩に沿うように3mほど続いている。
そして、その垂直に組まれた石垣が、2mくらい下で空洞になっている!
空洞になったまま、数十メートル下の斜面に落ちている。
ようは、この一見しっかりしていそうな路肩が、全く全く、お笑いのような強度だろうと言うことだ。
多分今は木の根か何かで辛うじて保っているのだろうが、間違っても踏んではいけない。
そんな感じだ。

 ああ! 良い写真が撮れなくてもどかしい!!
…そうだ! 
動画ならば、立体的にこの姿を伝えられるかも知れない。
そう思い立ち、私はここに立ったままカメラをまわしてみた。
興奮のせいか、いつも以上にナレーションが馬鹿っぽいが、許せる自信があるなら見て欲しい。そして、少しでも私の興奮が伝わるなら嬉しい。



【【ガクブル! 奇跡の石垣!】】


 さらに進む。

今度は、谷底から小さな谷が這い上がってきて、道路の下を潜っている。
このような場面が最も突破困難の崩壊地となりやすいだけに、前方に谷があると気付いた瞬間には、撤退の悪夢が再来したのだが、幸い、橋が生き残っていた!

写真中央に黒く影になっている一角があるが、そこが橋の橋台である。
そこより手前の、一杯に草と土砂を戴いた路面は、すなわち橋桁である。

欄干は完全にへし折られ、埋め込まれていた鉄筋がグニャリと曲がった姿で露出していた。
せいぜい長さ5mくらいの単純なコンクリート桁橋で、親柱があったのかは分からない。
余りに風化し、しかも地形と一体になってしまっているために、橋だと気付かず通り過ぎるところだった。



 橋の山側は、谷の堆積物や崩土が隙間を埋めており、ミニ扇状地のような地形になっていた。
これも、橋の存在に気付きにくかった理由である。

それにしても、高くて急な斜面である。
地形図を見れば、この斜面は一挙に二居峠のある尾根に上り詰めている。
天辺に1057mの標高点を持つ頂があるから、ここから200m以上も登ることになる。
霧か或いは雲により、上部は霞んで目が届かない。



 無名の橋を越えると、道は嘘みたいに大人しくなった。
300mほどの区間が極めて荒れていたのだが、久々の“甘やかしゾーン”であろう。

降り急ぐでもなく、止むでもなく、小粒の雨は静かに降り続いている。
現道をしばらく走るうちに一度は乾きかけた合羽も、再び雨粒が浮くようになり、いまは動く度にそれを散らしている。

首に巻いたバスタオルは今回からの新アイテムで、従来はタオルを巻いていたのだが雨で直ぐにびしょ濡れになり、デジカメの水気を取る役割を果たせなかったことを反省しての投入だった。
今のところ、良く活躍している。



 順調に100mほど距離を上乗せし、二居の外れから1kmほど来たかという所で、景色に変化があった。

行く手に明るさが満ちてくると共に、路幅がいきなり2倍くらいに広がったのである。

崩れて失われていた路幅が、ここから先は元に戻ると言うべきか。
その堅牢そうな路肩の正体は、意外なことに、近代的なコンクリートの擁壁だった。



 ご覧の通り、それは平凡な造りのコンクリートの擁壁であり、しかも相当の規模がある。
山側へ向け弓形にカーブする形になっており、そこそこ大きな谷を横切るような形になっているのだろう。
しかし、その途中に橋や暗渠、水抜きのようなものは見あたらない。
そう言う意味では平凡とは言わず、「平板」な擁壁かも知れない。

ともかく、これは意外性のある発見だった。
ここまでの道では全くコンクリートの擁壁は無く、全て石垣によっていたし、この道が車道として産み落とされた時期ははっきりしないものの、年代的にもおそらく無いだろうと思っていた、そういう景色だ。


 この堅牢な擁壁の出現により、道は安泰となったのであろうか。


そう信じたいが… 先ほど見た明るさは、何故か不気味だ。

そして、この不相応に立派な擁壁は、何かに備えたに違いないのだ。

   何かに……


















遂に現れた、名のある崩崖!
意外にも、岩肌一つ見えないが…