秋田峠という県名を冠した大層な名は、どういういきさつで生まれたのだろうか?
今の私には、分からない。
しかし、比較的新しい名であることは間違いない。
昭和初期までは、この地を通り、南秋田と北秋田の両郡を繋ぐ道は主に二つあったという。
いずれも、藩政時代から続いてきたみちで、ヤマ(阿仁などの鉱山)とハマ(食)とを結んできた。
急峻さゆえ、車両交通という時代の欲求に応えられなくなった二つの峠道が、新たに拓かれた道に、その役目を譲ったのは、昭和の中ごろのことである。
忘れ去られた峠の名は、「黒森峠」に「笹森峠」。 いまでは、深い森に消えた。
そして、新たに誕生したのは、県の名を冠した峠であった。
そして今日、その秋田峠にも、二つの道筋がある。
ひとつは、昭和56年開通の秋田峠トンネルを主軸とした、現国道である。
今日も、この道の県交通における地位は高まるばかりであり、特に観光シーンに於いては、最も重要な一本である。
それだけに、この道は県内有数の整備状況を誇り、上小阿仁町内の小田瀬大橋などは、まさに白眉たる近代道路建築物である。
そして残るもう一本の道は、その影にひっそり残る。
秋田峠の名をはじめて戴いた道は、いまでは旧国道となった。
ある場所では生活道路として生き続け、また、ある場所では、死が近づきつつある。
2002年晩秋、いや、秋などは無かったこの年。
一足飛びで冬が訪れたかのような、突然の大雪の朝、私はこの道に立った。
そこには、己の命を削る試練の道が待っていた。
滅多に見ることは無い、廃道の雪景色、嫌になるまで、見て頂きます!!
今回のレポート、どの部分から書き始めるか、かなり迷いました。 結局、峠の直前といってよい、富津内地区からはじめることにしましたが、わたしにとって、この日の旅は秋田峠越えという目的より、国道285号線の旧道を一気に片付けようという気持ちが先に立っていた。 ゆえに、この富津内地区にいたるまでも、片っ端から、それこそ、飯田川町の和田妹川三叉路からずっと、旧国道をあさり続けて来た。 もう、この富津内では、寒いのは当たり前としても、濡れた足先の感覚が失われてくるほど私の体は、『出来上がって』いたのです。 前置きは以上にして、峠越えを志し富津内に立ったところから話を始める。 付近の積雪は20cmほど。 一夜にしてすべてを覆いつくしたドカ雪も、時折雪が舞う生憎の天気では、夜明けからはだいぶ経つのに一行に減っていない。 むしろ、少しずつ高度を上げるにつれその積雪は増してゆく。 写真の場所は、富津内中津又の富津内稜線林道起点である。 前方の雪山にこれから挑むのだが。 この時点で旧道など諦めるべきでした…。 |
雪のため通行が出来なくなった歩道を捨て車道を走る。 車幅いっぱいまでしか雪が退かされておらず、大型車がひっきりなしに通行する中、早速命の危険を感じる。 しかも、途中何箇所も工事のための片側通行が敷かれており、繰り返される大型車の容赦ない幅寄せに嫌になる。 そんな状態のまま、機関部に重い氷がこびり付き負荷の増したペダルを、黙々と漕ぐ。 いくつもの集落を、時には旧道を交えながら越えてきて、そろそろ、最後の集落。 そこに、この滑多羅(なめたら)温泉はある。 が、さっさと素通りである。 |
右側にバス停と、転回地。 ここが、五城目側最奥のバス停であり、川堤の名がある。 一日2本しかバスは来ない。 | |
バスの終点を越えてさらに進む。 すると、まもなく左側に2軒ほどの大きな民家が見えてきた。 この小さな集落の中を通るのは旧道であり、すぐに現道に合流すると思えたが、立ち入ることにした。 ここで問題発生。 雪が深い! これまで、積もったままの雪の中を走る場面は無かったが、この旧道には轍が無い。 写真にはうっすら轍が写っているが、これはすぐに消えた。 自走が困難! 苦しい! 当たり前のことで当たり前のように泣き言を言う私。 積雪の中チャリは無理だということなど、百も承知ではなかったか!? すぐに現道に戻るとは知っていても、引き返せない私。 突入! | |
見えていた民家に最接近。 ここが川堤の集落に間違いはなさそうだ。 夏場に通ったときには気がつかなかったが、既に廃村と化しているようだ。 まだまだ現役と思えるしっかりした造りの家屋だが、玄関先の新雪にはまったく足跡がない。 電線も通っているのに…、無人。 なんとも、肌寒い景色である。 まだ生活の匂いも感じられたせいか、正直、並みの廃墟より、気持ちが悪かった。 | |
さらに進むと、もう一軒の無人と思われる家屋を過ぎ、小さな橋を渡る。 国道時代にはこんな玩具みたいな小さな橋が利用されていたのかと思う。 写真は橋を渡ったところで振り返って撮影。 私の刻んだシングルトラック。 …寂しい。 この寂しさは、この先、断続的に、しかも次第に大きくなって、迫ってきた。 雪の峠を越えるまで、言いようの無い寂しさ、心の芯に突き刺さるような“寒さ”と戦わねばならなかった。 冗談でなく、雪山は怖いものだと、思った。 こんな、民家の軒先で、もう、そう思った。 | |
橋を渡ると、さらにもう一軒の民家が見えてきたが、人の気配はないようだった。 現道には一箇所も残っていないようなきつい上りで、現道に合流する。 この上りが曲者で、ここまで平坦な道は何とか漕いで進んできたのだが、ここでギブアップ! たった数十メートルだったが、雪に足を沈め、チャリを押した。 たった、たったこれだけで、チャリを漕いで峠を一つやったくらいに疲労したように思った。 なれない押し、しかも足首までの雪の道はしんどい。 これは、私に嫌な予感を感じさせるに十分すぎた。 まさか、この先の旧道のどこが、除雪されているというのだろうか。と。 しかし、実際自分の目で確かめねば、引き返すわけには行かない。 前進あるのみであった。 |
再び現道に戻ると、秋田峠五城目側の特徴的な景色、直線上りの真っ只中であった。 夏場なら、茹蛸の如く全身真っ赤に火照りあがるこの上りだが、この日、体の何処にも、少しの温かさも感じなかった。 このときの、車載コンピュータの指示す気温はジャスト0度。 しばし、現道を進む。 | |
このとき、山チャリストである私にとって、もっともつらい現実が、すぐそばまで迫っていた。 以下、次回! |
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