7:26
現在建設中の甲子トンネルに続く甲子大橋の袂。
これから、踵を返し下流方向へと新道を下っていく。
振り返ると、そこはトンネル。
トンネルの名は、安心坂トンネル。
約900mもあるトンネルは、1995年に甲子道路として初めて開通した区間(第一工区L=5883m)の終端部である。
トンネルは緩やかに蛇行しており、出口は見えない。
坑口脇には、トンネル情報表示用の電光掲示板があり、珍しい「トンネル内作業中」と表示が出されていた。
いろいろと教えてくださった親切な守衛さんに一礼して、安心坂トンネルへと漕ぎ出す。
この先の新道は、全線が緩い下り坂であり、黙っていてもどんどんスピードが出る。
長いトンネルの内部から、入口を振り返る。
そこには、下り車線用の「左折注意」の表示が点灯していた。
これは、トンネルを出ると即座に直角カーブで甲子温泉へと下る為だ。
将来的に甲子大橋が開通すれば、ここの表示は無くなる代わりに、「トンネル出口交差点注意」などの標識が設置されるようになるだろう。
この安心坂トンネル。
先ほども述べたように約900mと長いのだが、それ以上に長く感じた。
そして、その原因が分かった。
地図上では別々に描かれている、一つ隣の縞石トンネルと連接されていたのだ。
途中に窓付きのコンクリートスノーシェード区間があり、ここで二つのトンネルが一つになって、安心坂トンネルとなっている。
故に、総延長は1100m近くになっている。
そして、
トンネルを出た私の目の前には、
異様な光景が広がっていた!
異様
この景色にふさわしい言葉は、平凡であるがこの言葉しかないだろう。
まさに、トンネルを出た先に待ち受けていた景色は、異様 そのものであった。
道路人生27年、いまだかつて、見たことのない光景が、そこにはあった。
二つの、トンネルが、並んでいる。
と言ってしまえば、新旧のトンネルが並ぶような景色を想像するが、この異様は、その二つのトンネルがいずれも真新しい物に見えること、そしてなによりも、
手前の貫通していないトンネル坑口が、すでに貫通している奥のトンネルの進路を、大胆に妨害している点にある。
奥のトンネルは、どう見ても既設の物である。
路面には、アスファルトが敷かれ、やや掠れた白線すら見える。
さらに、坑口には扁額が設けられ、「石楠花(しゃくなげ)トンネル」と言う洒落た名前まである。
そして、事実このトンネルは、前回も紹介した『3ケタ国道放浪記』管理人様他、開通後多くの人が通っている、そのトンネルに間違いはない。
進入することが出来ればすぐにでも確かめられるし、頼りなさそうなゲートが目の前にあるだけで、すぐにでも入れそうに見える。
しかし、ここにも、職務に忠実な 守衛の姿があった。
いま、リュックを背負った私が、おもむろに入れてくださいと言っても、その答えは目に見えている。
チャリで強引に突破すれば、おそらくいったんは内部にたどり着けるだろうが、そこで終わりになるだろう。
私は、かつて新聞で読んだ
ある事件の通りだとすれば、この目の前のトンネルよりもむしろ、その奥が気になるのだ。
私は、立ちつくしていた。
それは、明らかに挙動不審だった。
守衛が私に気づき、明らかに訝しそうな視線を向けているのが、痛かった。
私がいる石楠花トンネルと、安心坂トンネル(縞石トンネル)との間隔は、わずか100mほどしかない。
そして、石楠花トンネルが通行止めとなっているために、再び国道の往来は迂回させられている。
この迂回路がどこに通じているかと言えば、勘の良い読者ならお分かりだろうが、前回紹介した、旧道縞石橋の袂の分岐に、おおよそ700mの急坂で連結しているのだ。
この間の道も1車線の曲がりくねったもので、途中には無線機を持った作業員が工事車両と一般車の往来を調整している。
甲子トンネル工事の全車両が、このルートを通って現場へと向かっているのだ。
私は、石楠花トンネル内部へ進入する術を、これ以上守衛の監視の下で捜索することを諦めた。
地図上からも、この石楠花トンネルは400m程度あり、地形的にトンネル外斜面を経由して迂回できるようなものではない。
正面突破は無理。
そして、背面突破も、無理だった。
残るは…。
ここで、この道に何が起きたのかを説明しよう。
私が、この事件を知ったのは、2003年4月1日の福島民報をWEB上で見た事による。
県南地方と会津地方を結ぶ交通の難所で、改良工事が進められている289号国道(通称・甲子道路)の西郷村内の供用区間で、地下の地層の一部が地滑りを起こしていたことが9日までに分かった。県は整備済みのトンネルと橋それぞれ2カ所を廃止、31億円を投じて新たにトンネルを建設し代替ルートを確保する方針。道路改良事業の計画路線すべてが完成する前に地滑りで路線を変更するのは極めて異例だが、県は「計画段階で必要な調査はしていたが、大雨による予想できない災害によるもの」としている。
(福島民報2003年4月1日刊より 筆者一部抜粋)
私は、かつてこのニュースに触れたとき、甲子峠などと言うすぐには行くことも叶わぬ遠方の事でありながら、鮮烈な印象が残った。
そして、忘れまいと、今日までずっと、テキストファイルに保存していたのだ。
ニュースは、さらに続く。
重要な部分をさらに抜粋して以下に述べる。
地中で地滑りが起きていたことが分かったのは西郷村甲子地区の石楠花トンネル付近。昨年7月に台風6号が通過した際、トンネル内のコンクリート壁に多数の亀裂やはく離が見つかった。ボーリング調査の結果、雨水の浸透で路面の地下約70メートル付近の地層がずれ、地表付近の地盤が約3ヘクタールにわたってひずんだことが分かった。
当初はトンネルの壁を強化して再開通することも検討したが、ボーリング調査の結果からこのまま道路を使うことは危険と判断。地滑りの影響がなかった南側の山中に代替ルートを設けることにした。代替路線の大部分は全長900メートルのトンネルとし、きびたきトンネルの内部と縞石橋の東側を接続するルートを想定している。
(福島民報2003年4月1日刊より 筆者一部抜粋)
本稿でお馴染みの地名が、新聞記事に次々と現れてくる。
破壊されたのは、今私の前で異様を示している「石楠花トンネル」であった。
代替ルートは、最初に現地で名前の出てきた「きびたきトンネル」の内部(!)から分岐する新トンネルだという。
すなわち、既設トンネルの内部から分岐して、代替ルートを確保するというのだ!
これだけでも、相当に衝撃的だ。
だが、衝撃の記事は続く!
総事業費は約31億円で、国の災害復旧事業に採択されたことから事業費は全額国費で賄われる見通しだが、30億円近い工費を投じて整備した石楠花(349メートル)、片見(66メートル)の両トンネル、第1片見橋(63メートル)、第2片見橋(63メートル)を含む600メートル区間は廃止となる。
(福島民報2003年4月1日刊より 筆者一部抜粋)
キタ!
来た!来た!来た!来た!来たーー!!
これを、来たと言わずして、なんと言えばいいのか!!
来てます。来てます。来まくりやがってます!!
いま目の前にある石楠花トンネルだけではなく、その先の1トンネル2橋、合わせて600mもの区間が、たった平成7年から平成15年までの8年間利用されただけ、しかもメインのトンネルが開通し新道全体が開通することすら待たず、廃止になるのだという!
なんつー、熱さだ!
さあ、どう攻めれば良いのか。
これはもう、たとえ作業員に取り押さえられてでも、石楠花トンネル、片見1・2号橋、片見トンネルを見たい!
しかし、強引に突破したのでは、写真を確保して皆様にお伝えすることは叶わないだろう。
ここはやはり、隠密行動(潜入)が必要なのだ。
となると、考えられるのは…。
地図を見ると、旧国道から新道へと伸びる工事用道路は、二本ある。
一つは、今私の足元から旧道へと下っていく舗装路。
そして、もう一つ、描かれている。
しかし、ここまで来る途中、気がつかなかった。
本当に、そんな分岐があったのだろうか?
疑問を感じながらも、もはや工事区間内に潜入するためには、この道しかあり得ない。
新旧道は高低差がおおよそ100mあり、闇雲に斜面にぶつかっても登り切れるとは思われない上、殆どがトンネルで構成された廃止予定区間にうまくぶつかる自信はない。
7:50
ここだった…
地図上では、確かにここに分岐がある。
旧国道に入って間もなくにあった2段の九十九折り。
その付け根に、分岐は確かに描かれているのだ。
しかし、見てのとおり、俄に道の存在を信じられない有様。
たしかに何か痕跡があるのは分かるのだが…。
ここの新道工事って、1980年代から始まったものと記憶しているが、ここまで自然に還るものか?!