8:53
旧道のこの場所から、前に見える橋の架かる小谷を遡ることで、廃止区間へとアプローチすることにした。
持参していた地形図から、殆ど唯一の接近ルートと思われた場所である。
そして、この特異な接近については、準備も抜かりはなかった。
まず、チャリを路肩に放置することはかなり違和感があり、場合によっては事故などに巻き込まれたものと心配されてしまう恐れがある。
それを避けるため、敢えてチャリをガードレールの外に運び、寝かせて木陰に隠すことをした。
次に、この写真のカーブの先は、ちょうど甲子トンネルの工事車両誘導員が待機している場所であり、斜面へ取り付く姿を見られてしまうことになる。
これを避けるため、道に架かる小さな橋を潜って、登るべき小谷にアプローチすることとした。
現地でも何度も地形図を確認したが、きびたきトンネル〜石楠花トンネル間の何処かへアプローチしようとしたときに、この第一片見橋へ接近するルート以外には、思いつかなかった。
それ以外の場所はトンネルばかりで、もう一カ所候補となり得た第二片見橋は、地形図で見る限り、余りにも険しすぎる。
それでは、最終接近を開始する。
まずは隠密行動であるために、旧国道の橋を潜って、片見沢に取り付く。
水は、殆ど流れていなかった。
このルートは路上の交通整理員に発見される可能性は無いはずだが、それでも、かなり緊張し胃がきりきりと痛んだ。
別に、路外の山林に入ることは咎められるようなことではないのだが、私のトレッキングリュックを背負ったなりはでは、ちょっと山菜採りだなどという言い訳は通用しそうにない。
結局、狙いがばれて阻止されてしまう恐れがある。
このルートを失敗すれば、もう他は考えられないのだから。
橋をくぐり、速やかに旧道からの死角に身を隠す。
そして、登るべき行く手に眼差しを向ける。
頭上には、甲子温泉へと続く水管を渡すための小さな橋。
その先には、高さ5mほどの砂防ダムが遮っている。
かなりの急斜面で谷は続いているようだが、目指すべき新道は、まだ全く見えなかった。
砂防ダムは、その周辺がガレており乗り越しにくかったが、上に向かって左側をやや高巻き気味に乗り越えクリアした。
ダム上から旧道を見下ろす。
甲子トンネル工事のダンプが1分に一台くらいの非常に頻繁なペースで、そこを往来していく。
しかし、ここまで来ればもう、旧道から発見される恐れはほとんど無くなっただろう。
すこし、気持ちがほぐれた。
しかし、今度は地形という強敵が、私を緊張させるのであった。
砂防ダムの先、谷は、ますます急峻に立ちはだかった。
地形図からは、新道までおおよそ100mの高低差が予想されていた。
水平距離では150mほどしか離れていないので、その角度の急さたるや容易に想像できた。
さしあたって、谷は二股に分かれていた。
そのどちらも楽では無さそうだが、ここは右を選んだ。
右の谷は、いよいよ牙をむいた。
しかし、岩がごつごつとしているお陰で、なんとかへばり付いてクライムすることが出来た。
もう、強引によじ登っていくしかなかった。
工事用と思われる白いシートが、引っかかったまま垂れていた。
まだ、行く手に橋は見えない。
しかし、果たしてどのような橋が現れるのか、楽しみで仕方がなかった。
こんなに興奮したのは、久々だった。
シートの岩場を乗り越えても、また次の岩場が立ちはだかった。
しかも、今度は高い。
無装備では直接登ることは困難に思え、向かって右の土の斜面を、一歩一歩へばり付いて高巻いた。
この谷を登れば、いくらか視界が開けそうな予感がした。
いくら濡れても壊れないカメラ「現場監督」とはいえ、レンズに付着した滴や曇りを取り除かないことには、鮮明な像が結べなかった。
しかし、もはや濡れていない場所が自身になく、拭き取ってやることが出来ない。
みっ見えた!
木々の向こう、見上げる位置に、僅かだが、薄水色の鋼鉄の躯体が見えた。
現在建設中の新道は、この辺りでは全てきびたきトンネルを分岐延伸させたトンネル区間となるので、ここに見えた橋は、間違いなく、廃止区間のものだ。
私は、喜びに震えた!
と同時に、猛烈な緊張感が私を支配した。
全神経、とくに聴覚を研ぎ澄ませて橋の上に集中した。
それは、「この橋(おそらく第一片見橋)に工事車両が通っていないか」、というチェックだ。
私の予想では、きびたきトンネル〜片見トンネル〜石楠花トンネルの廃止区間は、今回のきびたきトンネル工事の工事車両が通らない、放置部分であるはずだった。
祈るような気持ちで、橋の上に神経を集中させた。
振り返ると、そこには谷の切れ間に小さくアスファルトが見えた。
旧道である。
山の中での音の聞こえ方というのは面白いもので、下の道を通るダンプの音も、まだ遠いうちは、まるで上から聞こえてくるかのように錯覚する。
「ヤバイ、上の橋に車が通っているのか…」そう焦っていると、次第に音は地中を通るように移動し、最終的には、谷底から聞こえてきて、また遠くなっていくのである。
ただ、よく考えればこれは不思議でもなんでもなく、石楠花トンネルより先では、ダンプも新道を通っているのだから、山を越えて音が届いてきていると言うことなのだろう。
しかし、この現象のために私は何度となく、落胆と安心を繰り返すこととなった。
それを10回も繰り返しているうちに、一度も上の橋からは車の音がないと言う事態に至り、私は、とりあえず自身の成功を期待できるようになったのだった。
直接橋の上に出るのではなく、まずは橋脚の下に接近するのが、安全かつ容易な接近ルートと思われた。
それで、橋の真ん中にある橋脚の一つを目標に、斜面を一気に登り詰めた。
ここも、手懸かりに乏しい土の滑りやすい斜面で、難儀させられた。
そして、いよいよ橋の全体像が見えてきた。
第一片見橋は特に変わった構造ではないが、その特異な境遇を考えれば、こうして見上げているだけでも、特別な感情がわき上がってくる。
廃道にはとうてい見えない、立派で、そう古く無さそうな橋。
それが、廃道になるのだ。
いや、もう廃道なのかも知れない。
さっきから、ただの一度も車や人の通る気配はない。
きびたきトンネル一つを挟んだ、さきほどの剣桂橋の喧噪とは、まるっきり違う。
接近するほどに、次々と新しい景色が見えてくる。
私の興奮は、今にも絶叫となって漏れ出しそうだったが、そこはぐっとこらえた。
それどころか、まだ緊張は解けておらず、藪を掻き分けるのも音を立てぬよう、注意した。
写真は、第一片見橋の上流側袂の様子。
橋が直接トンネル、片見トンネルに通じているのが見える。
あのトンネルなどは、まるっきり下界から隔絶されることになるのだろう。
こんなにアツイことは、そうはない。
9:14
第一片見橋の幾つかある橋脚のうちの一つの下には、ご覧のような平坦でかつ乾いた、居心地の良い場所があった。
私は、ここで約5分間、休んだ。
ここまでの危険な斜面での緊張、そして、それよりも遙かに大きかった、「いけないことをしている」事への緊張。
私は、時間を掛けて緊張をほぐし、次のステップ。
橋の上への移動を、万全の体制で行おうとした。
これで、最初に橋を見つけてから、すでに10分以上、誰もこの橋の上を通るものはなく、工事の音もここまでは届いていない。
橋は、静かだった。
行けると思う。
9:19
行動を再開した私は、この頭上の第一片見橋の上流側(片見トンネル)と下流側(きびたきトンネル)のどちらへ先に行くかで、まず選択を迫られた。
決断は、上流。
まずは、片見トンネル、そしてその先の、そもそも廃止の原因となった石楠花トンネル内部へと、接近することを決めた。
橋は、片見トンネル側へと長く続いていた。
先の新聞報道によれば、この橋の全長は第二片見橋と全く同じ63m。
私が最初に辿り着いた橋脚は、その片見トンネル側から40mほどの地点であったと思われる。
袂へと接近するためには、急な斜面をへつって進まねばならなかった。
一歩ずつ橋の袂へと接近していく。
と同時に、橋との高度差も埋まっていき、今にも、橋の上の路面が、見えそうになってくる。
遂に、数時間求め続けた、廃止区間が、手の届く場所に。
私の動悸は、再び速くなった。
橋の欄干が間近に迫る。
初めて、橋の上が見えた。
そこには、やはり往来はなく、停まっている車なども見当たらない。
完全に、フリーかもしれない。
子供のころ、野山での陣取り合戦で、敵陣へと裏をかいた接近を試み、そしてもくろみ通り敵陣に全く守りがなかったときの、あの喜びと一緒だ。
あーもう、はち切れそうだ!
9:24
あと、もう3歩で、欄干に手がかかる!
藪の向こうには、大きなトンネルが迫っている。
片見トンネルだ。
いよいよ、緊張の一瞬!
防衛線突破!
クリアだ!
遂に、私は隠された廃止区間。
その中心、片見トンネルへと、アプローチに成功した!
第一片見橋を振り返る。
橋の上には、人の気配はない。
しかし、この橋の端を隠している藪から身を乗り出し、橋の向こうにあるきびたきトンネルをちらっと見た瞬間、私は全身の血が凍り付くような緊張に襲われた。
きびたきトンネルの中には、煌々と灯りが点っていたのだ。
それは、本来のトンネルのナトリウム灯ではなく、工事車両の灯りか、あるいは誘導灯なのか、もっとカラフルな光だった。
そして、かすかだがトンネルからは工事の槌音が、聞こえていた。
現在工事中のきびたきトンネルから、片見トンネルは、丸見えの可能性があった。
次の一歩、踏み出すべきなのか…。
やめるべきなのか…。
ここまで来たら答えは、決まっていた。
もはや、自分に都合の良い解釈しかなかった。
橋の一部を隠している、この藪が、きびたきトンネル内部から私の姿を隠してくれるはずだ。
そうでなくとも、作業現場からここまでは100m以上も離れており、人の姿が確認できたわけでもない。
灯りが見えただけだ…。
行くべし! 行くべし!!