道路レポート  
一般国道340号線 押角峠 最終回
2003.8.17



 岩泉駅で一夜を明かした私は、始発列車より早く駅を発ち、概ね岩泉線の鉄路に沿って旅の終点、茂市へと向かっていた。
途中最大の難関であった押角峠を攻略し、究極のしょぼい駅をも目撃した。
残すは、新里村の道中20km足らず。
引き続き、鉄路に沿って国道340号線を南下してゆく。

<地図を表示する> 

押角地区
2003.7.18 7:47
 押角駅前には、駅前たるに相応しい、奇妙なオブジェが存在している。
タイヤで形作られたそれは、目立ちはするが、決して待ち合わせ場所にはしたくないムードを、そこはかとなく醸し出している。
あえて、今回そのオブジェは公開しないので、興味のある人は是非、押角へ!(笑)

さて、押角駅を出発すると、国道は刈屋川の渓流に沿っての緩やかな下り坂だ。
霧雨のちらつく中、やや肌寒さを感じつつも、快調にペースを上げて茂市を目指す。
途中、廃屋らしき一軒の民家が森の中にとり残されるように建っていたのでシャッターを切ったが、うまく映っていなかった。
これが、失われた押角集落の姿と思われる。

 国道は岩泉町で分岐して以来、この辺が最も狭い。
決して不可能ではないだろうが、このままではバスによる輸送が難しいというのも頷ける。
それでも、舗装は新しくなっており、ちゃんと手はかけられている様子だ。

それにしても、この写真に写る標識…。
一つ一つは、おなじみのものであるが、この組み合わせって…?
どーいう意味なのー??
さっぱりわからん。
和井内集落
8:08
 やっと、まとまった件数の民家が現れた。
おもえば、峠の前でもこれほどの民家を見たのは、国道455号線との分岐があった浅内以来である。
距離にして約15キロあまり、時間にして2時間以上の、ほぼ無人の旅路であった。

この集落内にはまだバイパス的な道が無く、国道も狭いまま集落内を通り抜けている。
そこには、なんと、驚きの発見が。
それは、写真に写る小さな小さな橋である。
 なんと、竣工年度は大正15年9月である。
あと三ヶ月で年号が昭和に変わるという時期だ。

なかなかお目にかかれない大正竣工の橋がこんな辺境に、いやむしろ辺境だからこそというべきなのだろうか。
いずれにしても、思いがけない発見であった。

 しかも、この橋、遠藤橋というのだが、立派に国道の現役橋として利用されている。
まるで用水路のような小さな小川に架けられた、幅4m、高さ2m、長さ4mほどの控えめな橋であるが、状況はよく、これからも末永く現役であり続けることを期待できそうだ。

 和井内の集落内で、国道は刈屋川を渡り、鉄道と同じ右岸に進路をとるようになる。
この橋も一見して古そうで、銘板によれば、昭和36年の竣工である。

しかし、この先に次々あわられた、現役の古橋の前では、この程度“新橋”であった。

 和井内集落には岩手和井内駅があり、岩泉線の途中駅では最大の人口稠密地である。
そのおかげで、ここから茂市までの区間に限っては、通勤通学に即した始発列車が運行されている。
この時刻、既に一往復の列車を、和井内駅は迎えた後である。
一方で、山の向こうの岩泉駅発の始発列車は、今さっきやっと駅を発ったばかりであり、今頃はまだ浅内付近にあるはずだ。

ちなみに、写真は本文とは関係ありません。
中里集落
8:22
 道はますます緩やかになり、辺りにも断続的に水田や民家が現れる。
国道を通う車も多くなり、生活の中を走っているという感じが強くなった。
ここは、岩手和井内の次の駅「中里」のある、中里集落である。

ここに架けられている栄橋は、昭和10年1月の竣工。
大体、押角峠の改修と時を同じくして新築された橋ということだ。
この橋が変っているのは、親柱のみが現在の橋から逸脱して放置されている点である。
どうやら、近年になって橋台は昔のままに、橋桁のみを改築したらしい。
以前の橋のほうがやや広かったということなのだろうか?


 合計4本の親柱全てが現存している。
そのうちの一本には、路線名が記されていた。
それによれば、『県道 岩泉街道線』。
同路線が『宮古岩泉線』と呼ばれていた時代があることは、押角峠関連の資料から知ることができるが、この呼び名は初めて見るものだ。

 我々田舎県民にとっては別に珍しくも何ともない光景だが、都会人からは、秋田の”ばばへらアイス”並に奇異に映るという、野菜の無人販売所。
ちなみに、ここは一束100円。
無人といったら、本当に無人なので、お金は勝手に置いてゆく。
まさに、お客様を信用することで成り立つ商売だといえる。
 この中里集落の中ほどより刈屋バイパスが対岸に伸びており、茂市までを短絡している。
旧国道は村道に降格しており、再び静かな道になった。

このあたりでは、最も岩泉線と(旧)国道が接近しており、ご覧の倉の沢橋(昭和17年7月竣工)などは、鉄道のプレートガーター橋と仲良く隣り合って渡る。

刈屋集落
8:48
 旧国道は続いて刈屋の集落に入る。
ここには、岩手刈屋駅がある。
ちょうど私がここを走っているとき、岩泉発の始発がコトンコトンと小気味の良い音を響かせながら、田んぼの向こうをゆっくりと滑っていった。
もちろん、1両編成であった。

結局、これが私にとって今回の旅で唯一の岩泉線の目撃となった。


 旧道のさらに旧道が、小さな橋を通していた。
写真左に写るのがそれで、山桑橋、昭和12年3月という筋金入りの古橋である。
 これも集落道として立派に活躍しており、なんかうれしくなった。
おもえば、昨日から相当に走ってきたが、期待以上に多くの収穫があった。
秋田県内以上に、古い橋も隧道も大切に利用され続けている印象がある。
それが、岩手の県土の広さであり、その山深さを象徴しているのかもしれない。
あるいは、県民性なのかもしれない。
そういえば、秋田県は県民一人当たりの美容室の軒数が日本一多いとか…。
見栄っ張りなんだとも言われておりますな。
たしかに、秋田では目立つところに古い物は無い気がするな、あんまり。
茂市
8:55
 そして、やっとか到着。
新里村の役場があり、国道106号線との合流地点でもある、そして、今回の旅の終着駅だ。
ちょうど、16時間くらい前にも一度通った茂市の町中をさらりとながし、茂市駅を目指す。


 労せず発見、茂市駅だ。

茂市は山田線と岩泉線の分岐駅でもある。
駅構内は広々としているが、ホームで待つ人影はまばらで…、というか、私だけ。
でも、駅員さんがいて、ここから一気に秋田駅までの乗車券や、それだけでなく、盛岡から秋田までのこまち号の特定特急券まで買えたのには驚いた。
ただ…、20分以上掛かったけど。
まあ、思っていたよりも時間に余裕があったので、ちょうど良い暇つぶしにはなった、かな。
 山田線が入線。

これから約2時間を掛け、90kmほど離れた盛岡まで列車はゆっくりと閉伊川を遡る。
その大半が、昨日散々駆けずり回った国道106号線沿いだ。
さっそく思い出が一杯詰まった景色と対面できるのは、嬉しい。

 特定特急券なんて、手書きだよ。
はじめてみたよコレ。
コレを盛岡駅と秋田駅の改札で見せるの、少し緊張した。
でも、全く問題なく通れたんで、茂市駅の年配の駅員さん、どうもありがとうございます。

結局、4時間近い車中はずっと寝てました。

こうして、生まれてはじめての三陸チャレンジを無事終えました。
岩手の山の奥深さ、道の奥ゆかしさを、たっぷりと堪能した1.5日間でありました。





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