道路レポート  
国道343号線 笹ノ田峠 旧道
2004.7.29


 

 岩手県内陸の水沢市と沿岸南部の陸前高田市とを結ぶ北上山地越えの国道が一般国道343号線である。
途中大きな街は通らず、坦々と農村地帯の小さな峠を乗り繋ぐ道のりで、道中の最高所が海抜450mたらずの笹の田峠である。
この笹の田峠を語る上で欠かせないのは、岩手県内では2例目となるループ橋だ。
地形を生かしたゆったりとしたループは、あらゆるレベルのドライバーと同乗者に楽しみを与える、素晴らしい道と賞賛される。
しかし、そのループを中心とした現道が完成する以前の道は、もう忘れ去られたかのようだ。
多くの地図からも、抹消されつつある。

古くは今泉街道上の峠として内陸と沿岸の交易の舞台となった歴史の道。
笹の田峠に、いま再び静かな時間が流れている。
もう、二度と峠に賑わいが戻ることはないだろう。

旧道の今を、レポしたいと思う。


陸前高田市 矢作町
2004.5.19 11:06


 陸山高田市の国道343号線起点から、笹の田峠を越え最初の市街である大東町との間の距離は、現国道利用で約30km。
そのうち、実際に山を上り下りするのは10kmほどで、他は長閑な農村風景が続く。
今回のレポは、峠区間よりは手前の陸山高田市梅木地区から始める。
ここからは、南の飯森峠を越えて宮城県気仙沼市に至る主要地方道が分岐しており、この先が実質的な峠区間といえるだろう。
峠の登りはまだ少し先だが、早くも興味深い旧道が現れ始める。
写真は、県道分岐点のすぐ先に現れる梅木トンネル。
川沿いの旧道が、ここで右に別れる。



 この矢作川の蛇行部はトンネル一本橋2本で貫く現道は、1985年の開通である。
わずか400m足らずのミニバイパスである。
旧道は例によって蛇行に沿って迂回していたが、今ではすっかり旧道となっている。
川沿いには集落もなく静かだが、舗装されていることが幸いしたのか、走りやすく整備されている。
もう少し行くと、意外な景色に天を見上げることになる。


 蛇行も半ばを過ぎたあたりで現れるのが、この巨大な岩盤である。
現在の道は川を埋め立てて作ったらしい安全なインカットをしているが、旧道敷きは凄まじい場所を通っている。
この大岩盤、全くの無名ではなく、古い地図には「仙婆巌」と三つ星マークで紹介されていたりする。
以前は、例えばこれから向かう峠の向こうの大東町の景勝地「猊鼻渓」や一関市の「厳美渓」のような観光地だったのかも知れない。
いまでは、直前までの良く整備された旧道と、危険と判断され放棄された片洞門、そして目を瞠る巨岩が残っているばかりだが。
まだまだ周囲の山並みも穏やかなこの地に、よもやこの様な景観が現れるとは、軽く先制パンチをもらった。


 意図的な盛り土によって封鎖された岩下の道。
しかし、極力景観を失うまいという配慮なのかは分からないが、その盛り土も低く、自転車ならば容易に乗り越えられる。
片洞門となる区間は、僅かに10mほど。
しかし、その乗り掛かりぶりや、岩盤の重々しさ、特に上部断面の柱状節理の味わい、そしてそこに存在する空洞の容積など、本家片洞門に勝るとも劣らぬ部分もある。

この巌を削って道が開かれたのは、おそらく今泉街道と呼ばれていた時代であろう。
近代であれば、川を埋め立てて道路敷きを用意したりとか、或いは現在のようにトンネル化しただろうと思われるのだ。




 巌には、片洞門の部分の上方に深く抉れた岩屋がある。
この高さ20mにも及ぼうかという大空洞は、果たして崩落による物なのか、或いは採掘などによる物なのか、はたまた、上部から岩盤を削り取って豪快に道を通そうという試みの名残なのか…。
色々と想像の尽きぬ空洞である。
仙婆巌という名も、由来を是非知りたいとおもう。
お仙ばあさんが住んでいた岩山という意味なのかな?




 振り返って全体像。

なかなかに凄まじい形相である。
まるで水墨画だ。
そして、こうしてみると、洞門がなんとも大胆に基部を貫いている事にも驚かされる。
現在は通行を禁止している洞門部分が何となく危険なのは素人目にも分かるが、もし大規模な崩落が起きれば、脇の迂回路も無事ではあり得ないだろう。

密かに私の地図に「お気に入り」登録された、仙婆巌を後にする。




 間もなく現国道に合流し、一旦旧道は終わる。
1985年に完成したトンネルだが、それ以前は巌の下を潜っていたのだろう。
乗合バスも往来しただろうし、かなりアツイ景観があったに違いない。
(現道もなかなかに興味深いトンネル進入をしているが…橋からモロ岩盤に突入だぜ)





 一度は消えた旧道が再び現道から別れるのは、500mほど進んだ山崎大橋の手前である。
ここから再び旧道は小さな集落を幾つも繋ぎながら、矢作川左岸を行く。
なお、この集落内で生出川と中平川が合流し、以下、矢作川として海を目指す。
国道はこの先、中平川に沿って進むことになる。

この旧道まわりは、旧家の散在する景色で、旅情を駆り立てられることしきりである。
無論、集落には欠かせないニャーもいる。
私が背後から近づくと、その気配を感じつつも私を見つけられなかったのか、下半身を異様に低くしたまま硬直していた姿が、印象的だ。
私は、大概のんびりと走っているから、そんなにビックリすること無いのにな。




 実はこの旧道区間1600mほどの大半は、一般県道246号線に指定されており、旧道の途中から北に別れて住田町へと長い山越えとなる。
この道は走ったことがないが、この日は土砂崩れによる全面通行止が敷かれていた。
かなりの隘路なのかも知れない。
とりあえず、その分岐点の傍に消えかけた白看があったのを見つけた。
白看が立てられた当時には、まだ峰越部分は無かったのか、行く先は手前の「生出」となっていた。

ムードの良い生活道路を走り抜け、再び現道に重なる。
だが、まだまだ峠ではない。


中平〜坂下
11:29

 中平町を過ぎると、脇を流れる中平川も一旦渓流らしい景色となるが、幾らも行かぬうちに、再び集落が現れ出す。
まずは、川の名になった中平集落だ。
この集落では、現国道は旧道とは田圃一面を挟んで山際を走る。
1車線の狭い旧道が、集落と農地を縫うようにして、約500m現存する。
この景色、峠前を感じさせる良い雰囲気だ。
くたびれた警戒標識は、岩手県内の旧国道では非常に良く残存しており、この道でも例外ではない。
秋田県とは冬季の積雪の量が決定的に違うのも、その理由だろうか。



 まもなく旧道は中平川を渡る。
特に変わった橋ではなく、昔ながらのコンクリと鉄パイプのハイブリッド欄干である。
橋の前後でS字屈曲をなしており、とても現在の交通量に対応できる道ではない。




 親柱は全て現存しており、保存状態も良い。
銘板は存在せず、直接親柱に陰刻された橋の名は、「締切橋」。
地名に由来するわけでもない、変わった名だ。
また、竣工年は、昭和五年十二月と読み取れた。
予想以上の古橋であった。
大切に使われているようである。
なお、写真奥に見えるのは橋に平行して渡された水道管だ。






 一度は現道に呑み込まれるが、またすぐに分岐する。
坂下集落にて、旧道は再び右だ。
集落の名は、峠直前をイメージさせるが、まだこの先にも集落が存在してる。

ここも迷わず右に入る。
初めて走る道は、まず旧道から通るのが、私のセオリーである。
いちいち地図を確認しているわけではないが、現道にある構造物の様子や、橋梁の竣工年度などを注意深く見ていけば、そこが旧道改良なのか、新設なのかは、大概分かるという物だ。
この道などは。集落部になるとその度にミニバイパスが現れるというパターンがあり、分かりやすい。



 またも、中平川を渡る。
造りは先ほどの締切橋に似ているが、親柱はより簡素なものだった。
一般に古橋の佇まいは、どこか神社に似ていると思う。
石を多用した造形が、そう感じさせる物か。

さて、この橋、確かに読み取れたはずなのだが、不覚にも橋名を失念してしまった。
しかし、これだけはしっかりと記録されていた。
驚きの、竣工年である。



 本橋は、昭和ではなく、大正十三年十一月竣工である。
親柱には、そうはっきりと刻まれていた。
秋田県内では見たことがない大正竣工の橋である。
失礼ながら、一帯は地方都市近郊の農村地帯、国道343号線にしても地方交通の道という印象だが、古来より交易の道として栄えた今泉街道の影響が、このような邑地には過ぎたる永久橋を早い時期にもたらしたのかも知れない。

太平洋沿岸と日本海沿岸とでは、こと交通に関しては、おそらく十年近い開きがあったのかとも、思われる。
秋田が、遅れていただけか?
(秋田県内では本格的な道路永久橋は、昭和五年頃にやっと現れている)




 そして、また現道にぶつかると、区間初めてのトンネルが現れる。
坂下トンネル、昭和五十三年の竣工だ。
100mにも満たないトンネルは、無照明である。
この部分にも、左手川沿いにUの字型の旧道が通っている。
意外にまともな旧道を通り、トンネルの向こうで合流すると、いよいよ勾配が一段きつくなる。
旧道峠の入り口は、近い。



下小黒山
11:43

 さて、陸前高田で太平洋に注ぐ中平川の最奥集落は、上小黒山といい、今居る下小黒山の1kmほど上流にある。
今泉街道時代、峠前の駅として栄えたのも、その上小黒山である。
しかし、昭和になり初めて車道が笹の田峠を目指した時、上小黒山は街道沿いの集落から下ろされ、行き止まりの僻地となった。
上小黒山から笹の田峠は近いが、圧倒的な高度差があり、当時の技術力では、この高度差を埋める車道工事が出来なかったのである。
それをループ橋というウルトラCで解決したのが、現道である。
旧道は、この下小黒山で中平川や集落に別れを告げ、峠への登りに取りかかるのである。



 旧道は、写真の分岐点を右だ。
この直前にも、旧道敷きを利用したロードサイドパークがある。
特に旧道の入り口を示す案内はなく、この段階では私も、たかだか海抜450m程度の小峠だろうと侮っていた。
せいぜい、蜘蛛の巣に苦しめられる程度かな、と。

だが、狭いが舗装されている旧道に分け入るとすぐに、異変に気がついた。



 舗装は確かに現存するし、入り口には一切の遮蔽物がない。
それなのに、新しい轍が無い。
路上には、舗装を割って雑草が繁茂しかけている。

まだ峠までは、全て旧道を利用した場合には、8km程度ある。
標高は高くはないが、距離は遠い。
なんとなく、嫌な予感がした。




 幅3m程度の崖沿いの細道。
舗装されていなければ、林道と大差ない。
法面は、ほとんどが岩肌のまま。
ガードレールの白さが浮いている。

道は、上り始めから100mで、急激に藪化したのである。
一体この先、何が待ち受けているのか。
大ループ橋のパノラマは、果たして我がものとなるのだろうか?

不安まみれのスタートラインに、今立った。







その2へ

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