道路レポート  
国道343号旧線 鳶ヶ森峠 前編
2004.4.15



 国道343号線は、岩手県の陸前高田市と水沢市を繋ぎ、岩手県を東西に縦貫する路線の一つである。
この路線は、北上山地を通過する為に、途中で峠を幾つも超えていく。
そのうちでも、岩手県内で初のループ橋となった笹ノ田峠は比較的知られた存在である。
しかし、東山町と大東町との間に横たわる鳶ヶ森を越える国道は、長らく整備が遅れ、酷道の名を、欲しいままに…してきてもいない。

なんていうか、存在自体がマイナーな峠道なのだ。 山地が多い割に、比較的碁盤の目状に道路網が発達した南北上山地では、敢えて、この道を越える必要性は薄かったのかも知れない。

しかし、遅ればせながら、平成7年には2本のトンネルを中心とした鳶ヶ森道路が開通し、酷道としての面目を回復しつつある。

知る人ぞ知る酷道だった、国道343号線無名峠、通称「鳶ヶ森峠」の、現在をお伝えしよう。


大東町猿沢
2004.4.10 14:26


 大東町の猿沢は、鳶ヶ森峠の東口に位置する。
写真の青看が、旧道の入り口である。
ささやかな商店街の途中、信号機も無い脇道が左に、折れている。
直進は、国道456号線水沢方向。

青看によれば、旧道は大型車通行止とだけ記されており、行き先もない。


 左折すると、すぐに1車線になる。
奥に連なる山並みが鳶ヶ森である。
旧道は、この先あれを越えてゆくことになる。
なお、この山には峠らしい鞍部は乏しく、僅か5kmも南下すれば、あえて越えて行かなくても、川沿いで西側へと進んでいける。
この地形的なパンチの無が、遅くまで改良が成されなかった素地だったと思われる。
どうしようもないほどに厳しい山岳地帯とか、そういう理由ではなさそうだ。



 山へと向かっていくと間もなく、猿沢川を渡る。
護岸工事が進む下流川に目を遣れば、1kmほど南方に、現国道が緩やかなスロープのような橋で、山へと突入していくのが見える。
橋の先には、すぐに猿沢トンネルが待ち受けているはずだ。

私の旧道といえば、これから登りが始まる。


 橋を渡るとすぐに、峠への登りは始まる。
道路脇には制限標識が目立つように設置されている。
「幅員狭し 2.5m 通行注意」と記された、大型車通行止の標識だ。
確かに、そこに見えている登りは狭く、大型車で入っていこうと思う人は、奇特な人だ。


 隣には観福寺というお寺がある、立派な建物である。
旧道の登りはじめの少しのうちは、この寺の石垣が法面となっている。



 道幅は完全な1車線で、待避所も見あたらない。
結構な角度で、ぐんぐんと斜面に登っていく。
最初から著しい蛇行を示しており、カーブミラーなどが設置されていても、数が足りない。
舗装されているのは、平成まで国道だった道としては当然としても(後ほど常識は覆されることもあることを知る)、路面には轍の部分を除いて枯葉が堆積し、その利用頻度の少なさを感じさせている。
ただし、全く使われていない訳でもないというのは、この先にまだ、人の生活があるからだ。



野田前
14:31


 ひとしきり登ると、勾配は大人しくなり、所々に段々畑が現れてくる。
人の姿こそ無いものの、耕作が続けられている気配があり、旧国道を必要としている人がいることが分かる。


 道路脇の松林の下に、なんと民家があるではないか。
現在の地図ではその様なものは描かれていないが、平成元年頃の地図では「野田前」という地名がある。
意外に数軒の民家が暮らしており、驚いた。
しかし、この急斜面では、国道の通行量が多かった時には気が気でなかっただろう。
ポイ捨てなんてされた日には庭先までゴミが飛んできそうだし、万が一ハンドルを切り損なう車がいたら…。
そんな場所なのに、ガードレールすら設置されていないのは、なぜだろう。


 一旦下り、野田前集落へと続いているらしい畦道と分かれる。
その先も、旧道の舗装は続いているが、ますます細くなった気もする。
林相としては松が支配的だ。

旧国道だといわれなければ、ただの町道にしか見えない。
標識のたぐいもなく、平凡だ。



 国道456号線との分岐から2.5kmほどで、一旦現国道に合流する。
写真左にも写っているようなデリネーターは一杯あり、それらには「岩手県」と記されていて、国道時代の痕跡を残す。
合流点には停止線もなく、びゅんびゅんというほど頻繁ではないが、異常に高速な往来となっている現国道に、突然ぶつかっている。
見通しもなく、危険線形だ。

この合流点のそばには、「一里塚」の存在を伝える標柱があったが、専門外なのでチェックしなかった。
名もない峠ゆえ、歴史のない道かと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
残っていた松は最近、松食い虫被害で消えたそうだ。


 現道は猿沢トンネルと、峠越えの本トンネルである鳶ヶ森トンネルとを繋ぐ、長い長い直線の真っ最中だった。
どうりで、往来が時速150kmくらいになっているわけだ。
こんな現道、絶対チャリでは通りたくない。
そんな想いが通じた訳ではないが、現道を走る必要はなかった。
再び旧道が、左へと離れていくからだ。
この先はもう、峠の先まで二度と合流しない。




伊沢田
14:52


 再び旧道に入り100mほどで、分岐点が現れた。
左には民家が見えており、井沢田集落という。
当然国道もそっちだと思いたいが、実際には直進が国道であり、砂利道だ。

砂利道だ。

砂利道が、始まった。
集落へ向かう道は、舗装されていたのに…。

 なんていうか、「普通じゃねいか。」
そんな、贅沢な感想が口から漏れた。
国道の旧道で、もともと酷道などといわれていたというから、どんな道かと思えば、「ただの砂利道じゃねいか。」

そんな感想を持った、私に、あなた?
私たちは、完全に感覚が麻痺しています。
この道は国道らしさが無さ過ぎて、逆に萌えませんが、その程度の必要性の道だったという訳でしょう。




 なんというか、必死さが足りないんだよね。

ここは、大変な場所だけど、“天下の往来”国道を通さなきゃ、という必死さが感じられる道が、本当の酷道だと思う訳です。
その伝わってくるものが、探求者にググッと、迫ってくる訳ですよ。
 でも、この峠の場合は、別に必死さが無い様な気がする。
私は、テンション低かったけど、好きな人は好きなのでしょうけれど。
客観的に、「未開さ」という評価で酷道を点数化するなら、かなり満点ですよ。
もう、どうでもいい投げやりさが、感じられてきます。
現役当時も、今と変わらない光景だったと仮定して、ですが。



 分岐の後は、延々と登る。
松林と雑木林が交互に現れるなか、ただただグネグネグネグネと地形に沿って、少しづつ高度を上げていく。
所々は崩れ、旧道らしさを感じさせるが、現役当時もこんなもんだったような気もする。
写真の場所は、珍しく警戒標識が立っていたが、今に沢下へと消える定めだろう。


 道幅は路肩が広めに取られており、砂利道とはいえ、しっかり整備すれば難しい峠ではないだろう。

この旧道の、最も典型的な景色は、この写真のような景色だ。

次回、完結。



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