道路レポート  
国道283号線 仙人峠 その2
2004.8.23

仙人トンネル 西坑口
2004.8.11 10:17


 レポートの開始地点である遠野市上郷の国道340号線分岐点からちょうど10km。
海抜560mの、仙人トンネル西側坑口へとたどり着いた。

この峠を越えれば、あとはもう釜石市街へと下っていくだけだ。
目指す釜石は、もう目前と思われた。
トンネルの長さは、2500m。
高速のトンネルを除けば、完成から半世紀近くを経過した今でも、岩手県内第二位の長大道路トンネルである。
ちなみに、一番は秋田県との県境にある仙岩トンネル(2554m)だ。


 このトンネル前の広いロードサイドパークは、意外なことに砂利である。
駐車スペースは十分なのだが、どうして舗装しないのか、謎だ。
そして、このスペースの山側の端にある擁壁は、実は車道よりも長い歴史を持っている。

この写真の、上部が地圧で変形してしまった擁壁だ。




 砂利が敷かれている駐車スペースから離れた藪の中にもまっすぐ続く擁壁は、車道由来ではないことを物語る。
この擁壁の正体は、早瀬川の砂防ダムにその痕跡を顕していた、岩手軽便鉄道である。
かの鉄道は、国鉄が買収し現在の釜石線の端緒となったことは先述したが、まだ峠の鉄路が無く、もちろん車道もなかった頃、終点はこの場所に置かれていた。
駅名は、仙人峠。
駅の痕跡として現在も残るのは、唯一この山際の擁壁といわれている。
すなわち、擁壁は明治45年(=大正元年)の作と考えられている。
コンクリート建造物としては、日本最古級の逸品である。



 付近には、そのことを案内するような看板は見あたらない。
一見するとくたびれた道路擁壁でしかなく、決して新しくはない国道のさらに半世紀も古いものだとは、なかなか気づけない。

大型車を先頭にした車列が慌ただしく行き来する国道の片隅に、仙人峠の変わり様を見続けてきたコンクリートの壁は、僅かに顔を見せている。



 同じ敷地内には、「早瀬観世音」と達筆な文字で陰刻された石碑がある。
年号は「大正」の文字で始まっていて、おそらくは軽便鉄道時代の建立だろう。

当時、山を越えた先の釜石市大橋まで、人は峠を3時間以上かけて歩き、荷物だけは索道で運ばれていたという。
困難な峠に祀られた素朴な碑は、峠で命を落とした無数の魂を慰めているのか。



 車道を挟んで反対側には、小綺麗な小公園があり、東屋などが整備されている。
この奥には、今はハイキングコースとして整備されているという、仙人峠の道がある。
峠の標高は892m。
一度も車が通ったことはない峠だ。



 さて、トンネルに目を向けていこう。

まずは、長大トンネル前には付きものの公衆電話チェック!

って、そんな変な趣味はないのだが、公衆電話の前に、もう一つ電話があるのに気が付いた。

あのお姿、まさしく日本道路公団。
高速道路に広く分布する、非常電話ではないか!

思わず駆け寄る私。
なかなか傍で見る機会はない。

そして…。



 てへへ。
開けちゃいました。

そこにあったのは、なんとなんと年代物の黒電話。
マニア向けサービスとして、この画像はクリックするとじっくりとご覧頂けますぞ。

しかし、私は思った。
全国にまだ、この型の非常電話があると思われるが、もう10年後くらいになれば、この型の電話機の使い方を真剣に分からない人が出てきそう。
そして、通報できないという悲劇。

んなこたーない?

とりあえず、現役で稼働しているのかどうかは、ちょっと確かめる勇気がなかった。
なんぼ受話器を取ってみようかと思ったが、万が一稼働 していたら笑えないのでね。



 さて、ひとしきり辺りを見回したし、いよいよ踏み出そうか。
期待の昭和34年竣工、当時の東北最長トンネルへ。

橋の名前は沓掛橋。
トンネルは、仙人トンネルだ。




仙人トンネル 内部へ
10:23

 一般に仙人トンネルと呼ばれているし、私も敢えてそう呼んできたが、銘板には「仙人隧道」とある。
未だ現役で迂回路のない主要国道に位置するこのトンネルは、古色蒼然とした“隧道”は似合わないと考えたが、実際に姿を目の当たりにするに及んで、やはりこれは隧道と呼べる年代物なのだと、実感した。

緒元としては、幅5.5m、高さ4.5m。
明らかに、型落ちのスペックだ。
同年代の長大トンネルといえば、仙岩トンネル(国道46号線)や栗子トンネル(国道13号線)が思い浮かぶが、それらと比較すると、昭和51年開通の仙岩トンネルに見劣りするのはやむを得ないとしても、昭和41年の東栗子トンネルよりも幅が1m狭い。
この1mのしわ寄せは、歩道といえる部分が皆無という形になって現れている。

延長2500mは、飛ばしてもチャリなら5分はかかる。
この間、一体どれだけの車に追い越されるのだろうか…。
壁スレスレを暴風と共に出入りしている大型車を見るに付け…恐いと思った。
へたな廃隧道よりも、遙かに危険な隧道なのだと、理解した。



 坑門の造りは、それほど古さを感じさせない。

シンプルな坑門の扁額のワンポイントとなっている御影石の扁額。
そのの大きさ、デザイン、位置。
どれを取っても、言うことは無い。
峠を貫通する国道の主トンネルとしての威風に満ちた、正統派の佇まいだ。
と同時に、後付のトンネル情報板とのミスマッチが、オーバーワークとなっている隧道の現状を端的に示している。

現役国道のトンネル坑門としては、かなりの高得点だ!
(何の変哲もない坑門だが、私の好みはこの辺りの微妙な位置にあるようだ)



 良くある金属製の緒元表の代わりに、日本道路公団らしい書体で書かれた軽薄なプラ板が、掲げられている。
文字は薄れて殆ど見えないが、微かな陰影として

 トンネル延長2500
 道路面標高560


の二行が盤面一杯に記されている。




 車通りの途絶えたのを見計らい、ライト点灯で入坑する。
トンネルは直線で、勾配もほとんど無く、既に出口が点として見えている。
しかし、余りの長さ故、天井に一列に連なる照明は出口まで続いては見えずに霞んでいる。
この日は西風で、トンネル内にはかなりの追い風が認められる。
風に乗って、さっさと通過しないと、命が危ない。

大型車の車列に巻き込まれないことを祈りながら、いざ、仙人隧道入洞!





 さあ、お気に入りの仙人隧道ではあるが、とても内部で立ち止まって写真を撮っている場合ではなかった。
歩道がないトンネルというのは、現役のものとしては、ありそうでなかなか無い。
殊、交通量がこれだけ多いトンネルとしては、極めて珍しい存在といって良いだろう。
トンネルに入ってすぐ、ジェットエンジンのような巨大な換気扇が一機、宙づりになっていた。
明らかに後付けである。
このトンネルには、後述する待避口と、非常電話の二つの非常装置がある。
というか、二つしかない!
ラジオもないし、信号機もない、もちろん非常口などあるはずもない。
その上、この狭い歩道もない車道に立って非常電話など使っていたら、跳ねられそうですらある。

入って100mで、「このトンネルは完全に限界来ているな」と思ったのだ。
よくぞ今まで持ちこたえてきたなと。



 次々とすれ違っていく対向車。
その度に、耳のおかしくなりそうな轟音が襲う。
トンネル内は、終始台風のように風も強い。
追い風だから、まだマシだったが、逆風だったら悲劇的だった。
走りながらカメラを構え、時折撮影しながら走る。
しかし、その余裕すら掻き消されそうな事態が、背後から近づいていた。

音が変わったので気が付いた。
今、背後からトンネルに進入したのは、巨大なトレーラーだった。
前方からも、ひっきりなしに車が来る。


ヤバイ。
すれ違えるか?!(無理に決まっている!)
逃げ場無いぞ! 停まった方が良いのか?!
ヤバイヤバイ!
すり潰されるー。





 私は夢中で漕ぎ、坑門から500mの標識が現れた辺りで、反対車線の壁に大きな穴を認めた。
待避口に違いない!

丁度対向車が切れていたので、迷わず進入。
そして、そこが予想外に真っ暗だったので、驚いて急停止した。

なんなんだ、この待避口。

真っ暗な上に…なんか…

変なムード。




すぼりーだー!


なななんと、待避口は素堀に泥を塗り固めたような、異常な姿だった。

なんなんだ。
このトンネル。
素堀かよ。
有料道路だったのに、待避口が素堀なのかよ!



 …そんな、よく分からないツッコミを発する私のテンションは、最高潮に達していった。



その3へ

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