走破レポート  「田沢スーパー林道」  その2 
2001.9.20


 2001年9月2日、田沢スーパー林道の3度目の実走調査を実施した。
遂に、峠の隧道に到達した私の見た光景とは?
西木村側の状況は?
<地図を表示する>


峠にある、黒崎森隧道
2001.9.2 8:08
 難度見ても異様な感じのする隧道である。
約300m程の直線の、造りもかわり映えのない隧道だが、この道の境遇や、現在の状況を考えると、見ていると辛い気持ちになる。
昭和40年代、高度成長の時代、閉塞的な山村にとって山越えの長大な林道の建設が、林業や観光などの起爆剤になると信じられた。
そして、雨後の竹の子のように、全国に23路線の「スーパー林道」が、産み落とされる事になる。
それは、はじめから根拠に薄い、神頼みのようなものであったのかもしれないが…。

 昭和53年、多くの血税を注ぎ、遂に道は出来上がったが、既に林業は斜陽化。
その上、その出来上がった道すら、通行量の少なさ、維持費の多さ、自然の猛威という現実の前に、1,2年で、不通となった。

後に残ったのは、通るもののない、幾つもの橋梁やトンネル、それに、取り返し難い、大自然の傷跡であった。

 黒崎森隧道は、深すぎる山中に、いまもひっそりと存在している。

黒崎森隧道 内部
8:09
 全く電灯等のない(設置もされていない)隧道は、妙に長く感じられる。
またも(←旧108号線秋の宮トンネル以来)、背筋の寒さを感じた事は言うまでもない。
多分、今年はもう誰一人、この道を通うものはいないのではないだろうか?
黒崎森隧道 西木村側坑口
8:10
 くぐりぬけてみると、やはり廃道が続いているようだが、河辺町側よりかは、幾分状況がよさそうだ。
振り返ると、やはり異様なあなぐらがそこにあった。
右端の写真は、隧道の見える最も離れた場所から撮影したものだが、初めてこの道に挑んだ4年前、この方向から登ってきて、この景色を見た瞬間の感激といったら忘れ難い。
こうしてみると、4年前、2年前、そして今年、だんだんと崩落は度合いを増し、もはや、復旧は望むべくもない状況になってきている。
私は感じた、
この道は、消えてゆく定めなのだ…と。
崩落した橋の残骸
8:17
 これは、4年前にはじめて来たときからここにあったと思うが、崩落した橋の残骸である。
確か、一番初め、田沢スーパー林道の事をなんかの地図で見たとき、「橋が落ち、全面通行止め」などと書いてあったような記憶がある。
現在、この橋がどこにかかっていたものかは、推測の域を出ないのだが。
一帯の困難な地形をうかがわせるには、十分なオブジェだ。
広大な景色
8:18
 標高600m程の高所であるから、西木村側の眺望がすばらしい。
県境の奥羽山脈の峰々まで一望できる。
この様な景色の只中を走る事は、困難な道を往くに十分な理由付けを与えてくれる。
山チャリへの愛を再確認した。

 2枚目の写真においては、道から南側の大石岳を眺望。
沸き起こる雲が、山体を今にも被い隠さんとしていた。
青い空が、宇宙の色だと感じるには、やはり高いところに来るのがいい。
道中、最も険しい一帯
8:21
 右のフレームの地図を見てもらいたいが、の小波内大橋をはさんだ、(←この写真の場所)からの最高地点に掛けての10Km弱が、この田沢スーパー林道の、最大の難所である。
元々脆弱な地質の上、深い峡谷沿いに、懸崖に張り付くように道は伸びる。
開通後一年も持たなかったのが、この一帯なのだ。

 4年前、この辺りは、道の半分以上が落石に埋め尽くされ、チャリでも、半分以上の押しや担ぎを強要された。
2年前は、西木村側は、なんとトンネルまで自動車が乗り入れていた。
そして今年だが、残念ながら、だいぶ後退していた。
乗って通ることは出来るものの、いたるところに落石が積もり、自動車の通った様子もない。
(ただし、徒歩のオヤジ1名に遭遇した
やはり崩落してた。
8:34
 いよいよ、小波内大橋が見えてきたところで、こんな崩落に遭遇。
たいした事はないのだが、これが放置されているところを見ると、西木村(←管理主体)の行政は、あまりこの道の通行に乗り気でないようだ。
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