道路レポート  
国道113号旧線 宇津峠 最終回
2004.5.23

宇津峠
2004.5.12 10:52


 宇津峠だ。
新緑の淡い緑の底に、深い切り通しが真っ直ぐと続く。
そこには、鳥の囀りが澄み、風がそよめく。
己の足で登ってきた者だけに与えられる、至福の達成感。
この峠の美しさは格別だった。

この稜線をさらに登れば、そこには社の蹟があるという。
それは、今は麓に遷座された、宇津大明神。
もう、峠は忘れ去れた。

傍らにはミイラのようになった町名標のみが、立ち尽くす。



 町名標は立っているだけで精一杯なのだ。
既に、文字など消えている。
だがそれでも、写真には写り得なかったが、私の目には微かな陰影として 「飯豊町」 の文字が、見えた。

 一方、その対面には、既に息絶えた 「小国町」 が、斃れていた。
万世大路との比較は、意味がないことだと分かっている。
でも、この峠にはまだ、三島の拓いた峠の息吹が、ほんの少しだけど、残っている気がした。
まだ、宇津峠は人を通す。


万世大路は、   もう  人を通さない。




 平坦な切り通しは、約50mに亘って続いている。

心地の良い峠と、そうでない峠があるが、いずれも、峠を離れるには勇気が要る。
峠を越え、下りに転じる道は、チャリにとって重大な意味を持つ。
一度峠を離れれば、もはや戻ることが急激に難しくなるからだ。
下りの最中、道に窮すれば、最も苦しい展開を強いられる。

だが、いずれ漕ぎ出す時は来る。




 10時58分、小国側へと漕ぎ出すとすぐ、車道が現れた。
これは、地図にも記載されている、稜線上のNTT施設へと通じる道だ。
これでこの先は、一般の林道というレベルの道が保証されたようなものだ。

正直、時間がおしていたので、助かった気がした。
写真の道を右に行けば新宇津トンネルの直上にあるNTT施設へ、左が旧旧道に被りつつ、下り道だ。



 分岐点から稜線上の施設を見上げる。
案内板によれば、ここから約1km先にあるという。
また、その案内板には施設の正式な名称が記されていたが、それは「日本電信電話株式会社 宇津峠無線中継所」というものであった。
果たして現役なのかは分からないが、かなり年季の入った施設なのかも知れない。


 そして、分岐より下りを臨めば、やはり古道の臭いが微かに残る幅広の道が続く。
轍があることがこんなに心強いものかとは、廃道後のおきまりの感想である。
さて、峠を離れ、遠い日本海目指し下っていこう。
まだ、今日の旧道行脚は30km以上残っているぞ。
私がずっと行きたいと思っていた、「片洞門」も行こう。

心残りは、もうカメラの容量がないことだ。
悲しい。


宇津峠旧旧道 小国側下り
10:57

 数百メートル緩やかに下ると、今度はさらに立派な道にぶつかった。
これは、地形図によれば白川ダムまで続く長大な林道のようである。
この林道もまた、国道からここまでは、旧旧道を利用して登ってきている。
こうしてみると、あれほどに飯豊側が荒れ果てていたことが信じられないほどに、小国側は利用されている。
峠から流れ出した一滴が、やがて多くの流れを集め、やがて大河となり海に注ぐように、宇津峠の旧旧道もまた、進むにつれいくつもの道を一つにし、その轍を確かなものへと変えていく。




 この先は、未改良ではあるものの、通行に支障はない林道となっていた。
新緑の森を蛇行しながら、長い下りで高度を下げていく。
次第に視界は狭まり、谷の底へと道は降りる。

撮影枚数に余裕がなかったことと、どうしても下りは高速走行となるために、余り写真はない。



 そういえば、宇津峠の旧旧道にはこれまで、橋が見あたらなかった。
ここに来て初めて、かなり古そうな橋が並んで架かる場所に差し掛かった。
しかし、二又に分かれる谷川に架かる二本の橋には、もう路面上からそこが橋と分かるような構造物がなかった。
ともすればもう、地形の一部とさえ化している。



 峠から1.5kmほど下ると、小国側に来て初めて立派な舗装路が見えた。
谷間に走る広い舗装路は、緩やかにカーブを描く橋を渡り、そして、トンネルへ吸い込まれていく。
しかし、そこには通う車の姿がない。
無人の国道?

それは、あの“異形”宇津トンネルによって封じられた、旧国道の姿であった。





 11時9分、峠から約2km。
旧旧道は、旧道に合流し終了する。

そこには、誰に向けられたか分からない大きな木製看板が屹立しており、その支柱には、写真の張り紙が。

入山禁止とのことである。
道も、私道であるとされているが、それにしては結構山菜採りの車が進入していた。
実際、通行止ゲートなどは設置されていない。
まさか、峠を越えて飯豊町へと抜ける需要はないだろうが、私は確かに越えてきた。




宇津トンネル 小国側坑口
11:10

 旧国道との合流地点付近から、旧国道宇津トンネル小国側坑口を臨む。

至って普通の、国道の峠越えトンネル前の景色だ。

車通りが全くないこと。
橋の欄干が片方だけ無いこと。
トンネルにフェンスが設けられていること。

この三点を除けば。




 まだしっかりとした旧道の路面。
あの廃道の後では、尚更立派な道に見えるのも無理はないだろう。
「トンネル内通行注意」などと言われても、通行など出来やしないのに。
不思議だったのは、ありがちな「通行止」の告示類が一切無いと言うこと。
ただ単に、払い下げられた飯豊・小国の各町に看板一つ建てる資金がないだけかも知れないが。
状況的には、坑口を塞ぐバリさえ退かせば、即復帰できるようなスタンバイ状態にも見える。

もしかしたら、当初はそんな思惑もあったのかも知れない。
ここまで旧トンネルの内部が荒廃してしまった現在では、たとえ現道トンネルに不測の事態が起きたとしても、もう旧道が迂回路として活用される望みはないが。



 これが、小国側坑門だ。
坑門自体は、飯豊側と全く同じ作りである。
飯豊側以上に坑口背後の法面も固められ、より人工的な印象だ。
なんか、堅いトンネルという印象だ。

中には、あーーんなヌルヌルが沢山あるくせに…。

もう一度中に入る意味もないので、ここでターンして、引き返した。



 11時12分、旧トンネルを後にして、現道へと戻り始める。

宇津橋は、全体が緩やかなカーブを描きつつ深い谷を渡る、近代的な橋だ。
しかし、金属製の見慣れない欄干に、いささか古さを感じる。
さらには、そのカーブ外側の欄干が、すっかり消失しているのには驚いた。
どこへ消えたのか?

写真奥の急な細道は、旧旧道と旧道とを繋ぐスロープである。
旧旧道とは、もう少し先で直接合流する。
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 ここにも放置された電光掲示板が。
しかも、おぞましいほどのツタに絡まれ、痛々しい。
ツタが与えるダメージなど微々たるものだろうが、いずれはその微少なダメージが積み重なり、斃れる日が来る。
本来の管理を離れれば、重要な国道路線の象徴的存在であるこの立派な電光掲示板すら、斯様な有様だ。
当たり前のことだが、自然界は破壊の対象を、いちいち選びはしない。
冷徹な自明の理にのみ従って、あらゆる物を風化させていく。




 消えた宇津橋の欄干は、谷底にあった。
これもまた、背丈よりも遙かに積もる豪雪の力か。
欄干は、その全ての足が根元からへし折られ、10mも下の谷底で墜死していた。
「山形の廃道」様のレポートによれば、少なくとも2001年頃まで、欄干は無事だったはずだが。



 この状況で、夜のドライブだったら恐いだろうな。
まあ、車で来る輩も少ないとは思うが、坑口まで来れないこともないので、危険なのは確かだ。

この宇津橋もトンネルと共に、昭和42年頃に竣工したものだろうが、もとより親柱はなく、扁額もとり付けられていないので、正確なことは分からない。
私個人的には、「親柱無し」「金属欄干」「銘板無し」の三拍子揃った橋は、没個性の代表のようで好きではない。
だが、まさに没個性の代表のようなトンネルと橋が、早くも廃止されているというのはレアな事象であり、逆に強く惹かれるものがある。



 緩やかに沢沿いを下っていく旧道から、現道の新宇津トンネルの坑門が見える。
宇津橋からここまでは、わずかな距離だが、この途中、治山工事によって旧道は地形が変わり通行できない(チャリ押しなら可)。
自動車の僅かな往来は、旧旧道を利用している。

現道のトンネルも、旧トンネルとよく似た流線型である。
そこから、次々に高速の自動車が吐き出されてくる。
遠く未来を見通した施策を打ち続けた三島が、自身は技術的・財政的な限界からトンネルを供さぬ険しい峠道を拓きながらも、将来に期待した道の姿は、こんな長大トンネルであっただろう。
峠によって、地域間の交流が阻害されることがない道作りが、目標であった。

新旧三代の宇津峠探索も、もうすぐ終了だ。

 振り返ると、旧旧道と旧道の分岐点だ。
遠く山上に見えるのは、稜線を越える鉄塔の列。
宇津峠は、その左側の鞍部の一画にある。




 現道トンネルが見下ろせる位置に、まだこんな看板が残っていた。
そこには、赤い力強い実線で現道が、黄色い細い線で旧道が描かれているが、旧旧道に至っては、全く触れられていない。
現道建設当時から、もう旧旧道など人々の記憶から消えていたのだろうか。



 一般国道113号線、起点新潟からの99kmポストは、旧道に存置されていた。

この崖際の下りを下りきれば、そこで旧道の旅は終わる。



 11時19分、現道合流点。
現道を介さぬ宇津峠越えは、その両側の合流点間約5kmの山道だった。
ちなみに、現道はその半分以下の約2kmで繋ぐ区間だ。
その所要時間は、相当に長いとだけ言っておこう。
(寄り道が多く、正確に判断できない)

一旦は合流するものの、この後も旧道は至る所に現れた。
時には、旧旧道すら。


だが、宇津峠はひとまずこれにて終了。
この小国新道に属する他の旧道も、今後紹介していく予定である。
三島とのバトルは、続く。


 最後に地図だ。

現道、旧道、旧旧道の位置関係は、これで確認して欲しい。









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