道路レポート  
八久和林道  その2
2004.8.1


八久和 2号隧道
2004.7.22 10:10


 目前に現れた新たな素堀隧道。
先ほどの隧道よりも、やや長いが、それでも出口は遠くない。
延長30mといったところだろうか。
隧道内はやや窪んでおり、水が広く溜まっている。
落ちる水滴に絶え間なく波紋が広がり、反射した光がテラテラと天井に模様を描いている。

心休まる景色である。



 隧道の反対側に、現道の猿子渡橋が立派な上路トラスで谷を渡っているのが見える。
現道は一本の長大橋で急峻な断崖を避け、またダム堤体に至る為の高度を稼いでいる。
一方旧道は、谷間に二本の隧道を穿ち、ダム堤体へと向かっている。


 右に新旧道の位置図を示した。
二本の隧道の先で、旧道は現道から降りてくる舗装路に呑み込まれる。
この先ダム管理道として堤体に呑み込まれるまで、谷底に道は続いている。

今回は、隧道を出た地点で、チャリを置いてきていることもあって、引き返すことにした。
この先の旧道の様子は、上方の現道からよく見渡せる。


 さて、隧道に戻ろう。
2号隧道内部の様子。

ご覧の通り、大部分が水没している。
しかし、水位は浅く、長靴があれば充分に渡れるだろう。
私はスニーカーだが、どうせもうびしょ濡れなので、躊躇いはない。

路上と言え洞外は植生が復活しており、日影となる部分に生々しいトラックの轍が残るのとは、対照的である。
内部は目立った崩落もなく、洞外の方が遙かに荒れている。




 水の張った内部から、下流側を振り返る。

二本の隧道は、僅か100m程度しか離れていない。
地図上にはこちらの隧道のみが描かれていたが、現地に来て初めて、二本の隧道の存在を確認した訳だ。
車道の隧道で、素堀で、しかも連続していて、かつ廃道。
これだけ萌える要素を備えた隧道は意外に少なく、貴重な存在かもしれない。

しかし、世間一般的には価値のないものであろうから、今後も顧みられる可能性は限りなく低い。






 潜り抜け、もう一度洞内を見渡す。

洞内の黒い壁に白くゴミのように写っている短い直線は、皆水滴の軌跡である。
昨日までの豪雨で地山の保水ダムは決壊しているらしく、地かぶりの低い隧道でも、驚くほどの出水を見ている。





橋の下に立って、対岸を見る。
遠くに見える巨大な橋は山形自動車道である。
狭い谷間に歴代の道が場所を奪い合うように犇めくのとは一線を画し、高速道路は独り、山腹を長大隧道と長大橋梁のリレーで渡っている。
胸のすく光景だ。


 橋の下からダム方向(上流だ)を望むと、ダムサイト脇に築かれた巨大な土留めが視界に広がる。
まだ植樹されたばかりの明るい草原の裏手に、巨大な月山ダムはある。
旧道はこのすぐ先で、ダム管理道に吸収され消える。

ここで、一旦引き返し、今度は現道から上流を目指すことにした。


国道112号線 旧 大網橋
10:25

 二本の隧道にとって返し、チャリを拾って、国道に戻った。
そこにはお馴染みの喧騒があり、美しくも油断ならない断崖廃道からの帰還に、ホッとした。
しかし、まだまだ八久和の道は始まったばかり、 というか、実質振り出しに戻っている。

現・八久和林道の入り口は、八久和川の対岸にあり、そのためには国道の大網橋を渡る必要がある。
渡っている最中、ふと谷間を見下ろすと…


  ドキッ!




 一目惚れだった。

数多くの廃橋を見てきたが、これほど私の心を瞬時に揺さぶった橋は珍しい。

思わず、現橋から飛び移りたい衝動に駆られたほどだ(それは嘘)。
とにかく、現・大網橋のすぐ下流側に、頑丈そうな、それでいて抱きしめたくなるほどに繊細な線で作られた廃橋がある。
直線の連続でアーチの曲線を擬似的に現している、古色蒼然とした鉄骨のアーチ橋。
赤いペンキなのか、それ自体が錆の色なのかは分からないが、この色、この姿。
子供のころイメージしていた「谷を渡る鉄橋」そのものではないか!

現橋の交通量も無視して、様々なアングルから旧橋を探る私。
なんてカッコイイ橋なんだ。



 濁流の谷を一跨ぎにする大網橋の勇姿。

現在の国道である月山道路は昭和40年に完成しており、これに合わせて廃止されたものと思われる。
旧橋は明らかに、今日の交通量には対応できない幅しかない。




 すぐにでも旧橋に立って、もっと近くでも味わいたいと思ったが、それは難しいことであった。
橋の両岸は、見るだけでもうんざりするほど、猛烈に藪になってる。
しかしこの時期、橋へのアプローチは、どちらかの藪を突破する以外にないのだ。

道は消えて、橋だけが残る。
もう、堪らない。
行くしかあるまい。

袂の米の粉の滝ドライブインの駐車場に戻った。
旧橋への困難なアプローチは、そこから始まるのだ。
無論、チャリも一緒だ!

明らかに脱線だが、ちょっとお付き合い願おう。


旧 大網橋  アタック!
10:27

 旧橋へどちら側の岸からアタックするか、しばし現橋上から眺めたが、どちらにしても凄まじい藪が待ち受けているようにしか見えず、大差無しと判断。
それならばと、私の旅の進路方向に合わせ、米の粉の滝ドライブイン側(左岸)より決行した。

これがドライブインの駐車場から旧橋へのアプローチ部である。
驚いたことに、もはや完全に旧道は切り離され、ドライブインの駐車場の盛り土によって、急な斜面が出来てしまっている。
これでは、アプローチ部が完全な藪となってしまうのも無理はない。




 反対岸からのアプローチに変更しようかと迷ったが、激藪とは言え距離は30m位しかないはずだ。
すぐそこに現橋が見えているのだから。

凄まじい藪に、良くないことに私の闘争本能が刺激されてしまった。
今思えば完全に体力と時間の浪費であったのだが、なぜか、挑発に乗るようにしてチャリごと藪に進入していったのだ。

この「チャリ同伴」という決断は、つまり、橋を“渡って”対岸から脱出するという心意気の表れである。
チャリを押し込んでしまえば、もはや引き返すのには相当の「挫折」が要る。
自ら死地に赴くような暴挙であった。



 やはり道ですらなくなった藪は猛烈であった。
写真を撮る余裕もなかった。
確かに30mほどで旧橋の一部、この親柱と鉄パイプのバリケードを、背丈より高い藪の底に発見したが、それで藪が終わりという訳でもなく、さらに橋上も藪となっている。
そして、僅かこの30mで2分を要してしまった。
どれほどの藪であったかが想像できるだろう。
結果的に言うと、この左岸は道が完全に埋め戻されており、舗装の痕跡もない。
冬場などは容易にアクセスできると思うが…。





 左岸の親柱は2柱とも健在であった。
しかし、猛烈なブッシュに埋もれており、掻き分け掻き分け、地面に這い蹲るようにして探索してやっと発見したのであった。
そこにあったのは、「おゝあみはし」の文字。
繰り返しの記号が、古くさい。

写真が全体的に緑がかってるのは、葉っぱ越しの緑がかった光で撮影したために、ホワイトバランスが崩れてしまったものらしい。
こんな体験は、初めてである。
まさに、藪と一体化した探索であった。



 橋上のコンクリートの路面が現れると、急激に藪は低く、浅くなっていく。
チャリを前に出し、押し崩すように、藪を切り開く。
直射日光をモロに受け、汗が噴き出す。

こうして、ほんの30mほどの藪に悪戦苦闘しながらも、なんとか、大網橋に立つことが出来た。
橋の上は、これまでの地獄が嘘のように、開放的な空間である。
それが、今は私だけのスペースになった。

容易には戻れない状況になっていることは気掛かりであったが、今はこの空間を、満喫しよう。



 橋長は現橋よりも短いが、それでも40mはあるだろう。
高さも、30m弱はありそうだ。
八久和川を一跨ぎにする旧橋だが、この険阻な峡谷を渡る橋は、昭和10年に完成している。
それ以前も、この地には「六十里越街道」が通っていたが、徒渡りは不可能と思われるこの谷を、どのように渡ってたものか?
欄干は飾り気のない質素なもので、コンクリと鉄のハイブリッド構造である。
しかし、その高さは腰よりも低く、風の強い日など、車輌に気を遣って隅を歩かねばならなかった歩行者にとって転落の危険は、現実の恐怖ったであろう。

そんな危険な欄干だが、視界を妨げないという点では優秀で、ドライブインにその名を現している「米の粉の滝」が、八久和川の鋭い岸壁に絹糸を垂らして見える。
いわゆる、絶景である。




 幅7mほど。
大型車がすれ違うことは難しく、乗用車同士でも、かなり気を遣っただろう。
さらに道幅が狭くなる冬期間などは、現在の交通事情からは考えられないような危険な橋ではなかっただろうか?
一帯は、県下有数の豪雪地帯なのである。

橋の上にいても気がつかないが、現橋から見ることが出来る立派なアーチ部は特筆もので、人工的に撤去されない限り橋は健在で在り続けそうだ。
橋上にアスファルト舗装の跡がないことも、この橋の廃止年度を推定する手掛かりになりそうだ。




 右岸に辿り着いた。
そして、そこもまた藪であった。
先ほどの藪よりはいくらかマシだが、それでも強烈なブッシュが、親柱同士を繋ぐバリケードから始まっている。
しかし、引き返す気にはなれない。
さっきの藪は、殆ど転げ落ちるようにして突破してきたものであり、引き返せる道など無い。

こちら側の親柱も、2柱とも健在であり、それぞれ「竣工昭和34年11月」や「大網橋」という名を示していた。
この昭和34年は、元来の竣工年度ではなく、改修工事の完成年度であるとされる。
全体的に欄干などの風化は若干進んでいるものの、一切の保守を離れている事を考えれば、保存状況は上々といえる。
老朽化が原因で廃止された橋ではないことは明らかで、見る者を惹き付けるアーチ構造と共に保存の方向へ進むことを、期待している。



 橋の探索は終わっても、チャリを持ち込んでしまった私にとっての闘いは、終わらなかった。
むしろ、アリ地獄の底に居たようなもので、脱出こそが最大の闘いであった。
此方側の道も、既に原形を留めておらず、地形的にも判然としない。
すぐに現道があると思っていたのは完全に勘違いで、認識の甘さがモロに出た。

余り藪でネタを引っ張っても、いい加減「藪ばっかだな」と突っ込まれそうなのと、
私も藪を表現する語彙に窮してきたので、ちょっと端折らせてもらう。

そもそも藪は、言葉では表しにくいのだが…

肉と草のぶつかり合い。ガチンコである。

…とだけ述べさせてもらおう。



 また、この表情を見て頂ければ、藪のなんたるかを分かってもらえると信じている。

「ヤラセ」では決してない。

私とて、笑顔を売って稼いでいる身。
この様な醜態を晒すのは気が引けるのだ…。
だが、私には本当に辛いときに「自分撮り」をするという、癖がある。
これまでも、本当に辛い場面では、何度と無く自分撮りをしてきている。
それらは通常、レポートでは“お蔵入り”となり、代わりに、言葉でもってその苦しさを表現するように心がけているのだが、今回は、言葉が見つからなかった。



 5分間の草まみれ、泥まみれ、ツタまみれ、虫まみれ、汗まみれ、
などの死闘の末、チャリはこの様な状況で、近くの田圃の畦に引き上げられた。
背後のツタ地獄の急斜面が、最大の難関であった。
ここでチャリに絡みついたツタの切れ端と、その後6時間余りも旅を共にしたのは、私流のユーモアである。

ここは、本当にしんどかった。
精も根も、尽き果てかけた。



 奥のアスファルトが、旧道である。
私は、旧道を放棄して、ショートカットを企てたのだったが、結果的には距離が短い分勾配が凄まじく、苦労は変わらなかったかも知れない。
いずれにしても、夏場チャリと共に探索する場所ではなかった。



 旧道の通行止地点。
このガードレールの先に、藪となった下りが40mほど続いて、旧大網橋に繋がっている。
道としての使命を完全に終えてから、相当の時間が経過していたらしい。
まさに、生粋の廃橋梁であった。



思わぬ脱線で、一気に体力を消耗してしまった私。
しかし、八久和林道はまた初めからだ。

次回、今度こそ、ダム区間へ。





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