道路レポート
八久和林道 最終回
2004.8.30
八久和ダムを目指して
2004.7.22 12:52
最後まで林道は八久和川から離れないが、普通なら高巻きしたくなるような急斜面に張り付くように、道は続いている。
そのことは、写真に写る対岸の様子からも、想像して頂けると思う。
紅葉橋の標高が約300m、終点の八久和ダムはやく500m。
5kmほどの区間は延々と上りである。
もっとも、下りだっだとしても、対して速度に違いはない様な荒れた道だが。
微妙なシングルトラックがかつてはそれなりに広かったぽい道路敷きの中心に続く。
まだ、新しい轍は現れない。
古い地図には、「八久和峡」の赤字と、三つ星の名勝マークが示されているのは、このあたりだろう。
対岸の巌は、どんなに深いのか想像も付かない淵の底から、林道よりもさらにさらに高くへと、そそり立っている。
これでは、林道が紅葉橋で右岸へと迂回せねばならなかったのも、納得できる。
林道は、この様な巨岩乱立せり景勝を、一切余計な物のない、生のままの景色で味わえる。
胸の空くような断崖は、けっして対岸だけの景色ではなく、林道も相当に険しい場所をへつるように通じている。
もっとも、この道の場合は、「通じていた」といった方が、正確だろうが。
狭い峡谷を吹き抜ける風が“鳴って”いたのが、印象的だった。
これまでの山チャリ人生で何度騙されたか分からないが、また騙された。
藪の向こうにスッキリした空間が現れ、そこには舗装された路面が。
当然のように、「脱出!」を期待する訳であるが、現実は斯様に厳しいのだ。
そこにあったのは、橋の姿。
車一台がやっとの狭い橋。
驚くのは、親柱はおろか、欄干も何もない、ただの“板”であること。
これって、廃道化の途中で脱落したものなのだろうか?
まさか、もともと欄干は無し?
これまでも、ガードレールがあって然るべき様な場所にも、何一つそう言った安全装置はなかったので、八久和林道というのは元よりそういう道だったのかも知れない。
上等だ。
興奮してきた。
橋の袂のような、登りの先から路面上を流れてきた流水が停滞しやすい場所ほど、激しく藪となっていた。
この現象は、私が想像した八久和林道藪化のメカニズムを証明するものだ。
とか何とか理性的なコメントを書けるのは、私がいま落ち着いて部屋でPCに向かっているからであり、現場での感想は異なる。
そのものずばり、うげー である。
それ以外には、特に何も感想はない。
ただ、うげー。
これまで、八久和川に落ちる支沢に架かる橋を、二本渡った。
どれほど進んできたのかは、ちょっと予想が付かない。
紅葉橋からは20分強が経過しているが、ペースは時速2km程度だと思われ、そう考えると、まだ1kmも進んでいない?!
地図を見れば何か分かるかもと思ったが、いまは見ても落胆するだけっぽいので、足が続く限りは漕ぎを緩めず突き進むことにした。
橋の先は、急に勾配がキツくなった。
微かにシングルトラックが、ダブルトラックになりはじめている気もしたが、おそらくそれは轍の跡が水路となって抉れただけだろう。
もの凄くガレており、ここいらはかなり体力を消耗させられた。
廃道の終わりを求め
12:58
八久和峡は釣りで入渓する人も多いと聞くが、このあたりでは無さそうだ。
道には人の通っている気配がない。
むしろ、ダム上流のほうが、釣り人には人気なのだろう。
ダム上流の八久和川は、「本州最後の秘境」と呼ぶ人もいるほどの、深い深い道無き渓谷である。
ダム湖上端から遡ること20数キロで、遂に新潟県と境をなす朝日連邦主稜線に至る、野生の谷だ。
そして、私が挑んだダム下流は、一度は林道開発の手に落ちた場所だが、現在再び自然に還りつつあるのは、偶然なのだろうか?
もしここが廃道で無ければ、林道好きのライダーが愛用する道になっていた気がする。
そう断言できるほどに、周辺の景観は美しく、おなじく2輪を駆る者として、魅力を感じる道だ。
故意に廃道化させられているような…そんな気がするのだが、考えすぎ?
なんとなくだが、その気になればこの道は復活できるような気がする。
土砂を除ければ、すぐにでも。
想像していたほどに、道自体が破壊されている箇所は少ないのだ。
かつては紅葉橋を封鎖していた力押しの鉄パイプ。
今は、藪という、鉄パイプ以上に多くのライダーに嫌われる“ゲート”が、林道全体を覆っている。
しばし登ると、断崖を脱し、その上にある樹林帯に突入した。
木々の作る優しい影の中を走るのは、最高に幸せだ。
足元もペダルよりも浅い草むらで、しかもその下の路面は以外にしっかりとしている。
登りは続くが、走っていて幸せを感じられる廃道になってきた。
むしろ、“私だけの道”という感覚を得られる分だけ、廃道万歳かも。
そんな穏やかな森のそこかしこには、昨日までの記録的大雨の傷跡が幾つもあった。
昨日の雨だけでこうなったのではないかも知れないが、とにかく凄まじい土石流の痕跡だった。
累々と積み重なる、人ほどもある巨岩の山。
根こそぎ引きはがされた若木や、倒木多数。
道は、厚さ2m以上も埋もれていたが、チャリの強みで、ここを落ち着いて担ぎ突破。
谷間の林道は、林道に限らないのだが、雨には本当に弱い。
一見高所の細いところを行く稜線の方が脆そうだが、稜線の道は大概の災害に強い。
毎年こんな繰り返しでは維持していくのも大変だっただろうから、管理主体の朝日村にとっては廃道の方が助かるのかも。
遂に轍かと思ったら、今度は沼だった。
丁度道がそのまんま沼になっている。
チャリだとこれは全然面白くない。
ライダー的には、どうなんでしょうねぇ?
13時13分。
度々足止めを食らいながらも、すすむにつれて、確実に乗って走れる割合は増えてきていた。
この調子ならば、八久和ダムまで行けそうな気がしてきた。
渓流は依然傍にあるが、鬱蒼と茂る森に阻まれて見えなくなった。
あたりの森はブナも散見される広葉樹林で、植林されたような杉林は全然無い。
林道脇らしからぬ景色だ。
2畳ほどのコンクリートは、またしても無名の橋のものだった。
橋は、やはり親柱も欄干もなかった。
薄暗い林間の橋…、
まだ、ゆっくりと立ち止まる気にはなれない。
13時16分、涼しい風の渡る木立の元で、やっと車道らしくなった。
轍は新しくはないが、この辺りまでは、時折車も入っているように思えた。
道幅も広くなり、林道と言うよりも、古道のような風情もある。
ガードレールなどの金属は利用せず、コンクリも僅か、路肩の施工は石組みが主体。
何とも古くさい道だ。
林道と同時期に建設されたと思われる行く手の八久和ダムは、昭和32年竣工だ。
ダムが建設される以前には、集落もあったという(!この山中にだ!)
沈んだ八久和の集落へのメインの道は、険しいこの八久和川沿いではなく、山越えで東の大鳥川へと通じていたという。
その道は、今でも八久和ダムに至る唯一の生きた道となっている。
ダムによる増水注意を促す看板も現れだした。
看板は、比較的美しいままだが、河床へは100m近い高度差が生じており、よもやこの辺りから下りようとする人も無かろう。
廃道は脱し、轍のある道に出た。
だが、まだ…。
まだ怪しい感じがする。
どの轍もタイヤパターンが全然読めず、相当に古いのだ。
まだ不通区間がある気がする。
轍があるといっても、ご覧の通り。
僅か3条ほどな上に、それも古い。
再び橋を渡る。
ぬかるんだ橋だ。
もう、いい加減ダムが見えてきても良い頃だと思うのだが…。
土石流地帯を脱してからは、ゆっくりではあるが確実にチャリに乗ったまま進めている。
またも、道は土石流の残した物に呑み込まれた。
その上に轍は、当然ない。
ぬかるんだ河原のような道を、渉る。
ここを越えれば、轍復活かと、期待もふくらむ。
終点へ…
13:32
キツかった登りもここで終わり。
この先は、短い下り道。
森からパァッと日光の元へと脱すると、乾いた砂利が足元に覗いていた。
やっと、やっと、脱出したかと思ったが、もう少しだけ廃道は続いた。
ミラーのなくなったカーブミラーの奥には…。
変哲の無い重力式ダムの姿だが、感動したね。
やっと、辿り着いたんだと。
もう、アクシデントは期待しないでね。
廃道区間は、はじめの紅葉橋の辺りが一番酷かったし、辛かった。
その先も、1kmほどはチャリが邪魔なだけの道だったが、徐々に改善の方向が見えてきて、また景色が良かったこともあり、つまらなくはなかった。
チャリで廃道をッ、というのが好きな人には、オススメできる道だ。
チャリならば、頑張ればまだ通れる。
チャリならばだ。
自動車は無理。
バイクは…一応前例があるから…通れるのかな…?
これまでの写真を見て判断して下さいとしか言えないかも。
沼だ。
しかも、オタマジャクシがリムに絡みまくり。
スマン。
殺す気はなかったんだ…。
今年に入ってからは、この辺りのダム傍ですら、車が入っていないのかも知れない。
或いは、物好きなライダーも来てないのかも。
以前はツーリングマップルにオススメルートとして描かれていたという八久和林道は、確かに、廃道でした。
しかも、かなり濃い。
一年前の私なら、撤収していたかも知れないほどに。
唯一の救いは、進むほどに廃道から脱していくという展開だ。
もしこれが逆で、下れば下るほど荒れていくのだったら、精神的なプレッシャーは、こんなものではなかったはずだ。
廃道に関して言えば、下りより上りの方が…マシだ。
ここだけは八久和川から離れ、支沢である子熊沢へと少し分け入る。
そして、小さな橋で渡ると、再び八久和川沿いへ戻りながら、ダム堤体の高度に合わせる為の緩い上りになる。
おそらくは、この無名の橋のために設置されたものだと思われるが、ここにも朽ちかけた「14トン重量制限」の標識があった。
まだちゃんと立っており、道の景観とはおおよそ似つかわしくない重量制限の標識は、萌えた。
水量の多い小熊沢を渡る橋は、やはり欄干のない簡素なものだった。
ここに至っても、まだ土石流の傷跡が、そのままになっていた。
この災害をもたらしたと思われる雨は、昨日一日ではなく、この地方では1週間以上続いていたから、実は私が走ったときには特に荒れていたのかも知れない。
今ごろは、意外に復旧されている可能性もある。
まあ、
地点の8枚目の写真の広場より下流は、“天然”っぽいが。
ダムがすぐ傍に見えてきたところで、やっと、つけられたばかりの轍に出会った。
しかも、轍はここでターンした形跡がある。
この手前の道は土石流に呑まれていたのだから、無理もない。
結局、紅葉橋〜八久和ダム間のおおよそ5kmは、全線に亘って不通になっていた訳だ。
典型的な、廃道だった。
13時41分、八久和ダム堤体へ到着。
一応、ここで八久和林道は終点とする。
なお正面の藪も、私の地図には道が描かれているが、もはやその痕跡もない。
完全に打ち棄てられたものと思われる。
この先、堤体を渡って鱒淵林道になり、大鳥川沿いで県道に合流するには、ハードな山越えがあと14kmほどある。
引き返した方が、早いのかも知れないが…。
もう一度廃道をやる面白みもないので、ペースを上げて進むことにした。
現在時刻を考えると、猶予はない。
直線の堤体。
こういう造りも、最近では余り見ない思う。
そして、何より驚いたのは、異常な水位の高さだ。
堤体の壁の5mくらい下まで喫水している。
堤体上には作業員が歩いており、なにかただ事でない雰囲気。
しかも、小舟で湖上に居る作業員もいるし…。
まさか引き替えせとは言われないだろうが、八久和ダムに何が起きているのか?
大丈夫なのか、この水位は? 老朽化してそうなのに…。
そして、この色。
コロラド川か、ここは。
本来ならば、これ以上なく清冽な水を蓄えているはずの、八久和川上流のダムなのだが…、雨のせいだけとは思えない汚れ方。
むしろ、下流の方が水は綺麗だった。
発電所はここにはなく、長い長い導水トンネルが大鳥川まで掘られていて、そっちに事業所や発電所がある。
通常は、無人のダムだ。
それもそのはず、こんなに水を蓄えているのに、放水は僅かなものだった。
チョロチョロ程度。
しかも、やっぱり流れ出す水もコロラド色だし。
そういえば、月山ダムの水が濁っていたのも、雨のせいばかりでなくて、上流のこのダムのせいかも。
お陰で、私は水没隧道一本に入り損ねているので…、複雑だ。
堤体で作業していたのは、東北電力だった。
一昔前は、水力発電用ダムといえば、殆ど人目に付かない、こんな山中にひっそりとあった。
この八久和など、集落移転があったというのも俄には信じがたいような、山中である。
近年は、より大型のダムが、徐々に人里へと接近してきている傾向があるように思う。
林道を湖に沿って数キロ遡ると、この濁りの正体が判明した。
あれは、浚渫船である。
ダムはいま、浚渫工事の真っ最中で、湖底に積もった堆積物を取り除く作業中だったのだ。
それは、濁るのも無理はない。
異常な水位の高さも、この工事と関連しているのかも。
良く私の職場にもお買い物に来てくれるユアテックの舟だった。
こんな場所でも、働いているなんて…お疲れさま。
とりとめもなく、レポ終了。
完
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