道路レポート 宮城・福島県道107号線 赤井畑国見線  <第三回>
2005.6.23

 七里沢隧道 
2005.3.24 8:57


 県道とは名ばかりの、おぞましい極狭廃道を、残雪にも苦しめながら上っていくと、唐突に道は斜面に正対するようにカーブした。
その先に何があるのか、予感はあった。

おそるおそるカーブの先を覗いてみると、やはりそこには、穴が口を開けていた。

道中唯一の、隧道である。



 隧道は、七里沢と、その一本西側の無名の沢との間にある痩せた尾根を貫通している。
斜面は急で、坑口の上は、垂直に近い角度で、稜線まで駆け上がっている。
周囲は、杉林であるが、将来的に伐採するときには、県道が再整備されるのかもしれない。
素人目には、そろそろ伐採できるのではないかと思えるほど、太く高く生長している。

さらに隧道へと接近。



 ここまで近づくと、異相なる坑門が、ハッキリと見える。
一応コンクリート製ではあるのだが、特に意匠と呼べるものはなく、扁額もなく、全体に苔が生えていて、陰鬱な雰囲気に包まれている。
坑口前は深い切り通しであるために倒木と残雪が大量に堆積しており、その上、ガードレールによる閉鎖と相まって、容易には接近させてくれない。
チャリと、リュックを、それぞれ別々に運ばねばならなかった。

 頼りない坑口の奥には、確かに反対側の明かりが見えていて、ここをバイクで貫通した人がいるからには、突破しないという選択肢はないのだが、私はここまでの残雪の量を考えると、さらに標高が上がっていく隧道の先の道中は、チャリで踏み込むべきではないという、決断に達した。
山中泊する装備はあったが、そのつもりはないので、万一にも、チャリが足かせとなって行動不能の深みにはまるわけにはいかない。

 この隧道さえチャリで突破したとなれば、まあ、大勢の読者さんから文句も出るまい…。
そんな打算も、あった。


 この隧道を最後に引き返しを決断すると、やる気が湧いてきた。
この隧道だけでも、誰よりも詳しく持ち帰ってやろうという意欲に、燃えた。

偉大なる先人達が挑み、通り抜けてきた隧道へ、はるばる秋田から参戦した山行が・ルーキー号も、突入ののろしを上げる。




 内部は、いきなりの水没である。
隧道外には、残雪が1mほどの壁になっており、この雪解け水が流入しているのだろうが、そればかりではなく、内壁からもひっきりなしに水滴が落ち、透明な水面に波紋を広げている。

 写真の通り、内壁はコンクリートで巻き立てられ、一応は県道の車道トンネルとしての体裁を整えている。
この隧道を管理している宮城県では、この県道を廃止しておらず、行政上は現道という扱いなのだ。
しかし、路面と側壁の間にある、奇妙な段差は、一体何なのだろうか?
両側にあって、かなり奥まで続いているのが見えるが、強度を増すために後から設置されたのであろうか?
側壁との密着が不十分であるために、ところどころ、内側に傾いている。
現役のトンネルでも、電線などのライフラインを収納するスペースとして、側壁にこのような構造物が設けられているのを見ることはあるが、この隧道のものは、そのような性格のものではないことが、少し進むと判明する。

早速にして、ノーマルなコンクリート巻き隧道の真似事をしても、どこか可笑しげな七里沢隧道。
行く手に待ち受ける変態的アブノーマルは、もはや約束されたものだったのか。


 針金のように細い鉄筋が、コンクリート側壁の地下水によって削られた箇所から露出している。
地下水によってここまでコンクリートが禿げている時点で、適切な管理がなされていない事はあきらか。
一体どれほどの時間を、放置され続けてきたのだろうか?
強度を増すためのコンクリート覆工も、ここまで痛んでしまえば、もはや意味はないだろう。
逆に、崩壊危険物が増えているだけだ。



 20mほど進むと、上り坂になっているのか、洞内の水は引く。
そして、そこに現れたのは、一条のタイヤマーク。
オフロードバイクのものに見える。少なくとも、チャリではない。
やはり、この隧道を、この県道を、バイクで突破する猛者は、実在しているのだ。
チャリでさえ、乗車して進むのははばかられたのに、このタイヤマークの主は、乗ったまま突破してしまったのだろうか?
傍には、お馴染みのニクキュウマークもいくつか見られたが、水滴に因る自然作用ではないかという疑惑が、最近持ち上がっている。
天井から滴る水滴が、柔らかい砂地に数回落ちて、その後止まった場合、極めて近接する場所に複数の凹みが生まれて、あたかもニクキュウのような模様になるのではないだろうか?
あくまでも、推測に過ぎず、なぜ、かならず猫のニクキュウ型をとるのかは、判明していない。
これを、「トンネル-ニクキュウ効果」として、今年のオブロード学会の研究テーマになっている…。

 …あ、何言っているんだ俺。
へなりさんの生き霊が、まだ洞内にいたのか?!乗り移られた?!



 あっけなく本性を現す七里沢隧道。
全体の三分の一も進まないそばから、コンクリートの巻き立ては消滅し、まるっきり素堀りの壁面が現れる。
昭和二八年に開通したと、「全国隧道リスト(by 山形の廃道様)」にも記載されている本隧道であるが、当時と余り変わっていない姿なのかと思えば、当時は幅3.6m高さ2.4mと記載されており、現在よりも明らかに狭すぎる。
この奥にあった三安鉱山へのトラック道路として開通したようだが、開通後に断面拡張工事が行われているのだと思われる。

しかし、この隧道には装飾や美観といった外行きの顔は、ほとんど見られない。
もとより、鉱石運搬路として建設された隧道ゆえに、坑道の延長のようなイメージに見える。



 全長109mの中程まで来ると、またも隧道の形相は変化する。
その姿は、沢山の隧道を歩いてきた私も初めて見る、ものであった。

内壁を覆っている物、
それは、紛れもなく、木材であった。
これが、かなり珍しい物であることは、今まで私が見たことがなかったと言うことからも、前出の“隧道リスト”において、覆工の種別が「木造」と記されている物が、極めて少ないことからも、言えるだろう。
ただし、隧道リストにおいては、本隧道は素堀と言うことになっており、この木製の内壁が、本当に「木造隧道」と言える物なのかは、疑問が残る。
東北には、「木造」は一つもなく、新潟県の「鵜泊隧道」というのが、木造と記されているものの、その姿が判然としない以上、断定は難しい。

ただし、間違いなく、現在もこの七里沢隧道の内壁は、木材によって覆われている。
正確には、パイプ状の鉄材を骨組みとして、これに板状のおそらく杉材と思われる板材が、渡されている。
意外に崩壊は少なく、それなりに安定しているように見えるので、材木の腐築具合から見ても、竣工当時のものではないように思える。
やはり、後年に拡張工事が行われているのではないだろうか。


 素堀と、木材覆工の境目から、元来の素堀壁面を覗く。
意外に地下水の漏れもなく、材木も乾いていて状況はよい。


 木材の隙間からは、白っぽい素堀の壁面が、ちらちらと見えている。





木材の限界。

と言うわけではないだろうが、隧道も終わりが近づいてきた、山崎峠側坑口から30mほどの地点にて、大規模な崩壊が認められる。
ここで何が起きたのか、それを想像することは、状況を見れば容易いことだ。

内側に向けて、だらしなくひしゃげた鉄の支保工。
一部が砕け散った木材が、今もまだ崩壊が続いているかのように、車路に干渉する位置まで垂れ下がっている。
一切の覆工が失われて、ざらついた内壁が露出している箇所は、他の部分よりも天井や側壁にスペースが大きい。
そして、路面に盛り上がった、瓦礫の山。

紛れもなく、鉄と木のハイブリッド覆工を崩壊させる、大規模な崩壊が、ここで起きたのだ。

 廃止された隧道を沢山見てきた私には、この崩壊自体に対する驚きはない。
手入れを受けなかった素堀隧道が、当然迎える結末だからだ。
死してなお現役であり続ける宮城県一般県道107号線の“凄み”は、この箇所に凝縮しているように思えてならない。



 天井に穿たれたスペースの大きさや、容赦なく曲げられた太さ10cm近い鉄パイプが、崩壊の規模の大きさを物語っている。


 崩壊した坑道と言われれば、そのまま当てはまりそうな景色。
一般車両が通行するべく指定された県道とは、余りにもかけ離れた姿。

将来的に隧道を改修する計画があるとしても、崩壊が始まった隧道は、そう遠くない未来、確実に致命的な崩壊を迎えることだろう。
ここまでの道の有様を見ても、もはや、この県道が復旧される可能性は、限りなく低いと言わざるを得ないだろう。
今はまだ、物好きなオブローダーの慰み物として、一応生きながらえているが、この隧道が崩れ落ちたとき、本当の意味で、道としての機能は完全に失われるに違いない。

七里沢隧道と共に、宮城県道107号は、永遠に帳簿上だけの存在になるのやも、しれない。




 崩壊地点を振り返る。
崩壊地点を過ぎると、再び隧道は元の平穏を取り戻す。
素堀に戻ると、間もなく、コンクリートの覆工が再開され、入り口側と同じ順序で覆工の種類が矢継ぎ早に変わっていく。
ライトを消しても走れるほどに、明るくなってきた。


 出口付近は、外部から流入した泥により、かなりぬかるんでいる。
坑口は、土砂によって丘のように盛り上がっていて、ここにもバイクの轍が見られた。
当然、この雪が積もる前の轍であったが、そう遠くない過去に、隧道は利用されたようだ。

この先へと進んで、峠をきわめたライダーがいるという現実が、私の負けん気をチクチクと刺激した。
でも、峠までは、もう3km近くあるはず。
ここまでの積雪状況を考えると、一体何時間かかるか分からない。そんなリスクは、冒せない。



 出口にも、簡単な通行止めゲートが打ち捨てられたようになっていた。
山崎峠から隧道までの区間が、最後に車で通れたのは、一体いつのことなのか。

たった109mとはいえ、衝撃的な内部構造を持つ七里沢隧道を、正味2往復、合計20分かけて通過した。



 七里沢隧道山崎峠側の坑口前の様子。
これを見たときに、またも複雑な気持ちになった。
なにせ、先ほどまでの鬱蒼とした杉の森の北向き斜面とはうってかわり、今度は明るい南側の景色だった。
坑門前の積雪も少なく、これならば、もしや行けるかも、そう思ってしまうのは必然だった。

 思えば、私の行くか行かぬかという葛藤は、いつも、
たった一つでも好条件があれば、それだけでいとも容易く、不利を跳ね返してしまう脆さがある。

今回もそうだっだ。
カーブのその先を見もしないで、既に心は峠へと突き進んでいたのだ。
そして、その決断を下した自分が、妙に誇らしく、頼もしく思えてくるから、困ったものなのだ。
いままでも、後悔したことは数知れないのに…。
たまたま突破できればいいものの、レポートにもなっていない失敗山チャリが、その陰に無数にあるのに…。







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