明治県道 仁賀保線  その1 
公開日 2005.10.27



 矢島市街地の県道網
 2005.10.24 8:15

1−1 矢島市街地の道路網

8:15

 目的の旧県道を探索する前に、足慣らしとして矢島町中心部を縦横に走る県道の様子を紹介しておこう。
コースは右の通り、中心市街地から西に外れた山寄りにある針ヶ岡を出発し、箸之王子(はしのおうじ)、荒沢、矢島町、水上を巡り、針ヶ岡に戻ってくる。一周6キロ弱の矢島城下町巡りコースである。
私は矢島町商工会のまわし者ではないが、このルート、はっきり言ってオススメである。 ひなびた商店街ファンにも、田舎フリークにも、県道マニアにも、満足の二字を印刷する。(うわっローカルネタだよ…)

 では、針ヶ岡に出現!


 針ヶ岡を出発して主要地方道32号(仁賀保矢島舘合線)を200mほど南下すると、すぐに大きな上り坂に突き当たる。
道幅に対し十分すぎるほどの存在感を見せる青看が設置されており、見事な“串団子”となっている。
最終的な行き先は青看に示されたとおりだが、右折すれば花立牧場にて道が二手に分かれ、県道58号象潟方面と、県道32号線仁賀保方面とが分かれる。この合流地点から花立までの6kmは主要地方道二本の重複区間であり、高低差300mを数える厳しい九十九折りが待っている。
途中には九十九折りに張り付くように集落(参考写真)が立地していたり、なかなか魅力的な山村風景が見られ、オススメのドライブコースだ。
前回の前説で少し触れた、昭和5年以降に開発された県道路線というのは、この道のことだ。


 合流地点を振り返って撮影。
左が、私の下りてきた県道32号線で、右は県道58号線。
どちらの道もあと2kmほどで国道108号線にぶつかっている。
明らかに道幅も広くメーンとして利用されている右の道は、昭和50年頃に新設された県道のバイパスで、それ以前は県道32号線と、58号線の前身であった一般県道109号(象潟矢島線)とが、共に左の狭い道を重用していた。
その後、109号線は主要地方道58号線に昇格するのと前後して、バイパスを得、現在の形となったのである。

 あ、あなたどうでも良いような顔してる?

 

 県道58号線のバイパスは殆ど直線の下り坂で矢島盆地へと一気に下りる。
年間の相当日数は朝霧に隠される矢島盆地も、この日は前夜までの雨が上がった直後で、霧は出なかった。
お陰で、盆地の反対側にある八塩山地の広がりが望見された。
なお、あの山並みの反対側は東由利町だが、矢島町と同様に由利本荘市の一部になった。

 ここで語り始めるには明らかに紙幅が足りないが、秋田県で行われた平成の大合併の効果は覿面で、一例としての由利本荘市は1市7町の合併によって県土の10%もの面積を占めるに至った。
その広さは大阪府の60%にも達している。
故に、旅行者の感情としては当たり前のように「広い」と実感されるわけだが、実際にこれだけ大きな山地の裏側も同じ市だと言うことを見れば、納得していただけるだろう。
そこに地域性などと言う統一感を求めることは難しく、それは広域合併のデメリットとして周知の通りだ。


 盆地は狭く、たった1500mほどの直線道路で半ば通り過ぎ国道108号線に突き当たる。
途中には主要地方道70号線との十字路交差点があるが、特筆することは何もない。
この国道とのT字路にも、別段見るべきものはないが、信号機は未設置であることを伝えておこう。

 さて、ここまで下り一方であっという間に周回ルートの折り返し地点まで来てしまった。
いったい何をヨッキれんは伝えたいのか分からないと言う読者が殆どだと思うが、まあ余り深く考えず淡々と見ていただきたい。
別に、凄い物があるわけでもないのだ。
日本にここだけの景色があるというのではない。

 単に、私が好きな景色が、このあとは盛りだくさんだ。 というだけ。



 朝夕以外は通行量も疎らな国道をたった250m北進すると、新町交差点で、今度は主要地方道32号線が左に分かれる。
この交差点が、矢島町ではもっとも通行量が多い交差点だと思われるが、青看の通りやや変則的な接続となっているので、夜間など車で通りかかるときはよく路面のペイントを見ていないと、行きたくない方向にいつの間にか行ってしまったりする事がある。
なお、ここに立っている“おにぎり”の地名表示は「新ラ町」で、どう読むのか長年謎だったが、何のことはない、単純に「あらまち」と呼ぶのだった。

 では、左折して針ヶ岡へと戻り始める。



 主要地方道32号線は、矢島市街地のほぼ全区間において1車線ないし1.5車線という狭隘さである。
しかし、この道はこの先の役場付近まで国道だった時期がある。
現在の国道は昭和50年頃に開通したバイパスだ。

平行する主要地方道58号線が田んぼの中を突っ切っていたのとは対照的に、こちらは古くからの道だけあって両側に民家・商店が連担している。
この比較を単純に考えると、まるで同一路線の新旧道のようだが、全く別の路線として指定されているところが、面白い。



 荒沢川を渡る橋は間木橋というが、ここに珍しい“白看”が、辛うじて残っている。
山行が読者の多くはもう説明不要かも知れないが、新しい読者のために簡単に解説しよう。
通称“青看”というのは、現在一般的に使われている道路標識の案内標識全般を言う。
一方“白看”も標識としての効用は同じものだが、すでに廃止されて久しいデザインなのだ。
白から青に標識のデザインが変わったのは、道路標識令の改正によるもので、段階的に変更されたわけだが、おおむね白看は昭和25年から46年頃まで利用されていた。
以後、案内標識は青色をバックにしたデザインに統一されている。
故に、白看を発見することは、その道が主要な道として利用されていた歴史を知ることに繋がる。
現在のように標識が多くなかった時代にわざわざ標識が設置されていた道は、その時期の主要な道だったと考えて間違いない。



 ここが、主要地方道70号鳥海矢島線の終点である。
1.5車線の主要地方道同士の交差点というのも今時珍しいし、交差点全体が傾斜の中にあるなど、古い造りが心地よい。
70号線側には坂を渡る飾り門が残っており、これもまた二昔前の商店街などで見られた懐かしいオブジェと言える。
矢島町中心地全体で見られる「安全坊や」の変形版たる「ち○まるこちゃん」も、なんだか優しげな表情だ。(なんだか無理矢理情感に持って行こうとしているな、俺。)



 たった4ヶ月だが“県都”だったこともある矢島市街には、見るからに古そうな建築物も残っている。
これは、旧役場だろうか。
モダンなどという言葉がしっくり来る。

 前説の通り矢島町の現状は山村の過疎地に過ぎないが、独自に小中高校の全てを配し、自前の鉄道(鳥海山麓線)を持ち、通信インフラ(光ファイバー!)まで有する。
願わくば、もう少し秋田市からの交通の便が良ければ住みやすいと思うのだが…、国道108号線はバイパス化が終わっているとはいえ本荘市街地がボトルネックになっている。
酒田地方にも距離的には秋田市に行くのと大差ないが、山道をはるばる通っていくのは日常的ではない。
これらの問題は、日本海沿岸に現在建設中の日本海沿岸東北自動車道の進捗に合わせ改善されていくと思う。




 懐かしい街並みを往来する羽後交通のワンマンバス。

羽後交通やその前身は、かつて由利・仙北の両地方を鉄道で連結せんとことを幾度と試みており、県内を代表する鉄道廃線「横荘線」や「雄勝鉄道」などを残した。
そう言う意味から、我々オブローダーにも縁遠からぬ存在だと思っている。
果たして同社がそれを歓迎するかはわからないが。



 ちょっとニートの俺にはキッツイな。





 街並みにフィットした小柄の青看は、狭い盆地の端点にある分岐を示す。
直進は針ヶ岡を通って、私のスタート地点に戻る。
右は、現在ただの町道であるが、以前は国道、古くは矢島街道という地域にとって最大の幹線だった。
国道のバイパスが現在の位置に開通して以来、静かな生を送っている。

 

 水上地区は、矢島街道から分かれ針ヶ岡や濁川などの山地集落に至る生活道の入口であると同時に、鳥海山修験道や登山、仁賀保へ至る交易の道の入口でもあった。
徐々に勾配を増していく県道の両脇には、犇めくように民家が並び、やがてそれすらも許さぬほどに両側の山肌は狭まってくる。
車同士すれ違う事も出来ないほどの狭い上り坂が、この先900mほども続くことになる。
地味だが、なかなかに味わい深い県道風景だ。




 上りの途中で道は二叉になる。
ここが、今回のレポの最終的な終点になる予定の場所だ。
どういう意味かというと、左の道は現在の県道で、右は明治県道なのである。
最初から分かっていたわけではないのだが、興味を持っていろいろと調べているうちに、この分岐から右に入って上っていく道こそが、明治初期に県道仁賀保線に指定され、大正時代から昭和27年までも県道として存続していた道であることを突き止めた。
その後は県道を解除され、時期的に重複しつつも県道としては後発だった左の道が、今日まで県道であり続けているのだ。
単純に同一の道の新道と旧道というわけではないが、同じ目的に供された道としては、明らかに新旧の関係にある。

 今は左に行く。
最後は、この右の坂から下りてこられたら、旅は成功と言うことになるだろう。





 新道などと言っても、とてもとても今日的な意味の新道ではない。
昭和中頃の新道とは、おおむね車が通れるように改良されれば新道だったし、場合によっては徒歩道に牛馬が通れる様に改良されても、新道だった。

 それはさておき、息つく暇もない急坂の途中にはしっかりとデリニエータ(初心者向け解説:視線誘導標のことで、夜間など車のライトに反射して、道路の形状をドライバーに伝える器具全般のことを言う。棒状の物の場合、側面にその道の管理主体の名前が書かれている場合がある。たとえば「建設省」「国土交通省」などとあればこれらの直轄国道(かつての一級国道とほぼ同義)、「都道府県名」ならば国道や県道、「市町村名」ならば市町村道という風に理解できる。)が点々と立っており、県道を誇示している。



 いよいよ険しさに民家が途切れ、鬱蒼と茂る杉の森を登るが長くは続かず、景色が開けると針ヶ岡地区だ。
道がやっと少し広くなって、思い出したようにキロポスト(秋田県では独自デザインのキロポストが県道にて採用されている。県道を知る手懸かりとして役立つ。)が現れる。





 盆地の底から見た時とはまた違った印象を見せる、八塩山。

この主要地方道32号線は、以前もミニレポで別の区間を紹介したことがある。
あれは、矢島から東由利までの未改良区間だったが、八塩山の西より稜線を越えている。
2005年10月に再訪(参考写真は峠。舗装が新しい。)してみると、さらに舗装区間が延長されていることを確認したので、まだ十数年はかかりそうだが、全線舗装の可能性が出てきた。
   


 針ヶ岡地区は盆地に望む鳥海高原北側斜面の一角に古くから人の住まう地だ。
立派な開墾碑のある三叉路は、右が県道。
左の道も県道とやがて合流するので、実質どちらでも問題はないのだが、県道を正確にトレースしたいなら、右だ。


 針ヶ岡集落内の県道もまた、極めて狭い。
言うなれば、軽トラスペック。

 この写真の三叉路もまた今回のレポでは重要な場所であり、左前方が県道であるが、右前方は資源開発道路として開発された歴史がある。
そして、県道と同様にこの資源開発道路もまた、鳥海高原の花立牧場に通じている。
実は、この資源開発道路の方が現在の県道よりもわずかに先に車を通した歴史がある。
昭和19年に着工し数年後に完成した資源開発道路(現・町道)に対し、現在の県道が濁川を通って花立まで(車を)通したのは、昭和30年代以降と考えられている。

 とりあえず、県道を直進し一周してしまう。
もう少しだ。

 鬱蒼とした森の中の小道だが、県道だ。
右側には神社や忠魂碑などがいくつも立ち、右側には農家の巨大な家屋の裏庭や畑が見える。
敢えて集落の中心を避けて道を通したようだ。
繰り返しになるが、昭和50年に現在の県道58号線のバイパスが開通する以前は、この道が鳥海山と矢島町を結ぶ道のメーンであった。
往時の登山バスは隣接する鳥海町の鶯川林道を通って鳥海山に登ったらしいが、確かにこの道はバスが通れる道ではない。

 この道の次の場面は、一番最初に紹介した写真の場所に繋がる。
これにて一周。
距離は6km、要した時間は、のんびり走って30分と言ったところだ。

 どう、このコースあなたも?!

 そして、次回からはいよいよ、山チャリらしい行程に…。



      次回、資源開発道路へ。












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