いよいよ隧道に侵入する段階まで、前回レポートした訳だが、実は皆様に残念なお知らせがある。
現時点では、内部の詳細なレポートをひかえたい思うのだ。
理由は、この探索前にデジカメの電池が切れるという、痛恨のアクシデントに見舞われた為、内部の様子を記録できていないのだ。
前回の野外部分については、苦しいながらもケータイのカメラで何とかなったのだが、闇の世界においてフラッシュを持たないケータイカメラでは残念ながら、鑑賞に堪えうるどころか、何を撮影したのかも分からないような真っ黒の写真ばかしか得られなかった。
むろん、文章だけで状況を紹介するということも考えたのだが、私の力では写真なしで、本隧道のインパクトをお伝えできないと判断した。
今回は、誠に勝手ながらレポートを一時保留させていただく形をとるが、再調査を現在計画中であり、数ヶ月以内には結果を報告できると思う。
突然の軌道修正のお詫びに、辛うじて「何かが写った」写真を中心に、内部の様子を紹介したい。
ただ、敢えて詳しい説明は省かせていただいた。
今は見て、想像してほしい。

開け放たれた鉄の扉。
南京錠は、なぜか初めから外されていた。
吹き抜けてくる冷たい風が、頬を打つ。

まるで、今にも闇を突き破り、列車が接近してくるような錯覚を覚える。
まだ、現役の路線のようにしか見えない。
錆びたレールが、バラストの上に正確に置かれている。

坑門から届く光は、50メートルほど進むともう殆ど足下を照らさない。
懐中電灯とヘッドライトだけが頼りの綱だ。
残り、1420m。

天井には、巨大な碍子が点々と連なる。
架線も張られており、進むほどに暗さを増す洞内に心細さが募ってくる。
だがまだ、この闇を歩き通すことの本当の怖さを、知らなかった。

200mも進むと、もう振り返っても明かりは小さく、前を向けば目に張り付いて来るような濃密な、黒。
レールは、いつの間にかバラストの代わりにコンクリート敷きとなった床に、枕木もなく設置されている。
あと、1220m。

?!
私が、闇の中に、何かをとらえようとシャッターを響かせる。
そのうちの一枚には、理解に苦しむものが撮影されていた。
もし、私がこの写真を洞内で確認していたら、果たして正気でいられただろうか…。
これは、いったい何なのだろう…。

本当に長いのだ。
延長1470mは、徒歩には十分に長い。
洞内には、水の流れ出る場所、乾ききった場所、そのほか様々なものが、あった。
入洞10分を経過しても、まだ出口は見えてこない。
ただ、振り返ると点のように微かだが入り口が見えていた。
救われた。

無機質的なコンクリートの隧道だが、飽きることはなかった。
壁にペンキで描かれた数字が何を示すのかとかを考えながら、出口までの距離と時間を想像しながら、歩き続けた。
ついに、入り口までも視界から消えた。

等間隔に現れる待避口には大と小が有った。
非常用電話の受話器を取る気には、なれなかった。

もう、どれほど歩いたのかも分からなくなっていたが、後から確認すると入洞から29分を経過していた。
やっと現れた地上の光。
安堵した。

1470mを歩き通した私を、なおも牢獄のようなスノーシェードが待ち受けていた。
その延長は、370m。
背中に闇が押し寄せて来るような、えもいわれぬ焦燥を感じ、私は小走りになった。
今だから思う。
私は冷静でいられるぎりぎり限界の恐怖と、興奮に包まれていたのだと。

入洞から35分を経て歩き通した。
再び脱出の機会を得た私だが、ここから出ることは叶わなかった。
鉄の扉は固く閉ざされており、仮に脱出したとしても、そこは一面の雪原だ。
行くあてなど、ない。
私は、信じがたいことだが、暗闇の中へ戻った。
帰りは、寄り道をせず歩き、28分間で入り口に戻った。
こうして、私の初めての大釈迦隧道の探険は終わった。
まだ 明かされぬ 謎を 遺したまま…
再訪しました!
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