隧道レポート 君津市二入の廃隧道 中編

所在地 千葉県君津市二入
探索日 2010.2. 6
公開日 2010.10.3

二入隧道(仮)内部探索 



2010/2/6 6:51 《現在地》

探索開始からわずか6分後の遭遇。

昭和43年発行版を最後に、地形図から表記の消えていた隧道は、平成22年の現在、まだそこに口を開けていた。

地図から消えた廃隧道は、人為無為の地形の改変によって、一切の痕跡を見つけられないことも珍しいことではない。
だが今回は違った。

“残っていた”どころか、むしろ現役当時よりも存在感を増していると思えた。
それは楕円形をした恐ろしく巨大な坑口だった。




隧道の目前に迫りたい気持ちを我慢して、おそらくは隧道以前の旧道と思われる、右の道へ登ってみた。

これまでの道と同様に、地表から深く削り取られたお椀状の道。
ただし異なっている点が2つ。

勾配がこれまでの車道を思わせるものではなく、30度はあろうかという登山道のような急坂であること。自動車の通る道ではないと思われた。
そして廃止されてからの年月がより長いせいか、或いは単に植生の違いなのか分からないが、路上にも容赦なく竹が生え、その累積した枯木とともに、極めて歩きにくくなっていたということ。

意外なことに、現在の地形図にも破線としてこの道は描かれており、100mほどで尾根に通じているのが分かる。
しかしこの苦戦に狼狽した私は、「隧道が呼んでいる」と自分に言い聞かせて、早々に退散した。
車道じゃないと、途端にテンションが下がるのはヒミツだ。






6:55 《現在地》

やっぱり、デカイ。


しかし、デカイデカイとこれ以上連呼していても始まるまい。

平常心を何とか取り戻しつつ、目の前の穴を観察してみる。


まずするべきことは…





チャリを坑口に置いてみた。→

微妙に隧道に対して遠慮してしまい(笑)、気付かぬうちに坑口より2mほど手前にチャリを置いてきてしまったのだが、まあ良いだろう。

横幅はほどほどなのだが、とにかく天井が高い。

しかしそれも多分に感覚的なものであるようで、サイズを数字にしてしまうと途端にインパクトが薄れる。
目測だが、幅4m、高さ6m程度だろう。
鉄道の単線トンネルを1.3倍くらいにした感じと言えば分かり良いだろうか。

もしも坑門がコンクリート製であったり、両翼に石垣でもコンクリートでも良いが側壁があれば、これ以上のインパクトは期待できなかった。
元は人の手による人工的な地形とはいえ、それさえ忘れさせるような土と植物だけによる造形が、その割に大きいという違和感を伴って、観察者を激しく動揺させるのである。

特に房総やそれに類するような地質の場所に住んでいない人間にとっては、この違和感は強烈だ。
何年も何年も岩場に鑿(のみ)を叩いた、慎ましやかな隧道ではない。
同じ手作業であっても、もっと大胆に大らかに行われた、房総らしい土木構造物である。




次のアングルが、個人的にはこの隧道の“ベストショット”だ。



まさに、大地に口を開けた巨大な穴。


本当に6mくらいしかないのかと思うかも知れないが、これは見え方のマジックであり、
坑門が垂直でないことと、上部に崩れた凹みがあるために、
内側からシルエットとして観察する坑門は、それ以上に大きく見えるのだ。




単純に大きさだけを見れば、“日本一大きな隧道”とかそういう類の物ではない。
また、明治の竣工当時からこんなに大きかったわけでもないだろうと思う。
これは明らかに自動車を意識したサイズだと思う。特に天井の高さは、馬車の常識を凌駕している。

しかし、見栄えという意味で、これほどまでに大きさが強調される隧道は、あまりない。
素堀りの隧道は得てして小さいのだが、そこが覆るだけで、こんなに衝撃がある。
また、凝った意匠など望むべくもない素堀の隧道であっても、年季は確実に「価値」を生んでいる。
ただ単に大きいと言うことを越え、周囲にある土や木の全ての造形を含んだ、「廃景」としての魅力が、この隧道の希少性を決定づけていると思う。




ゴタゴタ書いたけど、大きいのは間違いないぞ。
素堀隧道としては、今まで私が見た中で最大級だ。
それは保証する!




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こうして写真の中に比較対象物がなくなると、途端に大きさの分からなくなる洞内写真。
薄気味の悪さを堪能して欲しい。
フラッシュを焚いたせいで、さほど遠くない出口がほとんど見えなくなってしまっている。

洞内もサイズは坑口とほとんど変わりが無く、大きいまま。
道路用のトンネルは鉄道用とは違い、高さよりも幅員を重視する傾向が強いが、本隧道の天井の高さはかなり不思議である。
風化のために多少は断面が拡大しているだろうが、壁には掘削時に“道具”が付けた凹凸も残っている状況である。
現役当時からほとんどこのサイズであったと思われる。




隧道は目測全長50mほどで、出口まであと20m程度だが、相変わらずフラッシュ撮影のせいで外がほとんど見えなくなっている。

土の壁はコンクリートの壁面に比べて光を吸収してしまうために、長さと大きさの割に洞内は非常に暗い。
まして両坑口とも薄暗い場所なので、洞内の自然光は絶対量が少ない。
だから照明で補おうとするのだが、これまた土の壁に吸収されるし、何よりもその壁が遠い。

土の巨大なトンネルがこんなにも暗いと言うことを、はじめて知った。

洞床は砂地でフカフカである。
そして、轍は一切無い。
そこを自転車を押して進む。
一部湿気っていたが、あまり湧水のない隧道である。




写真だと伝えにくいので線を入れたが、天井のカーブがアーチ状ではなく、中央に角がある。

観音掘り」という工法を用いると、このような五角形の断面になるという話を聞いたことがある。
観音掘りは日本古来の坑道掘削の技術で、素堀りのまま巻き立てをせずに、地山の支持力のみでトンネルを維持する。

ここからは私の想像だが、房総では農業水路の掘削にこの技術が流用されたことで民間に技術が保存され、明治以降は道路の隧道工事に流用されたのではないかと考えている。
とにかく房総で広く見られる五角形断面であるが、いずれも戦前(多くは明治)の隧道である。

現在では、素堀であっても円形のほうが力学的に優れることが公然化し、そもそも手作業で隧道を掘ることが無くなったために、新たにこういう隧道が掘られる可能性は低いだろう。


「観音掘り」を含む、近世以前の日本にあったトンネル技術。
前から調べようと思っているのだが、今ひとつまとまった資料に巡り会えないでいる。
オススメの資料があればぜひご教授いただきたいです。



残り10m。

ようやく自然光での撮影に切り替えることが出来る。
入口ほどではないがやはり大きな出口の向こうでは、生い茂る竹叢が目に鮮やか。

それにしても、坑口付近はやはり風化が進みやすいのだろう。
遠目には観察できていた五角形の頂点が、ほとんど失われている。


あれ?
何かが「コンニチワ」してるぞ。





横穴発見!




でも、
なんか萌えない横穴…。





うん。

ないな。


俺は何も見なかった。


見なかったけど、おそらくは戦時中の防空壕。
人が10人、身を寄せ合えば20人は隠れられる広さの一部屋。
洞内の壁に比べて風化の程度が少なく見えるのも、後補の証拠としたい。
その後は物置として使われてきたようだが、中に入る勇気は出ず。

布団が、なんか禍々しい…。





入口は「集落に面する」と言っても良いくらいの立地だったが、出口は山の中である。

【地形図】を見てもらいたいが、隧道を出ると山向こうの集落があるという感じではなく、むしろ、より山の奥に入るための通過点なのである。

そんなわけだから予想はしていたのだが、この先は、今までよりも本格的な廃道のようである。(ゴクリ)
そして【古地形図】曰く、現在「房総スカイライン」が通っている尾根の上まで続いているはず。

距離は1kmもないだろうが、やはり行って確かめる必要があるだろう。
この道が何だったのかを知る手掛かりが欲しい。




次回、
隧道の先にある廃道とその結末。






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