隧道レポート 秋山郷の切明隧道(仮称) 第1回

所在地 長野県下水内郡栄村
探索日 2012.06.25
公開日 2013.06.02


はるか昔に平家の落人が開村したとも伝えられる、日本を代表する“秘境”のひとつ、秋山郷。

中央分水嶺のほぼ頂上に位置する野反湖(群馬県中之条町)から流れ出る中津川(魚野川)の深い峡谷に沿って、僅かな緩斜面(平地は無い)を見定めるように所在する小さな山村集落の総称が秋山郷であり、現在も集落の形を保っていると言われるのは、右の地図に示したおおよそ13の集落である。

中津川沿いに下流の見玉や穴藤(けっとう)より、最上流部の切明(きりあけ)まで、約20kmにわたって細長く点在する集落郡であるが、そのほぼ中間に中津川を横切る新潟と長野の県境があり、そこは近世以前から越後と信州の国境であった。まるで都市の為政者が設けた国境など過酷な山暮らしには無意味であると主張しているかのようだが、事実これらの地域は歴史上一度も主要な往来筋となったことがなく、基本的にどん詰まりの地域であった。

そんな交通の不便が秘境を秘境たらしめたのであるが、現在も国道405号は秋山郷を事実上の終点としていて、その先群馬県へ繋がる県境区間は車道未開通のままとなっている。
だが、今回私が初めて秋山郷を訪問した目的は、この登山道国道の攻略ではなかった。
そのターゲットは国道よりも早く、そして深く、秋山郷最奥集落「切明」の暮しに関わった、1本の隧道である。

その隧道をここでは仮に「切明隧道」と呼ぶが、国道沿いではなく、秋山郷を支えるもう1本の重要な道路である林道秋山線の沿道にある。
同林道は国道と違って冬期の除雪はされずに閉鎖されてしまうものの、長野県側の下水内郡栄村に属する上流部の集落(いわゆる“信州秋山郷”)と、同村役場のある宮野原方面を結んでいる。
もっとも、その途中でかなりの距離にわたって新潟県側の中魚沼郡津南町内を通らねばならないのは、これもまた歴史的な生活圏やその基礎となった地形に対する国(県)境の不一致を感じさせるが、“酷道”でもある国道405号を補佐する重要な生活道路となっている。また、観光面でも志賀高原と秋山郷を結ぶ唯一のルートとして重要で、秋山郷を6月上旬から11月下旬までの半年間、“車道のどん詰まり”から解放してくれる存在だ。

次に「切明隧道」周辺の最近の地形図をご覧頂こう。



この隧道は、前後の道路とともに今も地形図に描かれている。
場所は秋山郷の最奥に位置する切明集落の近くで、中津川左岸の山腹を通行する林道秋山線(地形図上では「1車線道路」の記号)に沿って、細い「軽車道」のラインが敷かれているのが分かる。
この両者の対比を見る人が見れば典型的な新旧道の関係性であると勘付くだろうが、同時にある一つの違和感も与えるだろう。

それは、地図上でおおよそ300mという結構な長さを有するトンネル1本を含み、北と南を短距離に結ぶ“近道”が軽車道の細いラインであるのに対し、それよりだいぶグネグネと“遠回り”をする道の方が太く描かれているという事だ。
普通は、「トンネル+短距離」が新道で、「グネグネ道+遠回り」が旧道であることが多いのだが。

このような看過しがたい違和感を含め、私にこの隧道の存在を教えてくれたのは、一人の読者さまだった。
情報提供者maggie氏のメールの一部を以下に転載しよう。(薄字部は筆者注、赤字は強調のため)

隧道は 資材運搬大正13年に竣功した中津川第一発電所の取水口を切明に設ける工事などに伴う)の終わりと共に 役目を終え その後地元住民の為に 道路として 拡張工事を 受けたのですが すぐに放棄され 
60代の地元の女性に 聞いた話では 子供の頃の 格好の探検場所になっていたそうですが、
かなり怖い所と 言っていました
今はおそらく 途中の道が 崩れているのかもしれません

私は ヘアピン側(左図中の「北口」)から アプローチしましたが 途中で 道が細くなり ここだと言う自信が なくなり  途中で 引き返しましたが 多分そこを進めば あったようです、反対側(左図中の「南口」)から アプローチしましたが 途中に ユンボが 置いてある Y字路を右に 行ってしまい 行き止まり・・・。正解は ユンボの方に行くみたいです しかし この道は 車でも 行けますが かなり恐怖です・・・
地図でも 解るとおり 隧道は途中で 曲がっており 入り口から 出口は 見えないでしょう

情報提供者さんは既に一度アタックされ、その時には残念ながら隧道まで辿り着けなかったとのことだが、同時に非常に貴重な古老の証言を収穫されていた!

歴史の詳細は最終回に譲るが、かつてわが国の工業化(特に首都圏への電源確保)の進展のため国策的色彩を帯びて進められた中津川流域における初期の電源開発工事が隧道を最初に誕生させ(それも資材運搬電気軌道として…つまり鉄道の線路が敷かれていたという←アツい!)、役目を終えた後は生活道路として使われるも、やがて再び廃止されるという、“二度の放棄”を含む経歴はアツい! アツすぎる!
しかもこのような交通における後進的な山中に、大正時代に起源を持つ隧道が眠っていると言うのも、大いに意外性がある!

険しい道には慣れっこであるはずの現地古老が、「かなり怖い所」と口にしているのは、少々…いや大いに気掛かりではあるものの…

こいつはmaggie氏の“仇”を討たねばなるまい!




南口をチラ見してから、北口よりアプローチ



2012/6/25 5:25 【現在地(マピオン)】

平成24年6月に行なった秋山郷方面探索の2日目早朝から、切明隧道(仮称)へ向かった。
アプローチルートは林道秋山線で、隧道の近くまでは車で行き、残りを自転車と徒歩で攻略する手筈とした。

写真は隧道の手前(北側)5km付近から切明方面を眺めたもので、視界の左端に中津川の大峡谷、残りは左岸に聳える鳥甲(とりかぶと)山2037mを主峰とする稜線だ。
残雪となった雪渓が点々と並列しているのが鳥甲山を象徴する山容である布岩であり、隧道はそれを谷底まで延長した位置に穿たれている。

さらにフレーム外の対岸にも同様に険しい山稜が展開しており、そこには一帯の最高峰である苗場山(2145m)が雲を背負って暗く鎮座していた。
これより奥にも集落があることが俄には信じ難いような、まさに山嶺畳々の風景であった。

又聞きした古老の証言が、早くも脳内に蘇ってきた…。




5:50 《現在地》

GPSで現在地を確認しながら、隧道の600m手前までやって来た。

車をこの辺りの路肩にデポし、ここからは自転車で進もうと思う。
あと200mほどで、新旧道の分岐地点(北口)が現れるはずだ。

5:50 自転車に跨って探索行動を開始!




出発してすぐに、お目当ての景色が現れた。
新旧道分岐地点の目印は、九十九折りの一つめのカーブである。

林道は、これまでほぼ水平に山腹をトラバースして来た流れを突然ここで翻し、2箇所の九十九折りで約100m高度を上昇させる。
その後再び元の高度に下りてくるので、そのために前説で述べたような“まわり道”をするのである。
対してこの“まわり道”をせず、そのままトラバースを続けるのが、旧道と目されている“隧道がある道”(=今回のターゲット)だ。
前者が3.1km(+100mのアップダウン)で結ぶ区間を、後者は2.5km(アップダウンは僅か)で結ぶ。



5:52 《現在地》  旧道北口に到着!

ごく簡単なロープゲートが閉じられていて車は入れないようになっているが、特に通行止めの表示は見あたらないし、それ以前に意識しなければ分岐があると気付かなそうなレベルだ。

ここから隧道の北口までは、わずか400mほどの至近である。
だが、その状態は事前の情報通り、決して安穏なものではないようだ。
だいぶ草むらが生い茂っており、道の分別が付辛くなっている。

細かいことだが、この旧道が最初に激下りで始まり、そこから水平に戻っているのは、冒頭部分が現道との擦り付けとして後付けされたためだろう。
こうした線形からも、どちらが新道で旧道であるかは明白であった。

予定通りここは素通りし、3.1km先にある反対側の入口(南口)を目指す。



地図に描かれた道と等高線の関係通り、分岐地点を過ぎた道は今までとは性格が変ったようにガツガツと上り始めた。
自転車であることを軽く後悔するレベルであったが、これは来るべき“本番”に向けたウォームアップと捉えたい。
朝一の探索だけに、廃道に対する準備運動は確かに必要である。
周囲の緑と一緒においしい空気をめいっぱい呼吸して、身体と心を高めていった。

なお、この辺りの道幅は1.5車線を維持しており、乗用車同士ならばどこでもすれ違える幅がある。
だが、林道秋山線の全線がこの幅なのではなく、今回車で通行した区間の中には2車線の部分もあれば、1車線の狭隘な部分もあった。
したがって全体的に見れば、観光道路としてはもちろん、生活道路としても整備が行き届いているとは言えない印象を持った。




路肩から中津川の谷を見下ろしてみる。

GPSによれば、この100mほど下(高低差は40mくらい)に隧道の北口があることになっているが、既に新緑から深緑へ変化した森が視界を遮り、その姿を見ることは出来なかった。
地形の緩急も今ひとつ掴めないが、岩場が露出しているような感じはなく、どちらかというと“樹海”の印象であった。

なお、対岸の緑の中には秋山郷の奥から数えて2番目の集落である和山(わやま)や、この道よりも遙かに高い山腹を通行する国道405号があるが、朝日の逆光がキツく見通せなかった。



6:17〜6:19 《現在地》

北口からちょうど2kmで高原状のややゆるやかな尾根に達し、そこに丁字路の分岐が現れた。
この間はひたすら上りで、標高は870mから1010mまで登っている。
これは中津川対岸にある国道とほぼ同じ標高で、谷底からは200m以上も高い位置だ。

ここは切明(直進)と志賀高原方面(右折)の分岐地点であるが、正式な路線名としては(手前の道を含め)どちらも林道秋山線である。
しかし右折の道は中津川支流の雑魚川(ざこがわ)に沿っているため、一般には雑魚川林道と呼ばれることが多い。

広域観光ルートとして見た場合には、むしろ秋山郷の表玄関といっても差し支えない重要な地点だけに、山中の信号もない交差点としては異例なほど、多くの案内物がひしめいていたので、印象に残ったものをいくつか紹介しておこう。



志賀高原側から来た場合の正面側に、特に沢山の案内板が掲示されている。
中でも目立っていたのは、秋山郷名物の栃餅大福本舗を謳う福原商店というお店の看板で、2枚の大看板には沢山の脂ぎった売り文句の他に、親切かつ念入りな地図が掲載されていた。
もちろん廃道の類は記されていなかったが、一番近いルートを選んでも8kmも山道を走らねば辿り着けない不利を何とか解消しようとする、とても強い意志を感じた。



書いてある内容は実に真っ当なのだが、3行目の「秋山郷は山また山の地域です」という文章を咄嗟に「山また山の地です」と酷い空目をしてしまったため、以後見る度に吹き出してしまうようになった看板。

今日は秋山郷方面探索の2日目だが、初日の経験がこの空目に繋がったといえる…(その話もまたいずれ…)。



青看も志賀高原側にだけあるが、林道上ということで正式な様式とは微妙に違うものだった。

秋山郷に属する多くの集落の名前が列挙されている(津南は違う)が、津南と屋敷の二つの地名は両方の行き先になっているなど、土地勘のないドライバーには寧ろ悩ましかろう。

そして「悩ましい」といえば…。




うっふ〜〜ん!!

混浴露天風呂が丸見えですがな!

え? 欲求不満なんじゃないかって?
そんなことないですよ。爽やかエロスですよ。廃道探索中の爽やかエロスはとっても貴重な果実です。

この悩ましい写真は、知る人ぞ知る野湯の名所である切明温泉を紹介したもので、川原を掘るとそこから露天風呂が湧くという。
そういえば以前、廃道仲間のトリ(石井あつこ)さんも切明温泉がどうのと言っていた気がする。
彼女は廃道と並んで(というかそれ以前から)野湯巡りの愛好家である。




ひとしきり盛り上がったので、予定通り分岐を直進。切明温泉方面へ進んだ。
目指すはもちろん露天風呂廃道と廃隧道である。

同じ林道秋山線でも、分岐以降は道幅がぐっと狭まり、1車線になった。
そして登ってきた分の大半を、急な下り坂で一気に吐き出し始めた。
このあと廃道を突破出来ないと、またこの上り下りを自転車で反対側からやり直すハメになるので、何とか完抜したいものだなぁ。



6:27〜6:42 《現在地》

雑魚川林道分岐から1.1kmほど下っていくと、標高930m付近で左後方に分岐する小道を発見。
これこそが旧道の南口であり、ここから隧道南口までの距離はおおよそ1.8kmである。

事前情報にもあったとおり、こちらは北口とは違って車でも入って行けそうな程度の道である。
もっとも、「この道は 車でも 行けますが かなり恐怖です・・・」との事なので侮りは禁物であるが、まぁ自転車ならば大丈夫だろう。

いざ、旧道の探索開始といった所だが、ここで情報にはない案内板が目に付いた。それも入口を挟むように2枚!



来るなら来てみろ …だと?!

くっ!

こっ! コイツ!!
俺をここまで苔に挑発しやがった廃道は、お前が初めてだぜ!
ただで済むと思うニャー!!

…とイキリタッタと言うのは嘘で、何とも想定外なことに、この旧道を進んだ先には「山房もっきりや」なるお宿があるらしい。
まさか隧道内にある…ということは無いだろうが、平日の午後5時以降のみ営業中とは、なかなかアグレッシブな営業形態である。
時期にもよるが、基本的には夕〜夜道に挑戦しろって事なワケで…。
つうかそれ以前に、客を挑発するこの手法は新しいと言わざるを得ない。

良いだろう。廃道ついでにその挑発、乗った!!




ちなみにもう1枚の看板は、「村の衆が大切にしている山菜を余所者が採ってはならない」という真っ当な内容なのだが、その表現が「よそもんがむやみにへぇっちゃならん!」となっているので、余所者がこの道を通って良いのか微妙なニュアンスになっている。
まあ、私は山菜ドロボウをする企図はないので、無闇であるかもしれないが、このまま挑戦させて貰おう。
(ちなみに、「もっきり」とは鋸の一種を指す方言で、2枚の看板に描かれている鉈のようなマークがそれであろう)




道端でおにぎりなどの軽い朝食を摂った後の6:42、いざ旧道へと進入開始!

目指すは、廃隧道 & もっきりや!



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口数の多い道 そして デレッ…



ここで トラブルが発生!

目を、ヤラレチマッタ!!

しかも、自傷事故である。

アブ避けのために使っていたハッカ油のスプレーを、うっかり目の中に吹いてしまった。
はっきり言って痛すぎる。 しばらく片目を開けることが出来なかったが、探索は続行した。



想定外のトラブルのため、この入口付近は殆ど写真を撮影していなかった。
そこには写真にある路傍の廃屋の他に、ちゃんと人が住んでいる家が2,3軒あったことを記憶しており、それが切明集落の現在の姿なのだろうとその時は思ったのだが、写真はない。

秋山郷には過疎化や(大昔は飢饉のために)消え去った集落がいくつもある中で、近世の記録にも残る最奥の集落として存続している(とされる)切明集落が、本当にこのように極めて侘びしい場所であったのかと言われると自信がない。
もしかしたら私が見たのは開拓村のようなもので、本来の切明集落とは(既に集落的景観ではなくなっているが)、数軒のホテルが建ち並んでいる切明温泉のある場所を指すものかも知れない。
これについて情報をお持ちの方がいたら教えて欲しいが、本稿ではとりあえずこの旧道沿いにあった数軒が切明集落ということで話を進めるし、それが切明温泉の位置に変ったとしても、隧道や旧道の意味合いまでは変化しない。




入口にさも道が悪いような挑発的看板を掲げていた割に、ここまでの序盤400mは、特に問題を感じるような道ではない。

結構な下り勾配であることと、対向車が来たら“鬼バック”を強要されかねない細道ではあるが、失礼ながらまず滅多にその心配はないだろうし、ちゃんと舗装されていた事が意外である。
このまま進めば、未だどこにあるかは知らない「もっきりや」が先か、目指す隧道が先かといった感じで、至って順調である。
古老の証言は古すぎて現状を現わしてはおらず、同じく「怖さ」を感じたという情報提供者さまも、車で来たがゆえの印象であったのか?



6:46 《現在地》

入口から下り一方で約500m進んだ地点で、道の状況に変化が現れた。

これまでも何度か分岐地点はあり、それぞれ集落の家々や道より下にある耕作地への進入路であったのだが、何度目かに現れたこの分岐地点では、直進する本線が未舗装となっていた。
右に切り返していく道は地形図にも描かれていないが、どうやら近くの水田に続いているようだ。

そして舗装路から砂利道へ変化するこの地点には、あの“挑発の主”からの第二言が待ち受けていた。

(此?)々より悪路 自信のない方は転進

悪路走行に自身がないなら帰れ。
この発言だけを見れば相変わらず高圧的な物言いと思うかも知れないが、いやいや、私はここに微妙なニュアンスの変化を感じるのである。
というのも、「転進」の下になにやらケータイの電話番号が書かれている。
その説明はないものの、これはもしや、連絡したら宿の側から迎えに来てくれるということでは……?

いわゆる……… ツンデレが… デレた? みたいな?   違うかな?



更に進むと、ここはもはや「もっきりや」の私道でもあるのか、立て札による“口数”が急激に増えてきた。

道は悪いぞ! もっきりや

そうか?

まだそんなに道が悪いようにも思えないが、もしかしたら都会派ホリデードライバーさん向けの評価なのだろうか?
確かに世の中には、砂利道というだけで、もはやそこは道ではないと言い切るドライバーさんもいるので、道の悪さに対する評価はあくまでも相対評価である事に注意しなければならない。

…などと言うことを考えているうちに道の勾配は緩やかになり、やや下りはするものの、ほぼ水平のトラバース道へと変った。



さらに150mほど進んだだろうか、道の状況に大きな変化は見られなかったものの、車を転回出来るくらいの大きさの広場があり、そして次の“お言葉”が待っていた。

駐車OK 無理しない

そしてこの看板にも、小さくケータイの電話番号が書かれていた。

これは、いよいよ…

……

完ッ全に、デレてるスべ!

優しさに溢れてきたぞ、もっきりやさん!



道は進むにつれてさらに饒舌に、そして親切になっていった。

オブローダーやオフローダーならば特に通過に問題を感じない小さな洗い越しが現れれば、そこには…

SLOW DOWN PUT IN LOW GEAR

という、日本人よりも寧ろダートには慣れていそうな英語圏ドライバーに対する助言が待っていたのである!



ガードレールの無い、崖沿いの道。

これは確かに、要注意な場面である。
田舎の山菜採り軽トラにとっては庭先レベルに過ぎないとしても、車高と車幅が贅沢な都会で人気な大型SUVとかだと、逆にこの手の道が怖いと思われる。
そして、あくまで対向車が来ない前提で笑っているのであり、仮に軽トラだとしても対向車が来た瞬間、冷や汗ダラダラの“鬼バッグ”が始まるはずだ。

そしてこんな危険地帯において、この道が喋らないはずがなかった。

もっきりや →七百米 山側通行

運転方法や、さらには走行すべきラインに対する助言とは、まさに至れり尽くせり! そして初めてゴールまでの距離が示された。
これは、かの「ナビクマちゃん」にも負けない優しさである。
最初のべらんめぃなイメージは、完全に形を潜めてしまった。




ちなみにこれは、この危険地帯より俯瞰する中津川と、苗場山の仰瞰。

この先、700mの位置にあるという「もっきりや」とは…。

漠然としたものではなく、明確な不安を憶える眺めであった。


そして…



もっきりや 五百米 →

この標柱が立っている場所は…

↓↓↓



6:52 《現在地》

入口から1.3km地点に現れた広場

ではなく、分岐地点。



次回から、本格的廃道始まる。


そして姿を見せる?


“かなり怖い所”。






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