真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編

公開日 2006.09.02

 山形県北部、秋田県境に接する丁(ひのと)山地の一角に、かつて真室川森林鉄道はその役目を全うした。
真室川町は森林鉄道の保存に積極的で、同町の真室川町資料館では当時の機関車の動態保存が行われており、休日には多くの人で賑わっている。
保存運転が行われているのは、元来の線路とは全く別の新設された小さな周回コースであるが、かつての路線跡もまた、町内にはよく残っている。
その現状は、今から3年ほど前に何度か当サイトでもレポートしており、駆け足ながらもその概要を紹介している。
(参考レポ:廃線レポ「真室川森林鉄道(安楽城線)」・「一号隧道」)

 真室川林鉄安楽城線には合計3本、小又線には1本の隧道が確認されているが、うち安楽城線の2号隧道は内部が水没しており、坑口から20m程度しか判明していない。
貫通しているかどうかも不明なままであったが、3年ぶりに再訪を果たしたので、そのレポートをお伝えしよう。




鉄の墓標のその奥へ

 前回の訪問時は積雪間近の12月初旬であったが、今回は芽吹きのシーズンである。
相変わらず、県道から軌道敷きへと下りる部分は斜面が急で、道らしい物もないので苦労した。
しかし、県道から投げ落とされたらしい粗大ゴミが散乱する軌道敷きへ達すると、あとは薮も浅く、苦労は少ない。
ここから隧道までは僅か300mほどなので、気軽である。



 隧道までの道のりで、前回と変化した場所といえば、県道の路肩がご覧のように大きく崩れ落ちていた事くらいである。
廃止後四、五十年余りを経た軌道跡は、もはや十分に風化されており、変化する要素も殆ど無いのだろう。

 しかし、3年前で既に殆ど埋没していた隧道は、果たしてどうなっているだろうか。
まだ口をあけてくれているのだろうか。



 ゼンマイを毛むくじゃらのモンスターにしたような野草が、杉の落ち葉が積もる地面を割って無数に生えだしている。
その肉厚な体は、手でしごいてみても取れない毛さえどうにか出来ればとてもオイシソウなのだが、一本だけ持ち帰って詳しい人に見せてみると、やはり喰えない植物だと判明。

 そんなニセ山菜と戯れているうちに、呆気なく坑口のあった場所へと到着。
周囲には崩れて堆積した瓦礫が山になっているので、それとすぐ分かる。


←今回    3年前→

 崩壊著しい坑口にとって、3年という月日は長かったのか。
依然、その開口部は現存していたが、写真を見比べてみると明らかに分かるほど、それは狭まっていた。
おそらく20%程度は縮小している。



 そして今後も、この坑口を擂り鉢の底として崩れ落ちてくる土砂の供給は止まなそうである。
誰もこのまま手を掛けなければ、もう10年もすると人が入れる隙間はなくなりそうである。
そして半世紀後には、完全に地中深く消滅してしまうだろう。

 そのとき、この地中の空洞は、永久に現世と決別することになるのだ。



 しかし、私はこうして間に合った。
その深部を極めるため、いざ、入洞。

 内部の様子は、そう変化がないようだった。
3年前の私を一発で怖じ気づかせた、レール製の骨組みの残骸もそのままだった。
しかし、両脇に崩れ落ちた土砂に、いまにも押しつぶされそうではある。
墜落炎上した飛行機の残骸のようにも見える。

 この隙間を縫って、いざコンクリートに覆われた、未知のエリアを臨む。



 やはり、水没していた。
しかも、3年前の印象よりも、より深くなっている気がした。
この地底湖からは、ただの一条も流れだしていない。
地下水の涌出量によって、その水位は季節的な変動を大きくしているはずだ。
現在は雪解け直後のシーズン。おそらく水位は最悪に近かろう。



 今回は、これを覚悟して来ていた。

 すっっっご< 冷たそうだが。 GO!


 じゃぼ…


 うおー、つめてー。


 入ってすぐでいきなりフトモモ水位である。
しかも、足元はガレているようで、なお下り坂基調だ。

 こいつは、想像以上に深くなりそうだぞ…。


 振り返る。

 現役当時には、どんな姿の坑口だったのだろうか。
レール製の骨組みには、きっと木の板が当てられ、落石覆いの様になっていたのだろう。
坑口まで完全にコンクリートで覆わなかった理由は不明であるが、ここから3kmの地点にある「一号隧道」もまた、いまなお残る片側の坑口について同様の構造になっている。
坑口が崩壊しやすいことは、隧道ファンならば誰もが実感しているところだと思うが、不思議な選択覆工といえる。



 うおー、つめてー。
 チヂムーー。
 上着の裾が浮いている〜。

 ヘソの辺りに、イヤ〜な圧迫感と、得も言われぬ浮遊感を同時に感じながら、廃隧道を全身で“体験”する。

 これが、廃隧道だーー…(弱気)



 水は、もの凄く透き通っている。
しかし、それは掻き混ぜる一切が存在しないからに過ぎない。
実際には、この水は余り綺麗とは言えないだろう。
表面には、白い油脂のようなものが薄く膜を作っており、それが何かは不明だが、きっと腐った木材の油とか、ま、清潔では無さそう。
また、洞床には、泥が一面に堆積しており、行きは良いのだが、帰りは絶対に煙幕の中を歩かされるだろう。



 それほど古さを感じさせないコンクリートの壁に手を触れながら、じっくり進むこと、坑口から50mほど。
その壁に、落書きのような文字がいくつも描かれているのに遭遇した。
読み取れる文字は「雪」の一字だけであるが、誰がいつ何を言わんとして、木炭のようなものを握ったのだろう…。

 ときおり、私は廃隧道の中で、このような正体の分からない落書きに遭遇することがある。
地下に“埋蔵”されている廃隧道という空間は、そこが一般に認知されていなければいないほど、一種のタイムカプセルのようになっていると感じる。
遺構とさえ云えないような、人の営みの他愛のない痕跡であっても、訪問者はそれを無視できない。



 突如、素堀に戻る。
その余りの崩壊ぶりに、思わず気圧される。
フトモモ程度の水位が続いていたが、ここで上陸となる。
甘ったるい木の腐った匂いが鼻腔を刺激する。
あらゆるものが猛烈に風化しており、本来の断面よりもかなり拡大しているとも思える。
ここは、頭上に一抹の寒気を感じる危険ゾーンだ。
だが、空洞が続いている以上、前進を決定するよりない。



 坑口を振り返ると、まだ微かに緑が水面に反射して見えていて、安心させられる。
あの狭い坑口のことを思い出すと、自分がここにいる事自体、とても恐ろしく思えるが、全長120mと記録されている本隧道。
もう一がんばりで、その結末を知ることが出来そうなのだ。

 挫けるな、おれ!



 20mほどの素堀滅茶苦茶エリアを抜けると、再び地底湖が待っていた。

 今度も、先ほどまでと同程度の水位がありそうである。
ライトで奥を照らしては見るが、なお闇が充填されていて、見通せない。
カーブしているのかも知れないが、出口が健在であるならば、そろそろ光を見たい距離だ。

 再入水!



 何事もなかったかのような静かな洞内風景が再開される。
水位は、再びヘソ付近まで上がってきた。
中央部付近が最も高度が高く、両坑口はやや低い位置にあるという、典型的な“拝み勾配”になっているようだ。
出口が、欲しい。



 全敗が確定した。

 実は、真室川林鉄に把握されている4隧道は、これまでに3本までその完全な閉塞を、いずれも洞内より確認済みなのである。
そして、深い水没のために唯一確認が遅れていたこの2号隧道もまた、一目見て“絶望”であった。

 私は、それでも種々の観察を怠らないように心がけた。
水面下の洞床には泥が堆積しているが、その泥の表面に、分解されずに残った落葉樹の葉っぱが散見された。
これは、この地点が比較的坑口から近かったことを示唆している。
また、レールはおろか、枕木も現存しないことを、足触りで確認した。
それに、閉塞部周辺の壁は漏水が著しく、この巨大な地底湖の原因になっているようだが、これもまた、地表が近い可能性を示している。



 この埋没が、人工的な物なのか、はたまた人為なのか、それは不明である。
他の隧道も、それぞれ片側の坑口だけが、このような小粒の土砂で完全に埋没しているという点で共通しており、廃止後に故意に埋めたという可能性もありそうだ。
しかし、どちらにしても、この土砂の壁は如何ともし難い。
いまだこの2号隧道は、反対側の坑口の存在を確認できていない(未捜索…反対の坑口はアプローチ距離が長い)ので、正確な崩壊地点は不明であるけれども、おそらくは、坑口に近い位置が閉塞しているのだと思う。



 諦めきれず、閉塞壁によじ登ってはみるものの、外の光は通っていない。
巻き上げのコンクリートが破壊されていて、自然崩壊の特徴を示しているが、見える範囲が狭すぎるので、それだけで自然崩壊だと断言するのは難しかろう。

 入洞から、躊躇いの時間も含め10分で閉塞部に到達した。
目測の距離は、100m〜120m程度である。

 一応の目的を達し、撤収開始。



 で、この時のカメラは“現場監督”だったのであるが、帰りにちょっと悪ふざけをして、お馴染みの水中撮影をしたのが良くなかった。
撮れた写真は右の通り、舞い上がった腐泥の粒子ばかりのしょうもないものだったのだが、たったこの一枚を撮影するためだけに、カメラは浸水し、隧道を出て直後から故障と相成った。
おそらくは、防水ハッチを閉め忘れたまま水没させるという初歩ミスだったと思われるのだが、現場監督を壊すという、前代未聞の暴挙をしてしまった。
今は修理して治ったが、反省。