二井山隧道   再訪 その2
遂に逝ってしまった
雄物川町二井山
   二井山隧道が遂に逝った!

今春の廃道界を駆け抜けたニュースを一旦は冷静に受け止めた私だったが、最後の別れを言わねばならぬという気持は、ずっとあった。
そして、梅雨の明けきらぬ7月末、遅ればせながらも、この地に足を踏み入れた。
それが、新しいトラウマを与えられることになろうとは…。


 
 天井のいたるところにはコウモリがぶら下がっており、その一部は突然の侵入者に驚き、或いは威嚇して、羽根の音もけたたましく狭い洞内を飛び交っている。
その喧騒が、さらに大きな喧騒を巻き起こす。
はじめ一羽だったは羽音は、一瞬にして数え切れないほどになった。
それ以上先に進むことは、洞内全体のコウモリがパニックとなる惧れを多分にはらんでいた。
羽根を広げてもこぶし大の小さなコウモリだが、これだけの数にもし襲われるような事があれば、死なないまでも、気が違ってしまうかもしれない。
私は、未知の恐怖に体が熱くなるのを感じた。
恐怖で熱くなるのも、変だが、とにかく熱い。
奴らの興奮が、まるで私にも伝染ったかのようだ。



 幸いにして、昨年春に来たときより内部の水は少し引いており、幾分歩きやすかった。
壁伝いにさらに進む決心をした。
自身のヘッドライトのほかに一切明かりは無く、コウモリたちを刺激しないように、出来るだけ下を向いて、可能な限り早く、早足で先に進んだ。
目に映るのは、足元の水を含んだ砂利や砂ばかり。
頭上では相変わらバサバサと騒がしいが、頭上を見たい誘惑を蹴って、先を急いだ。





 洞口から100mくらい来ただろうか。
距離的にはほぼ中間地点であり、以前ならこの辺りまで来れば、緩やかな右カーブの先に出口が見えてきたものだった。
だが、今回はさもそれが当然であるかのように…漆黒の闇が続くばかりだった。
天井に何となく隙間の気配を感じ取り、恐る恐る見上げてみると、そこには巨大な穴が空いていた。
これも自然に崩落してこうなったらしい。
竣工は昭和5年というが、いまだ現役で利用されている他の4本の隧道に比べて、この二井山隧道の傷み具合は突出している。
かなり以前より通行止めとなり、補修などを受けられなくなったことも大きいだろうが、そもそも通行止めになったのも崩落の危険が高まった為と思われ、地質的な欠陥があったのかもしれない。
なかなか、昭和になってから誕生した隧道でここまで荒廃している例も少ないように思える。

ぞくぞくするほど危険な眺めに、おもわず武者震いが。



  さらに進む、150mくらい来たか。
振り返っても、カーブの向こうに辛うじて見える坑門は悲しいほど小さく、その光は頼りない。
なお、このような写真を撮る際には、故意に全てのライトを落しているが、これが独特の興奮を呼び起こすことに、最近気が付いた。
明かりなど一切見えない場所ではなおさらなのだが、全ての視覚を奪われた状態は、全身の他の感覚の異様な高揚を呼び覚ます。
まさに、極限状態を体験できる。

無理に長く味わえば、きっと気が触れるだろう。
が、この感覚は貴重な体験だ。
オススメする事は出来ないが、もし、好奇心が勝ったなら、やってみるとよい。
もちろん、どうなっても私は知らないが…。


 わたしは、坑門に近い場所で、小川の流れるようなザーという音を聞いていた。
そして、その音は、進んでくるうちに次第に大きくなってきた。
いまや、それは小さな滝でも天井から落ちているのかと思えるような大きな音だ。
しかし、それに見合った水量は洞内に感じられず、不思議に思い始めていた。

まもなく、その音の正体が、明らかにされようとしていた。

丁度、洞床全体に崩落した土砂が50cmくらい積み重なっている箇所が在る。
この場所は、以前も同じ様子であったのだが、今回、この場所がライトに照らされる距離に達したとき、ありえないほど近くで滝の音が聞こえることにドキッとした。
水など、どこにも無いのだ。
その代わり、そこは、これまでの臭気が可愛らしく思えるほどの、異様な獣臭さ、さらに言えば、糞の臭気だが、鼻を押さえたくなるほどの臭いが充満していた。
音は、今もその臭いの奥から聞こえている。

私は、全てを理解した。
ここが、コウモリたちの二井山隧道最大の営巣地などだと。
そして、好奇心には勝てなかった。
音の中心に数歩だけ近付くと、天井に目を遣った。

音は、5m頭上の天井から聞こえてきている。
しかも、遠くからは雑音のようだったその音は、一匹一匹のコウモリが吐き出す、ほんとに小さな鳴声、それは形容が難しくキィというより、もっと高い音だが、その音が何百、何千と重なり合った、そんな音であった。
ヘッドライトの照らし出す、わずか1m四方程度の天井に、私が見たものは、葡萄の房のように重なり合ってぶら下がるコウモリ達だった。
驚きに、声も出なかった。
数万単位のコウモリが、この狭い隧道には居る、そう私は確信した。

次の瞬間、私はその場を離れるどころか、天井に向けカメラを構えていた。
ファインダーも覗かずにおもむろにシャッターを切る、フラッシュが発光した。
フラッシュがどのような影響を及ぼすのかという好奇心に負けてしまったのだ。

最悪の事態は起きなかった。
天井のコウモリツリーを構成する彼らの大半は、一瞬の発光に動じることは無い様子だった。
ホッとすると同時に、呼吸も苦しいほどの臭気にむせ返り、とっさにその場を離れた。
もちろん、ツリーの下は通らず、先へと進んだ。

まだ、諦める訳にはいかない。
コウモリなど、恐れるに足らない。
それは殆どが、強がりだったが、無謀にもフラッシュを焚いたことが、彼らに対する多少の安心感を生み出したのは事実だ。

さて、この時に写した一枚の写真だが、残念ながら、ツリーを捉えてはいなかった。
動揺のあまり、目標を誤ったらしい。
しかし、それでも十分すぎるほどのコウモリが映っていた。
その写真を、次に公開するが、痒くなっても知らないぞ。

 私にもよく分からない部分もあるが、とにかく、上部に映っている茶色っぽい点は全てコウモリである。


   痒い!!!







 さあ、気を取り直して、先へ進もう。
この後も探索者の心境はまったく平静ではなかったが、コウモリを観察しに探索しているわけでは無いので、レポートは本題に移ろう。




 当サイトでは御馴染みになりつつある、閉塞画像である。

そう、坑門から180mほどと思われる、かなり出口に近いであろう位置で、隧道は突如天井を突き破って雪崩れ込んできたと思われる土砂によって、完全に閉塞していた。
これは、予想以上だった。
崩落より数ヶ月の時間が経ってはいるものの、半年前までは確実に通行できた隧道だったのだ、まさかこれほどの重量感のある閉塞を見ようとは思わなかった。
隙間があったりするのではなかろうかと想像していたのだが、完全に読みが外れた。



 洞内に流入している土砂は粘土質であり密度が高く、湿り気が強い。
記憶に新しい場所では、万世大路は栗子隧道の閉塞点より、橋桁隧道のそれに似ている。
頭上にある土砂の重量は、頭上に1000m級の稜線を頂く栗子に比して圧倒的に少ないはずだが、閉塞には一切隙間は無いようで、空気の流れも感じられなかった。
この圧迫感は、並ではない。
今も背後ではコウモリがひっきりなしに往来しているが、さすがに閉塞点付近はその密度が少なかった。
危険を感じているのだろうか。
たしかに、これは栗子隧道以上に危険な、現在進行形の崩落という感じがする。

写真は、天井ギリギリまで登って撮影したもの。
さきにはもう、土砂しか見えない。
空気の流れも、無い。


 フラッシュを焚いて、来た方向を撮影。
もう、カーブの向こうに坑門の明かりは一切見えない。
ただただ、滝のようなコウモリたちの合唱が聞こえるのみだ。

危険な崩落点なのに、なかなか引き返す足が動き出さなかったのは、なぜだったろう。
いや、動き出せなかった、と言うべきか。




 帰りも早足で、行き以上の早足で、出口を目指した。
途中、来るときには気がつかなかった待避所を発見。
スプレーで描かれた「65」の文字は、坑門からの距離だろうか?
なんとなく、神聖な雰囲気を感じる造りだ。
霊感のある人に見せてみたい気もする。




 やっと、出口が近付いてきた。
しかし、私の15分以上に及ぶ探索はコウモリたちの大半の眠りを妨げてしまったらしく、まさに、蜂の巣を突付いたかのような騒ぎになっていた。
その下をそそくさと立ち去る私。
お願いだから、向かってこないで!
もう帰るから!
もう、来ないから!!   …たぶん。

何度か、私の体にアタックしてくる剛の者もいたが、それを意に介せず、振り向きもせず、いつしか、早足を駆け足となり、
そして。



 脱出!!

ふーー。
そこには、いつに無くい気を荒げ、生還の喜びに震える姿があった。


自身最初の廃隧道は、自身最初のコウモリとの遭遇を、私への最後の贈り物としてくれたようである。
もう、いらないけど。


   次は、老方側坑門です。
 
2003.7.29


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