笹立隧道
地中に眠るバイパス
山形県鶴岡市 湯野浜
 この隧道は、fuku氏のサイト『山形の廃道』より得た情報を元に、ヨッキれんが実走しました。
隧道についての諸情報は、自身で調べておりませんので、最低限の転載に留めました。ご理解ください。
この隧道の背景など、さらに詳細な情報が、氏のサイトにはございますので、合わせてご覧になることを強くお勧めします。



 笹立隧道は、東北日本海沿岸ではおそらく最大の温泉地である湯野浜温泉と、やはり東北有数の名刹善宝寺との間を隔てる高舘山を貫く。隧道と、その前後の峠道は、笹立新道といい、この鶴岡市を代表する観光に代拠点を短絡している。
この紹介文の「隧道」を「トンネル」に、「新道」を「バイパス」に置き換えれば、最近開通した新トンネルのことかと思われるだろう。
しかし、この新道は、もはや、新しくない。
それどころか、新道のまま、地中に眠っているのだ。

 湯野浜の個人のよって竣工された新道の開通は、明治44年(1911年)のことであった。
開通後暫くは利用者もおり、大正末期には、当時現れ出した自動車も通れるように、改良されもした。
しかし、開通から90年以上を経過した今、この隧道はどのどの地図からも消えている。
湯野浜と善宝寺を直接結ぶ道はなく、行き来する人々は今日でも、高舘山を迂回している。

 こういった事例は、比較的珍しいものだと思う。
一度は繋がった二地点の交通が、再び断絶したままになるというのは、よほどの僻地ならいざ知らず、あまりない。
すこし大げさだが、進歩と共にあるはずの人類の歴史に逆行するような、そんな事例といえる。

 …そこに何があるのか…

大変に興味をそそられた。
遂に私は、深く雪に閉ざされた2月、この地を訪れた。

そこで私は、強烈な体験を、する。





 2003年2月6日。JR酒田駅で輪行を解いた私は、一路、目指す笹立隧道を目指した。
この時期の山チャリは稀であるが、これまでの失敗経験を生かした、完全防寒体制で臨んでいた。
おかげで、最高気温0度という真冬日ではあったが、寒さに苦しめられることは、ここまでなかった。

 そして、たどり着いたのが、笹立新道と呼ばれた道の、一方の端、善宝寺である。
秋田県内では見たことのないほどの、大規模な寺院に、驚いた。
ここが1990年ごろ全国を席巻した人面魚騒動の中心であったということは、もう遠い過去のことのようであったが。
事前に得ていた情報によると、新道へは、この少し南方にある廃ドライブイン脇から、入るということであった。
それらしいドライブインは…。



 早速発見!
廃業してだいぶたつように見えるドライブイン「ぜんぽうじ」だ。
このドライブインの脇の空き地(駐車場?)は非常に広く、しかも、雪がどっぷりと積もっている。
1kmくらい奥の山際まで延々と雪原が広がっている…。
ここに入り口を探すのかと思うと、気が遠くなった。




 広大な空き地の奥に見えるが、隧道の眠るという高舘山である。
標高は273mで、非常に切り立った山並みである。
近くから見て初めて、ここを超えるというのは想像していたよりも大変そうだと、思われた。
とにかく、入り口を探さねばならない。
焦る。



 幸い、さして苦労なくそれらしい入り口を発見できた。
廃ドライブインの脇の小道を山に向かって進むと、まもなく民家があり、そのさき山に突き当たり道が二手に分かれている。
結論から言うと、ここを右折するのが正解である。目印は、『西郷小学校学校林』の標柱。
人一人が歩いた足跡が雪の上にしっかりと残されているが、とても自転車で通行できる状況ではなかった。
自転車を押して入っても足手纏いになると考え、ここに置いてゆく決断をした。
山チャリの趣旨から外れるのかもしれないが、これは、廃道調査と割り切って行こう。
 そして踏み込む前に、もう一つ、準備があった。
廃隧道の内部調査と、このような深い雪道への進入を考慮し、初めて長靴というものを、持参してきたのである。
大変にかさばり、重いので、活躍してもらわねば困るのである。
早速着用し、万全を期し、いざ、笹立新道、攻略開始である!




 歩くこと5分、道は斜面に沿って、次第に高度を上げていく。
ここ数日は新しい積雪は無いようであったが、それでも、深い場所では40cmほど積もっており、普段の道路状況は分からなかった。
しかし、目立った倒木や崩落などはなかったので、学校林の管理林道として現役なのかもしれない。

 目の前には、コンクリの構造物が見えてきた。
一瞬いろめきだったが、これはただの治山ダムであった。




 思っていたよりも、道は長かった。
10分、15分と、狭い林道を歩き続けたが、延々と同じような杉林が続いていた。
しかし、高度が上がるにつれますます道の脇の斜面は険しさを増し、まるで断崖の様になってきた。
写真は、谷底を見下ろしたものだが、その険しさがお分かりいただけるだろう。




 所々の路肩は谷に落ち、いよいよ廃道らしくなってきていた。
いつの間にか、先を行っていた一つの足跡も、消えていた。
次第に、心細くなってきていた。
まさか、見落としてきたのでは…。
だとしたら、こんな雪道をいつまでも歩いていても仕方がないはずだ。
そう時間はないのだ。
何処に続くとも知れない道を、進んでいるのではないか?
どんどん、不安は大きくなり、足の冷たさにも、苛立ちを覚えた。






 何度目の曲がり角を曲がったときだろうか、そこには、これまでとは違う景色が広がっていた。
目の前には、垂直に切り立った斜面があった。
その麓には、真っ黒く見えた一角があった。

 穴だった。
到着したことの喜びよりも、余りの情景に息を呑んだ。
隧道というには程遠い、あなぐらが、そこにはあったのだ。



 まっさらな雪を一歩一歩踏みしめ、その穴に近付いた。
直前には、小さな沢が道を分断していた。
その沢には、2本の丸太がかかっていたが、雪がどっぷりとのしかかり、そこを渡ることは出来なかった。
結局、隧道への進入を待たずして、ここで歩渉するはめになった。




 そして、遂に穴の前に、立った。




 気がはやる、早く中を覗いてみたい。
しかし、取材である事を忘れてはいなかった。
振り返って一枚。
これが、笹立隧道善宝寺側坑口からの景色である。
この道が現役であったであろう60年前、この一面の杉林は、まだ苗木ではなかっただろうか?
多分、崖下には善宝寺が間近に見えたであろうし、足元には広々とした庄内平野の景観が広がっていたはずだ。
当時の眺めは、きっと美しかったに違いない。


 ここまで、入り口から20分余りかかった。
距離にして1kmほどであっただろうか。



 いざ、坑門に立つと、その異様な光景に身震いした。
坑門といえるような人工物は何もない、ただ、穴がそこにあるのだ。
上部の岩崖からは、ひっきりなしに水が落ちてきている。
水滴というレベルではなく、小さな滝のようですらある。
足元には、凍りついた朽木が天然の芸術品のように、冷たい光を湛えていた。(下の写真)

 一見、隧道というよりも、天然の洞穴のようにしか見えない。
そして、実際天然の洞穴よろしく、その奥行きは、僅か5mほどしかない。
そのさきは、固い岩肌に閉ざされている。
どうやら、長い年月の間に、隧道は、完全に自然に還ってしまったらしかった。






じゃなくて、

続く…。

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2003.2.10