隧道レポート 旧 田浦隧道 <後編> (横須賀市の明治隧道)

所在地 神奈川県横須賀市
探索日 2007.3.23
公開日 2009.1.8

知られざる明治隧道、旧田浦隧道の内部


明治26年に海軍の要請によって掘られた、横須賀で7番目に古い隧道。
これより古い6本のうち5本が今なお現役で、残る1本は開削されて存在しないため、この旧田浦隧道が横須賀で最も古い「廃隧道」である。

いま、その洞内に進入した。

まず気づくのは、天井の意外な高さだ。
まるで鉄道用隧道のようであるが、そのような記録はない。
なにゆえ、明治の道路隧道がこれほどの高さを必要としたのだろう。

あるいは、人為ではないのか…。




10mほど進むと、なんと建物が現れた!

隧道の中に、建物。

たぶん初めて見る光景。


それは、駅なんかにある危険物庫によく似た、コンクリートブロック製の倉庫に見える。
窓はなく、扉は鉄製。鍵が掛かっているかは確かめなかった。
そして、なぜか壁には「進入禁止」の道路標識が取り付けられている。
それを模して作ったレプリカのようであるが。

また、天井にかなりの数の岩塊が置いてあることも、特筆すべき点だ。

…。

…認めたくないが、これって置いてあるんじゃなく、落ちてきたんだろうな…。
人だったら、ひとたまりもないな…。




隧道内建築物によって二度目の「通行止め」を食らったが、壁と建物の隙間に人が一人ようやく通れる隙間を発見。

その狭さや崩れた壁に一時躊躇ったが、見付けてしまった通路を無視できない。
「私のためにあるようなもの」。

そして、この隙間に潜り込んだ時点で、初めて隧道の貫通を確認した!
向こう側の光が見える!!


…それにしても酷い崩壊。
建物の下三分の一は、既に瓦礫に埋もれている。
現在進行形で崩れているようにも見える。



建物の脇を抜けて、初めて隧道本来の姿に接した。

また、背後の建物のおかげで、外から私の行動が発覚する可能性も無くなった。
本来ならばほっと一息つく場面であろうが、今回はそう言うわけにはいかなかった。

おびただしい崩壊もあった。

だが、それ以上に異常な光景がそこにはあった。

右の、闇の奥に。







横坑だよ…。


なぜこのようなものがあるのか。

すぐに思い当たるのは、防空壕としての利用である。

軍事都市として本邦第一の地位にあった横須賀では、戦時中多くの防空壕が掘られている。
こうやって元からあった隧道の内部を改造して防空壕としたケースも、東京湾を挟んだ房総半島では多く目にする。
まして、大正12年には旧隧道となって第一線を退いた旧田浦隧道は、そのうってつけの場所だっただろう。

明らかに本坑より天井の低いその横穴へ、進入する。




横坑は、幅4m高さ2.5m程度で、人が通る分には十分余裕がある。
そして、この横坑はさらにいくつもの分岐を持っていた。
防空壕というよりも、まるで地下工場か坑道のような複雑な形状をしている。
しかし、目立って広い場所はなく、やはり工場たり得ないだろう。

しかもこの横坑。
至るところに残土や廃材が置かれており、中には最初から入り込めない通路もある。




隧道と横坑が形作る平面形を大ざっぱに言うと、ローマ字の「D」である。
この「D」の文字の縦線が隧道本坑で、弧の部分が横坑である。
さらに、この弧から外側(すなわち東、海側)に向けて、数本の横坑が分岐している。

…というようなものだったと記憶している。
防空壕部分の形状を記録する事に熱心ではなかったし、間違っているかも知れない。
また、横坑の奥も全てを確かめたわけではない。






横坑も含めて「完全解明」だと考える読者さんがいれば申し訳ないが、個人的に隧道本体ではない防空壕には余り興味がないし、何よりも状況が悪すぎる。

多くの横坑が、左写真のような膨大な残土の山に覆われ(埋め戻しの跡かも知れない)、または大量の産業廃棄物に埋もれていたのだ。
戦時中のものかもしれない産廃に身を委ねるのは、流石の私も嫌だ。




横坑をひとしきり歩いた後、本坑へと復帰。

洞内は静かだ。
隣にあるはずの国道の喧噪もほとんど届かない。
そして、風もない洞内の空気はきわめて乾燥している。
そのせいか、歩くとそれだけでもの凄い土埃が立つ。
今まで色々な廃隧道を見てきたが、ここまで粉塵が酷いのは初めてで、当然のように土臭い空気が喉に詰まり、息苦しい。
写真にも小さな埃の粒が反射して写っているが、立ち止まってから1分ほど落ち着くのを待ってようやく撮影してもこれだ。




洞床に降り積もった、大量の乾いた土。

砂よりも遙かに容易に飛散し、その様子はまるで重力の乏しい砂漠の世界を歩いているかのようだった。


    う ウオッホン!




横坑とは違い、本坑には人工物があまりない。
そんな中で目に付いたのが、壁際にまとめて置かれていた大量のビール瓶と、安全帽。
何もかもが“白い”この世界で、それは形だけのものとなっている。
壊れてはいなくても、二度と本来の用途に使われることはないだろう。そんな気がする。




現役当時、洞内のほぼ中央西側の壁には、お地蔵さまが安置されていたらしい。

現在、残念ながら(「幸いにも」か?)その痕跡は無い。
ただ、壁に何かを固定していたような木の破片がいくつか埋め込まれているだけである。
これもおそらく地蔵とは無関係で、電線や碍子を取り付けていた跡ではないだろうか。

地蔵の行方は、分からない。




70〜80mほど進むと、行く手を遮るフェンスが現れた。
激しい逆光のため、近づくまではその存在が分からなかった。
出口までは問題なく行けると思っていただけにショックを受けたが、出口はもうすぐそこであり、残りは北側から確かめれば良いと諦めもついた。

このフェンス、わざとかどうかは知らないが、こちら側に全体が傾斜しているせいで乗り越えるのはかなり難しい。
しかも、触れると全体がぐらぐら揺れるなど、脆い感じがする。体重を預ければ壊れてしまいそうだ。
我々オブローダーにとって、ある意味一番越えがたい壁が、無理すると壊れてしまう類の壁である。
やましいことをしている以上、破壊は禁物である。




フェンスの隙間から覗き込んだ、残りの洞内。
目測30m程度であるから、明治隧道としては比較的長い100mオーバーの延長を有していたと考えられる。

また、崩壊が進む南口に較べ、北口付近は幾分安定しているようだ。
だが、外に何か障害物があるように見える。
それが何かは分からないが、このフェンスの反対側にまた来ることが出来るかどうか。





そんな新たな課題を胸に、背徳の洞内を引き返す。

外へ戻るときにも、入るとき同様の緊張を強いられた。

まして、人通りの多い少ないを見定めてから出られる訳じゃないので、余計…。



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北口の捜索


旧田浦隧道を描いた縮尺の大きな地図は存在しないので、北口は現地捜索となった。
ただ、南口から侵入した際の全長(約100m)や、現トンネルに対する方位から、右の地図のような位置に北口があるだろうと推定された。


そこは道路に面していない場所のようである。

余りいい予感のしないまま、船越隧道を通って北側へ行ってみると…。




お、 お墓だ。

たくさんのお墓が斜面にびっしり。


…隧道も、あの下やったんやろか…。





隧道坑口の擬定地は、まさにお寺さんの裏山。
広いお墓の敷地内のようである。

…。

今さら怖じ気づいてどないすん!
もう遅いわ!!
人様が埋まっている下をうろちょろしおって!
この不信心もの!




予想外の展開に大変恐縮してしまったのであるが、そこはそれ。
お詫びがてら、お寺の入り口から墓園に侵入。
幸い、墓園の中にも馬頭観世音碑やら史跡っぽい碑もあって、カメラを首から提げた私の姿もアリだ。
隧道内に安置されていたという、姿形の分からないお地蔵さまも捜してみたが、見あたらなかった。

そして、肝心の坑口もまた見つからない。

ここじゃないのか?

そのまま山腹を東に辿れれば良いのだが、となりの民家の塀があってそれも出来ない。
とりあえず、一旦敷地の外へ戻る。




本堂のお隣が民家で、さらにそのお隣が工場の敷地である。

車道から工場の敷地を透かして奥を見ると、白いコンクリート吹きつけの急斜面が、えらく目立って見えた。
斜面の真上には鉄塔が立っているが、あの急さはちょっと尋常ではない。

ああっ! 見たい!!

しかし、工場の敷地は入れないし、民家の生け垣が邪魔をして下の方が見えない!




しかし、場所にあたりが付いたので、もう一度お墓に戻って、鉄塔下の隅から下を覗いてみた。

そうしたらば、発見!

ほぼ間違いないでしょう。

これが隧道の北口。
正面から見れないのはとても残念だが、確かにそこにはトタン屋根を掛けられた空洞の入り口があるように見える。
なるほど納得である。






飛んで、09年1月3日。
久々にここを通りかかったので、工場の敷地を透かしての「通視」に再挑戦。

そしたら、うまい具合に見えました!
北口発見! 間違いない!!

これに勢いを得た私は、意を決してお寺に「タノモー!」と申し込んだのですが、こちらは撃沈。
隧道は崩れつつあり危険なので、お見せすることは出来ないというもっともなご説明でした。

でも、見ちゃったもんね!

(なお、ぎりぎりで隧道はお墓の直下ではなかった)





国道16号の開通以前からこの地に存在した、3本の明治隧道を巡る探索は、これで一応の決着を見た。

あるものは、姿はおろか名前さえ変えて、どっこい生き残っていた。
またあるものは、煉瓦という偽の仮面をかぶり、地中に神秘の石洞を秘めていた。
そしてまた、戦争と震災の苦い傷跡を残したまま、砂となって消えようとする隧道があった。


ただ放置されて終わりではない、都会における「廃」の奥深さを実感する探索であった。










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