玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群 第3回
画期的水上探索計画
秋田県仙北郡田沢湖町



 我々が先細りの湖畔の先端にいるとき、おもむろに湖面に流れが現れ始めた。
天候は快晴。
間違いなく、上流の玉川ダムの放水が起きているんだ。

 ただ、私たちは冷静だった。
現在の水位と、我々がいる地点との高度差は3m以上もあり、たとえ水位が上がりはじめたとしても、いまから行動を開始すれば我々のいる場所まで湖に侵されることはないだろう。
唯一懸念されるのは、我々が徒渉してきた川が渡れなくなっている可能性だ。
しかしそれとて、上流の玉川大橋を使えば良い話である。

 この段階では、いたって楽観的に考えていた。


 隧道二本を来たときとは逆から通り抜け、湖畔の広大な草原を真っ直ぐ突っ切って、来るときに川を渡った近くまで来た。
すると、水面が高くなって湖が長くなったのか、流れが豊富で湖と一体に見えたのか定かではないが、恐れていたとおり、
あの穏やかな砂利の川原は、すっかりと消失していたのである。

 さらに上流へ向かい、渡れそうな場所を探す。



 約1時間半ぶりに、徒渉点へと戻った。
その姿は、余りにも豹変していた。
上の二枚は、ほぼ同じ場所で逆を向いて撮影された写真であるが、同じ川の僅か1時間半を隔てた姿とは思えない。

 旅に出ると、よく見る物がある。遠くへ来たという情緒を感じさせるものだ。
それは、旅先で見かける「ダム放水告知」のためのサイレンや、注意書きを記した看板である。
あれを見ると、どこか異国の地へ来たような気がするのは、私が長く海の近くに住んでいるせいもあるが、とにかく、あれは旅感を駆り立てるものであり、少なくとも私にはそれ以上のものではなかった。

 だが、ああいった注意書きには必ず記されている。

この川は、ダムの放流で突然水量が増えることがあり、危険である。  と。

 嗚呼、こういう事なのね。



 最深部の水深は見るからに1mを越えており、その上水流の早さは腿下までの深さで立っていられないほどだった。

どう見ても、直接徒渉することは出来ない。

しかし、細田氏はチャレンジャーだった。

私よりも遙かに先まで単独で入水していった。

でも、流れの色が違う場所。
深い場所の手前で、引き返してきた。

やはり、とてもじゃないが渡れない。
水流が早すぎる。



 仕方なく、上流300mほどにある国道341号線玉川大橋を使って、車のある対岸へと戻ることに計画を変更する。
口で言えば簡単だし、私も一度このあたりを歩いたことがあったので、そう大変だとも思わなかった。

だが、これは容易ではなかった。
最大の計算違いは、前回玉川大橋の下へ来たときは、晩秋の下草が落ち着いた時期だったということ。

 川原にはもはや急流やうねりを見せる淵が連続し、歩く場所など無かった。
夏草茂る軌道跡が、唯一の帰路となったのである。




 下流を振り返って撮影。
まだこのあたりは川であり、ダム湖ではないことが分かる。
冬期には、いま我々のいる軌道跡に至るまで完全に水中に没してしまうのだが、俄には想像できない。
無論、車を置いている草地も、湖底である。




 上流へ進むにつれ、夏草はコシが強くなってくる。
土も硬くなり、遂に「マント群落」と呼ばれている林縁地と軌道跡は一体になる。
マント群落とは、ツタや低木などが高密度に地表を覆い、草地(ソデ群落とも言う)と森林との隙間を埋める林相のことである。
平たく言えば、藪。
我々オブローダーが日夜かゆい汗を流している藪は、大概は路外の森が作るマント群落である。

 そして、日のあまり届かないマント群落の中に、取り残されたような7号隧道があった。
この隧道は、以前見たときとは全く印象を異にしていた。




 日差しはどんどんと高くなり、殆ど無風の藪は、猛烈に暑くなってきた。
我々は、背丈より深い草むらを掻き分けながら、少しずつ玉川大橋へと前進していった。
それはさながら、天から落ちる蜘蛛の糸を求め行進する亡者の如きであった。

 アツイし、藪深いし、きっちー!

もう、なんど足下の清流にぶっ込みたくなったことか…。




 午前10時06分、やっと玉川大橋の直下まで辿り着いた。
30分近く藪漕ぎを強いられてしまった。
細田氏おなじみのツナギの中の蒸れ具合が心配である。

 さて、対岸の草むらには、遠くにぽつんと帰るべき愛車が見えていた。
しかし、ここに来てもやはり、足掛かりに乏しい激流を跨ぐ事は出来なかった。
遙か頭上30mも高所を跨ぐ大橋へは、最後の大藪漕ぎが待ち受けていることは、明白だった。





 空を跨ぐ橋。



 近いようでいて、なかなか袂は遠かった。

掻き分けても掻き分けても、なかなかアスファルトは近づいてこなかった。




 9分を要し、なんとか人の世界へと生還。

最近は藪漕ぎについては甘えていた(というか避けてきた)だけに、久々の気合いの入った激藪に、両腕の皮膚がヒリヒリ痛む。
藪を脱した瞬間の得も言われぬ開放感、通称:脱藪感(勝手に銘々。読み方は「ダツソウカン」)を満喫する。
特に今回は、藪の中を激しく這い登って橋の上に辿り着くというシチュエーションゆえ、その快感のほどは相当の物があった。
こころなしか、細田氏のツナギが発光しているようにさえ見えた。



 橋から、いま我々が登ってきた藪を見下ろす。
僅かだが、コンクリの橋台に沿うようにして、一条の踏み跡が見えるだろう。
これは、我々がこの時はじめて造った踏み跡だ。
おそらく、もうないだろうが。

 夏場は、玉川大橋右岸から湖畔へ降りることは、かなり大変であることが、今回身をもって分かったことだ。




 ちょっと主題が軌道跡からずれているが、こんな景色があれば紹介しないわけにも行くまい。

これは、玉川大橋から上流側を見下ろした眺めである。

一切の人工物など見あたらない、この無垢な川の景色が、
実はダムによって人工的にここにある景色なのだと言うことは、なんか複雑な気持ちにさせる。
ダムがあって、水没と浮上を繰り返すような「つかえない」場所だからこそ、まるっきりの自然のままになっているのだ。



 10時32分、やっとこ我々は車の元へと辿り着いた。
たった一本の川のせいで、距離にして2km、時間にしておおよそ50分の遠回りを強いられたこととなる。

 車内は直射日光で極限まで熱せられており、車を離れるときにはあれだけ車内に侵入していた虻たちが、無惨なミイラ姿となってそこかしこに転がっていた。
小指の先大もある強そうなアブでさえ、たった2時間半の熱射で、命が絶えたばかりか、完全に体の水分を失い、美しい複眼の光沢もなく、触ると手応えもなく砕け散った。

 無知な虻達にとって、主のない車は死の監獄となった。







 午後1時、我々は鎧畑ダム湖畔の駐車場にあった。
この間、単に昼飯を食っていたわけではなく、小さな冒険があったのだが、まあ報告するほどでもないので、ミニレポにでも登場するのを期待せずに待っていただくとして、ともかく、色々あって我々は、先に計画した「湖上の隧道へのアプローチ」として、
「3.左岸の国道の適当な箇所からゴムボートを進水し、湖を渡って接近。」
を選択した。

 そしていま、湖上の隧道からは対岸やや下流に位置する、国道沿いの駐車場にいる。
ここから、ゴムボートを湖畔へと搬出する作業がある。




 我々が車を降りた駐車場は、鹿ノ作(かのさく)橋の袂のロードサイドパークで、国道の改築工事に伴って旧国道敷きを利用する形で建設されたものである。
ここには、人工的な水路を通る小川や、ベンチに東屋、湖を見下ろせる展望台などがあり、なかなかよく整備されている。
だが、思ったよりも汀線は遠かったりする。
しかも、駐車場の公園案内図には湖畔へ行く遊歩道があるのに、実際には公園の南半分は造成すらされていない。

 どうやら、公園は途中で完成を諦めてしまったらしかった。
だが、その片隅に湖畔の草むらへ下る公園チックな階段を発見。
これが、遊歩道なのか?



 また藪かよ。

 確かに、遊歩道はあった。
路面はアスファルトで舗装され、擬木コンクリートの手摺りもあった。

しかし、周辺の草藪と一体化しており、舗装された路面すら殆ど覆い隠されている。
この草いきれに咽せるような藪歩道を、手にした二人乗りゴムボートの袋で押し返すようにして、湖へと進む。

 そして、100mほど進むと急な下り階段が現れ、その先で唐突に、歩道は消滅した。



 公園の案内図によれば、歩道は周遊ルートになっているはずだが、そのような物はかけらもない。
しかし、ともかく湖畔の近くまで運んでくれたのは確かで、この激藪ではアスファルトが敷かれていなければ、湖に接近することすらかなわなかったかもしれない。

 何年分もの枯れ草が厚く堆積し、足を踏み入れれば膝まで没する地表を、フラフラしながら湖目指しさらに前進。
思ったよりも遠いぞ。




 枯れ草のフカフカ絨毯を越えると、今度は背丈ほどもある葦の原。
あとはこれが水面ギリギリまで続いていた。
足下には、所々流水があり、しかも深く抉れている場所があるが、目線からは全然見えない。
実際に、私も一度腰まで落ちてしまった。
まさに、これは天然の落とし穴だった。

 写真は、まるで映画のワンシーンのような細田氏幼少に返るの巻。
ここまで来ると、もう国道なんて全然見えず、ほんと大自然である。





  うわー。


 この「うわー。」は、どちらかと言えば、感激のうわーだぞ。
山行がの場合、大概ひどい有様を前に恐々としてうわ〜と言うのが多いのだが、今回は珍しく、感動のうーわーである。

いや、こんなに美しい景色が、国道の近くに隠れていたとは…。
鮮やかすぎる山河に、気持ちがとろけそう。
二人、雑じりけ無い歓喜の声を上げる。




   うわー。

 いま来た草原を振り返る。

背後の山は、国道を挟んだ向こうにあるのだが、道はまるっきり見えず音も届かない。

山の名は、安森(947m)。

かつて、この景色を見て暮らしていた人々が、いた。
昭和33年に、この鎧畑ダムによって、住処を追われるまで。






 車を離れ10分。
我々は湖畔に立った。

水面はどこまでも穏やかで、湖上には舟はもちろん、水鳥の姿もない。
我々は、数時間前に断崖と湖面に阻まれ前進を断念した地点からは約1.5km下流の、軌道とは対岸にいる。
ここから、いよいよゴムボートを膨らまし、湖面へと進む事となるのだが…。

 正直私は不安だ。
風もほとんど無く、波もない、心配された人目も全く気にならない。
最高の条件だ。

しかそそれでも、二人乗りゴムボートなどというもので、この広大な湖を1km近くも遡り、さらに湖面を渡って、隧道へと接近するなどと言うことが、無事にこなせるだろうか?
失敗すれば、どうなるのか?

そんな不安はあったが、それにもまして、この美しい景色の先が見たいという気持ちは、大きい物があった。
細田氏も、到着次第ボートの膨らましに入っていた。




 午後1時30分。

いざ、我々のボート「泉五丁目オブスピリット号(推進:人力 定員:2名 兵装:なし)」が進水した。
このボートは、宮城県有壁での処女航海では輝かしい戦果を上げている。

 ちょうど、我々の辿り着いた湖畔は、進水にはもってこいの遠浅な浜であった。
まずは、船頭であり海兵隊帽子を被った細田氏が乗り込んだ。
次いで、私が乗ろうとしたとき、バランスを崩し、デジカメが濡れてしまった。
これで一台が呆気なくお釈迦となり、サブのカメラが登場。
以後、サブカメラでの撮影となる。

 







つづく

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2005.9.7