ずいどう ―だう 【隧道】
(1)地中に掘った、墓室に通じる通路。
(2)山・川・海底・建物などの下を掘り貫いて、鉄道・道路・水路などを通すため地下に設けた穴。
−広辞林第二版より(作者一部改変)
隧道は、より便利に暮らしたいと思う気持を、直接的に自然にぶつけた結果である。
そこには、独善的な調和も保護も無く、古代よりそこにあった大いなる野山に大胆に穴を穿つ。
遂には、そこを貫通し、我が物顔で人馬を通わせる。
日本において記録にあるだけでも、約250年も前からこの様な“暴力”に訴えてきた。
ただ、その竣工は容易では無い。
これまでも、文字通り埋もれてしまって判明していない数を含め、一体どれほどの土木屋が、或いは人夫が逆襲を受け、命を落してきたか分からない。
隧道工事は、古来より、最も危険で、最も困難な土木工事であったのだ。
超絶な土砂の重量、地球の重み、それは地圧となって、人体内の防衛機能のように、穿たれた隧道の四方から破壊を企てる。
人の手が決して届かぬはずの地中に蓄えられた膨大な地下水も、傷口から噴き出す血液のように、全てを押し流す出水となって、やはり破壊を企てる。
技術と、自然との、最も直接的な闘いが、隧道の工事そのものであり、その成功の為に人は多くの知恵を磨いてきた。
そして、いまや人は、ほぼ自在に地中に道を作る術を得た。
だが、忘れてはいけない。
欧米の「トンネル」と異なり、日本人が与えた「隧道」の名には、その第一義に、
死後の世界への道という意があるということを。
異なる二つの場所を結ぶ象徴的な存在である隧道は、異なる二つの世をも繋ぐのだろうか。
本来、明るい日の元同士を結ぶ筈の隧道が、長い年月を経て、行き先なく深闇に尽きる場合もあるのだ。
自然はまだ、報復をあきらめてはいない…。
訪問者が、突如その標的となり、望まぬ行き先へと連れて行かれる恐れもあるのだということを、決して忘れてはいけない。
だからこそ、
私は隧道を愛する。
あらゆる隧道に、命を賭け、愛を尽くそう。
百の隧道に、百の景色が待ち受ける。
隧道が魅せる、蠱惑の世界を、ご覧にいれよう!