2015/3/15 15:10 《現在地》
最初に橋を発見した位置から、直線的な最短距離でそこへ近付こうとしたが、その目論見は道半ばで閉ざされてしまう。
私有地の高いフェンスが行く手を阻む。
この方角からは、これ以上接近することが叶わないことを理解した。
そしてこの最初の接近による最大の収穫は、空中に途切れたような高架橋に、その相方と見るべきもうひとつの高架橋が、やはり同じように途中で途切れた姿で存在している事を知ったことである。
この2本の橋は、さほど離れずに向かい合っているが、現在位置からは微妙な障害物の配置のために、同時にそれらを撮影することが出来なかった。
だが、明らかにもとは1本の橋であったとわかる姿をしていた。
これを見た時点で、未成橋ではなく廃橋という考えに大きく傾いた。
この時点で、私は初めて手元の地図を確認してみた。
すると、目の前では途切れている高架橋が、地図の中では途切れていない姿で描かれていた。
だが、その描かれ方が少しおかしく感じられた。
結構大きく目立つ、ある意味ではシンボリックな構造物であるにもかかわらず、地図には橋の名前も書かれていなかったのが違和感であった。
また、土地勘が薄かったこともあり、最初に高架橋を見た時点では首都高に関係するものかと思ったが、それとは微妙に離れた位置にあることも理解した。
ともかく橋は、JRの貨物線(東海道線の貨物線で高島線と呼ばれることもある)と運河を一跨ぎにして、陸側のポートサイド地区(金港町)と海側の埋め立て地の山内町を結んでいるもののようだった。
次にどこを目指すべきかと考えたが、ポートサイド側の入り口の方が近そうだったので、そこへ向かうことに決めた。
《現在地》
最初に高架橋を見つけた地点から、ポートサイドへ向かう道すがら、まずは高島線を渡る踏切で足を止めた。
ここが次なるビューポイントになったからである。
踏切の上からは、ひとつ前の撮影地点よりは少し離れてはいるものの、より障害物の少ない状況で高架橋を見る事が出来た。
そしてここに至って初めて、高架橋の途切れている部分が、ちょうど高島線の線路を跨ぐ部分であると言うことが、はっきりと認識出来た。
線路と橋の撤去の間には、何か関係があるのだろうか。
その事に興味が向かったが、今はまだ判断材料が少なすぎる。
それにしても、何ともいえない扇情的な光景だった。
傾斜して上っていく高架橋が絶頂を前にして途切れている風景は、ただの平らな橋が跡絶えているのとは段違いのインパクト…、私を誘惑する強い強い力があった。
《現在地》
踏切を渡って最初の分かれ道を左に折れると、
はじめの一瞬だけは下町っぽい狭い路地だったが、
すぐに都会的なビル群が行く手に広がった。
大縮尺の地図では、この道には「ギャラリーロード」という
注記がなされている。なるほど、名前通りの垢抜けた街路である。
都会の場面として、何の疑いも持たない風景があった。
この街路の奥には、件の高架橋の一端が、隠されもせずに待ち受けていたが、
そこに廃橋のおぞましさのようなものは感じられずく、
お洒落なハイウェイのルックスで街景に溶け込んでいた。
それはまるで、街が気まぐれに身に付けたアクセサリーのようであった。
しかし、どう見ても橋は途切れているのである。
廃橋なのである。
地と無く空と無く互いの居場所を割拠して奪い合う大都会のルールにあって、使われていないまま存在する道路の場違いさは隠しきれないものがあった。
地表をさして占めてはおらず、空の一角を占めるのみだが、間近に地上から見上げるその物量は空を圧して憚らなかった。
おそらく中央の1スパンが撤去されたらしく無くなっているだけで、単純な桁橋構造であればこそ、これでも倒壊の危険度は高くないが、得も言われぬ不安定感があった。
それは物理的なものではなく、心理的なものに他ならないのだろう。
私の目に見えないだけで、実は透明な中央径間が存在しているのではないか。
そんな馬鹿げた想像が居心地良く感じられるほどに、橋はパズルの最後のピースを填め込まれる前の行儀の良さで、すっくと立っていた。
少し前に地図で見たとおり、橋は運河と鉄道を跨いでいる。
その肝心要の中央径間部分だけが消えていた。ここを優先して撤去しなければならない事情があったのだろう。
橋の全貌はまだだが、こちらのポートサイド側半分については、だいたい把握した。
この時点で私の心は地上を離れて、頭上にある橋の突端部分への模索を初めていた。
あの突端から眺める橋の風景は、どれだけに超然的に私を魅惑するかを想像した。
高層マンションからは見下ろされるが、私からは見上げられる高さに橋はある。
地上を離れてからから90度のカーブを描きつつ、運河と線路の上の高みへと上っていく高架橋を目で追うと、今さらながらに廃橋という現実感が薄い事に驚く。
平然とクルマが走り抜けてきそうな錯覚を覚えるが、虚空へ決然と消滅する一方の端部を目にすれば、やはり廃橋以外の何ものでもない。
この楽しいふわふわとした想像を何度も脳内で咀嚼してはひとり、表情をにやつかせていた。
どこか現実感の乏しい橋上にも、見慣れた道路標識やら街灯やらが立ち並んでいるのを見る事が出来た。
しかし、そこに掲げられていた「20km/h」の速度規制は、このバイパス的高架橋のイメージと些か乖離したような非現実感を醸していた。
あまり公道では見ない数字なんだが…、 これは、いったい…?
橋のポートサイド側一帯は、どの場面を切り取ってもパンフレットの写真に使えそうな優雅さを持っていた。
なぜ屋外に金属製の洒落た椅子やテーブルが解放されているのか、オートキャンプ場の一角でもないだろうに。
これまでの経験してきた常識では計り知れない、手の込んだ風景が当然のように広がっていて、高架橋はそれにとても良く馴染んでいた。
途切れた部分が視界に入らない限りにおいては、高架橋は都会を演出するアクセサリーとして、これ以上ないほど似つかわしい添景をなしていた。
それほど完成された風景の中で、部外者の私だけが、これからいつもの私の“やり方”で橋を“体験”しようと目論んでいることは、今は決して誰にも悟られてはならないと思った。
やましさをもった私だけが、次第に居心地の悪さを感じていた。
橋を最初に見つけた地点から見て、橋を挟んだ正反対の位置よりの眺めである。
街路樹が邪魔をしていて、ポートサイド側の橋はよく見えないが、
運河や線路の対岸にある山内町側は、とてもよく見えていた。
15:16 《現在地》
さて、自転車に乗ったまま公園のような裏道を通って回り込んできた。
目の前の道が、ギャラリーロードと呼ばれているポートサイドの東西を結ぶ大通りであり、
この交差点から問題の高架橋が始まっている。
上の写真には写っていないが、少しだけ右を向くと…
↓↓↓
それは、あった!
予想はしていたが、案の定のあからさますぎる立地状況。
思わず気圧される。
反対側に目を向ければ、至って平和な街路風景。
そこには全く何の怪しさも感じない。
だが、それでもやっぱり右には……
↓↓↓
周囲のお洒落さとは明らかに異質のカラフルと無粋さを纏った、もの凄い量の文字情報が氾濫。
拒絶のメッセージと共に、得体の知れなかった高架橋の正体らしきものも、教えてくれている。
空中で途切れていなくて、廃橋でもなければ、私が興味を持つことも多分無かっただろう高架橋。
だが、これはもう抑えきれない。