橋梁レポート  国道254号旧々道 旧落合橋 前編

所在地 群馬県下仁田町
探索日 2014.4.2
公開日 2014.5.4

群馬の山ん中に、

マジで、すっげー橋が現存してたぞ!(2014年3月現在)


この物件は、昨年(平成25年)10月上旬に、ツイッター上でみち(@1600ZC)氏に教えていただいた。
それまで関東移住以来6年以上もの間、何度も訪れている群馬県の山中に眠るこの橋を、全く把握していなかった。
とにかく、見てもらえば分かる、すごい橋である。

今回、雪解け直後の最も藪が浅い時期に満を持して現地を捜索したところ、情報提供通りの橋が現存している事を確認出来た。
以下、そのレポートである。




【周辺図(マピオン)】

本橋の所在地は、群馬県西部の甘楽郡下仁田町を走る国道254号内山峠の旧道沿いである。
長野県の佐久平と群馬県を結ぶ歴史深い峠道の途中に、とんでもない橋が、その威容を誇っていたのである。

橋の名前は不明だが、旧落合橋として話しを進める事にしよう。
その詳しい場所は、右図の通り。
内山峠へ続く旧国道が、市ノ萱川という渓流のさらに支流(西高畠沢)を跨ぐ地点である。
最寄りにして、群馬県側の峠前最奥集落である市野萱集落からは、1.6kmほど離れている。

集落からの接近シーンをレポートするのがもどかしいぐらい早く紹介したいし、国道254号内山峠旧道自体は既に多くの情報が世に出回っていると思うので、本頁ではいきなり現地発見のシーンから始めることにしよう。




想像を遙かに超えていた、“現物”の迫力!



2014/4/2 15:10 《現在地》

という前置きで、今回は本当に勿体ぶり一切無く、問題の落合橋からスタートである。

目の前を横切っている1.5車線の道路が国道254号の旧道で、奥の高い所を横切っているのは、平成元年に全線が開通した現国道である。
また、手前から奥へ向かう1車線の道も見えるが、これはなぜか地形図には書かれていない。
おそらく、現国道の工事用道路という由緒を持つ道と思われ、旧国道以上に通行量は少ないが、一応通り抜けは可能である。

問題の橋は、「旧落合橋」である。
旧国道に見えている赤い欄干の橋は落合橋で、これの旧橋が、とんでもない橋なのである。




ちなみに、落合橋(および旧落合橋)が渡っているのは、内山峠から流れ出る市ノ萱川の支流である西高畠沢である(この写真の左側に見えているのが市ノ萱川)。
この支流の名前は地形図には無いが、落合橋の銘板の1枚から判明した。

なお、旧橋はまだ見えていない。

架かっているのはこちら側ではなく、旧国道の反対側なのである。
谷の規模に相応しい巨大なものだが、微妙に目立たない位置にあり、車で通りすぎるだけだと、気づかない可能性も大いにあるだろう。
とはいえ、本当に目と鼻の先である。

反対側の欄干から、西高畠沢を覗いてみる…



あ!






ぅうわぁあぁぁ!!!


あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば化けもんが出た! ついに出た!!






木造トラスが、出た。




ついに、出た…… 木造トラス………。




ゆ、夢にまで見た、現存の巨大木造トラス橋……。




そうか、ここか。 ここだったか。 ずっとここにいたのか。



ずっと、ずっと探していたよ。 もう、日本には―― いないのかと思いかけていた…!!



酔狂ではない、往時の、本物の、木造トラス橋!!!




凄まじい状況だった!

まず、橋が完全に谷を越えていて、落橋していないという重大な事実。

しかし、鋪装などされていなかった木造の路面は、既に森の苗床へと変化していた。

この緑の最も薄い季節に来たことは、単なる僥倖ではなかったが、
それでも想定を越えて凄まじい、“橋上ジャングル”の状況であった。




トラスが、一番肝心のトラスが見えないッ!

上からでは、ダメッ!!

これは、どうにかして谷底へ下りて、下から見上げなければ納得出来ないな。

全身の血液が眼球と脳に集中しすぎて、身体感覚がない。
まるで浮遊しているかのように、落合橋の欄干が私の身体に纏わり付いた。
やばい。まだ全然消化しきれない、化け物すぎる。 今、分かっていることは、
とにかく巨大な木造のトラス橋が、西高畠沢を完全に渡りきっている事実だけ。




落合橋を渡って、峠側へやって来た。
こちらの親柱の銘板をチェックすると、落合橋の竣功は昭和39年11月と判明。
カーブした橋なので、もう少し新しいかと思いきや、案外古かった。
そしてこのことから、昭和39年(1964年)までは、木橋(旧落合橋)が現役だったと判断できる!!

すごい。 よく、残っていたものだ! 本当に奇蹟と言って良い。
木橋の耐用年数は、せいぜい15〜30年程度とされていたと記憶している。
しかも途中からは完全にノーメンテナンスだっただろうに、廃止後50年を経て未だに架かっていようとは、木橋に見えて実は鋼鉄なんじゃないかと疑ってしまったくらいだ。

なお、国道254号が「二級国道東京小諸線」としてはじめて指定されたのは昭和38年であり、落合橋架設の前年である。
このことは偶然ではなく、国道指定に伴って橋を架け替えた可能性が高い。
だが、国道となった最初の一年は、この木橋が国道だったのだ。




15:12 《現在地》

隣り合う、2本の橋。

旧橋と、旧旧橋。

現役と、廃。

現代土木と、近代土木。

ビヨンドと、レガシィ。


私は、この橋を「もっと」ではなく、

「もっとも」近くで、眺めたいと願った。




願いのままに踏み出される、旧旧道への一歩。

あれを無条件で渡り果せると思うほど自信家ではないが、傍から眺めて満足出来るほど利口でもない。

この橋だけを特別扱いはしない。
普段の廃橋との接し方をここでも履行する。
つまり、渡れるならば渡ってやる。
誰が何と言おうと、私にはこれに勝る橋との親しみ方はない。

だが、渡橋の問題と向き合う前の段階でまず、どこからが橋なのかと言う事さえも、注意していないと見誤る様な路盤の状況には、正直恐怖を感じた。

まだ橋だと思っていなかったよ…なんて、断末魔の叫びにもなりやしない。
路盤の上にいて、どこから橋が始まっているのかを正確に見極めるためには、どうしてもその際(路肩)にいる必要があった。




なんという、無慈悲な高さだろう…。

路肩には、ほぼ垂直な空積みの石垣が続いていた。
つまり、まだ橋は始まっていない(隣の落合橋はもう始まっている)。
それはいいのだが、両岸ともに岸の切り立ち方がハンパではない。絶壁に近い。

橋が渡れるかどうかの判断が終わったら、今度は谷底まで下りて橋の全体像を見るのが楽しみなのに、容易くはさせてくれない予感だ。

ええい! 秘中の秘とでも言いたいか。 今まで暴かれなかった秘密だとでも言いたいか。

だが、絶対に容赦は出来んぞ。 渡る事には無理はしないが、下から見上げることに関しては、何が何でも絶対やる!!
それをしなければ、このトラスは俺の中で納得出来ない。




橋が始まった。


そしてすぐに分かった。

これは、立って渡ることは出来ない橋だと。

ニャンコ(四つ足歩行)になるしかない橋だと。

逆に、四つ足でさえいれば、 い け る か??





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