今回は、左の地図で示した「雄物新橋」が主役である。
私の住む秋田市に、この橋はある。
名は、「雄物新橋」という。
橋長 416m
竣工 昭和38年11月
そう、“新”橋とはいっても、この橋は古い。
この雄物川河口部には並んで3本の道路橋が掛かっているが、昭和9年竣工とダントツに古かった「秋田大橋」が2001年度に遂に架け替えられたことで、この橋が、最古橋ということになってしまった。
そして今、この橋が大変なことになっている!
2002年9月、現状を視察してきた。
実は、上記の前置きには少しうそがある。
この橋が陥っている“大変な事態”のことは、この走行時には知らなかったのだ。
ただ、何やらただならぬ雰囲気になっていたので、写真を多数撮り、帰宅後、秋田魁新報のサイトを検索してみたところ…、この橋の置かれてる状況を正確に把握したというのが、実のところだ。
以下では、私が現場で感じたことをメインにして、レポートをお送りしたい。
快晴の朝、ひんやりと冷たい秋の空気を全身に感じながら、雄物川河口部に掛かる橋を、雄物大橋に始まり、順に上流へ向かって調査した。
雄物大橋は、近代的な長大橋梁で、美しいが面白みには欠ける。
そんなことを考えながら、雄物川河岸の舗装路を進む。
次は、雄物新橋だ。
この橋の印象はひとつ、『歩道狭い!!』であっから、今回もあの“狭”怖の歩道を走ろうかどうか、漠然と考えた。
そうこうしているうちに現れたのが、右の標識。
重量制限が掛かっている。
「14t」は別に厳しい制限ではないのだが、この橋を悩ませているものの正体こそが、この重量なのだということを知るのは、しばらく後のことであった。
これが、雄物新橋だ。
クリーム色の鉄橋の造形に特徴がある。
中央のかまぼこ型の鉄橋を中心に、左右対称に、端にいくにつれ小さな、形の違う鉄橋が作られている。
その数は合計6個。
鉄橋の上部を結ぶと、丘のように緩やかな1本の弦が描かれる作りは、他では見ない、効率よりも美観を重視した道路建築物である。
こういうのを見ただけで、「あぁ、この橋古いのね。」という感じがしてしまう(笑)
袂に到着。
おや、なんか様子がおかしいぞ。
あの、最“狭”の歩道橋が、閉鎖されている。
それに、車道にも『信号機あり』の看板が。
橋の入り口になのに、信号機あり??どこに??
とりあえず、歩道の状況についてだが、この雄物新橋、車道だけでいっぱいいっぱいの細さなのである(幅5mで2車線)。
それで、いつの頃にか車道橋の両脇に、この歩道橋が増設されたらしい。
しかし、この歩道橋がまた、車道橋に輪をかけて細さが強調されている!
次に、通行止めになっていなかったもう一方の歩道を見ていただこう。
反対側の歩道橋の袂にも、何やら以前は無かった看板が。
なになに……。
「歩道幅が狭い」…さすがに、県(ここは県道、主要地方道65号線である)でもこの狭さは、感じていたのね…。
しかし、譲り合えといわれても、…次の写真を見ていただきたい。
この狭さで、どうやって譲り合えと?!
幅は五十センチ位しかない。
対岸まで、400メートル以上ずっとこの幅。
チャリでここを渡るのは、相当に緊張できるが、お薦めはしない。
途中で降りれない(チャリを押して歩くスペースが無いため)し、
なんといっても対向者がきても譲りようが無いので。
笑い事でなく、もし本当にチャリ同士鉢合わせになったらどうすんだろ?
ジャンケン?! でも、負けたほうは? 降りれないんだから…戻れないよ!
以前は、車道の両側に歩道橋があったので、一応上り下りで使い分けが可能であったと思うが(ただ以前から、そのような事をしていた様子は無かったけど)、現状では、この歩道橋をチャリで走るのは、あまりにもリスキーであり、私ですら、見合わせた。(以前走ったときは、閉所恐怖症になりそうになった)
で、いよいよ、この橋を渡る。
信号機がどこにあるのかこの段階では分からなかったのだが、嫌な予感はあった。
だって、橋の奥のほう、ちょうど中央の鉄橋の真下あたりに、何やら小屋が、道路上に小屋が、見えていたのだ。
何のための小屋なのか分からぬまま、進入。
二つ目の鉄橋に差し掛かる頃になると、だいぶ先の様子が見えてきた。
やはり、信号機は橋の真ん中に設置されており、片側交互通行となっているようだ。
なかなか見ない光景である。
さらに、信号待ちの車から読んでもらおうという意図なのか、「ご通行中の皆様へ」と銘打った、やや長い注意書きが設置されていた。
写真では文字が非常に小さく読みにくいと思うが、どうやらこの通行規制は、橋の損傷による危険を防止するために敷かれているものらしい。
そういわれてみれば…、
通行止めになっている海側の歩道は言うに及ばず、この車道橋も、相当にガタが来ている感じはしますな。
これが、現在は閉鎖されている海側の歩道橋である。
このあたりは、風力発電所が営業運転しているほどに年中風が吹き、特に海からの風は強い。
そのため塩害も相当のものらしい。
確かに、一目見ても、この状態では危険といわざる得ないだろう。
よく見ると、鉄橋の隅にこの銘版があった。
「1939年11月秋田県建造」とある。
ちなみに、下のほうに「製作 日本橋梁株式会社」とあり、この会社が今もあるのかWEBを検索してみたら、健在でした。
この橋が誕生した当時は、これが最も海よりの橋であったわけで、かなりの大事業であったことだろう。
昭和49年の秋田県橋梁調書によると、その当時で延長416mのこの橋は、県内第8位の長大橋梁であった。(秋田大橋は第二位、一位は玉川大橋。)
上流のほうを見ると、輝く川面の向こうに、見慣れた六連鉄橋「秋田大橋」が。
一見現役のようだが、この橋はもう寿命を終えており、今は取り壊しの日を待っている。
この鉄橋の姿が消えると、後にはのっぺりとした現道だけが残ることになり、なんとも寂しい。
「秋田大橋」の名に負けておる。
さて、いよいよ雄物新橋のクライマックス。
鉄橋内信号機である。
この時間、朝のラッシュにあたり通行量が半端でない。
橋の上は信号待ちの車で大渋滞だ。
敢えて私はその先頭に立ち、写真を撮りまくったが、さぞかし後続の車にとっては迷惑であっただろう。
残り待ち時間は25秒。
そしていよいよグリーンシグナル!!
ちなみに、この写真に大きく写っているヒマワリ状の警告灯、その名も「ネオひまわり」という。
遂にこの怪しい骨組みの中に突入だ。
一見、ここが橋の上とは思えない異様な光景。
この状態は、鉄橋の点検か、再塗装の為のものと思うが、それにしても大掛かりである。
車一台分の幅しかなく、ここでもたついていると、いよいよ対向車が来そうだったので残念ながら写真はこの一枚のみ。
実際、私が交互通行区間を越えるや否や、対向車線の信号ままだ「5秒」であったにもかかわらず一斉に動き出しやがった…。
そそくさと残りを渡りきる。
そして振り返ると既に、橋の真ん中の奇妙な空間はずいぶん遠くになっていた。
この橋を後にし、さらに上流に向かった私であった。
さて、帰宅後もこの橋の異様な様が気になり、もしや何か情報があるかもとWEBを調べたところ、秋田魁新報のサイトで過去の新聞記事にヒットした。
直リンを貼ってもよいのだが、切れると嫌なので、以下に要約。
雄物新橋は、平成13年11月頃、歩道の拡幅の要望を市民より受けた県が調査した際に、中央付近の橋桁の腐食が著しい事を発見。とのことである。
橋の強度が落ちていることが分かり、「車両が全面通行し、橋に過重な負担がかかれば、重さに耐えきれず、崩落の危険性が高まる」と判断されるに及び、直ちに橋の中央部が片側交互通行とされた。
しかし現場はバス路線であり、朝夕を中心に交通量が多いだけに、付近住民やドライバーからは早期復旧の要望が強く、県では現在補修方法を調査中である。
ただ、橋桁だけでなく、橋全体の老朽化が激しいことから、架け替えも視野に入れて協議を進めている。
で、最後に県関係者の一言をそのまま引用。
「現在の橋は通行止めにできないし、経費負担がかさんで近くに橋を仮設するのも容易でない。
このため、当面は現在の橋を補修しながら利用し続けることになるだろう。」
金が無いのは分かる。
でも、県は一体どういう基準で予算を配分しているのか?!
秋田中央道路に1,262億円も掛けるくらいなら、まずはここを何とか…。
素人考えに、そんな事を思ってしまった。実はこういう変な道が誕生することは大歓迎なのだが(爆)。
…でも、こういう状態で万が一にも橋が落ちたら、秋田県は叩かれるだろうなー。(イヒヒ)
2002.9.25