宮城県にお住まいの川釣り師TENさまより、衝撃的なメールが送られてきたのは、今年に入って間もなくのある夜だった。
彼は、仲間達との釣りのなかで、これまで何度か、あの木橋を渡ったことがあるというのだ。
それを読んだ私は、無謀な人は結構いるものだなと、最初はそう思った。
だが、メールを読み進めていくうちに、そうではないと知った。
彼らが渡ったのは、もう、 いまから27年も前のことだったのである。
宮城県にお住まいの川釣り師TENさまより、衝撃的なメールが送られてきたのは、今年に入って間もなくのある夜だった。
彼は、仲間達との釣りのなかで、これまで何度か、あの木橋を渡ったことがあるというのだ。
それを読んだ私は、無謀な人は結構いるものだなと、最初はそう思った。
だが、メールを読み進めていくうちに、そうではないと知った。
彼らが渡ったのは、もう、 いまから27年も前のことだったのである。
これが、27年前、昭和52年の夏の、大木橋の姿である。
画像にカーソルを合わせると、おととし私が撮影した写真に切り替わる。
この写真を見たら、もう、
もう二度と渡ろうなどという気にはなれなくなった。
たしかに、そこには私のこれまでの人生とほぼ同じ長さの、
経年というものを、感じたから。
TENさんらは、当時、
この渓にヤマメが多く潜んでいた事を発見し、足繁く通い詰めたのだという。
そして、数年間にわたり、この橋を渡り続けたという。
当時はまだ、渡るに躊躇いを感じさせなかった、この橋を。
その模様は、
『 渓 流 随 想 』に詳しい。是非ご覧頂きたい。
(随想記→(38)大倉川)
彼の語りからは、当時の橋の有り様や、
麓の十里平集落に住む人たちの息づかいまでも伝わってくる。
もう、いつ落ちてもおかしくないといわれ続けている定義の大木橋。
今この時も、深い雪の下で年輪を刻み続けているに違いない。
誰も知らない最期の時を独り 待ちながら。
私はせめてもう一度だけ、この橋を見ておきたいと思う。