その13
猿神鼻岩洞門 明治のバイパス隧道
2003.3撮影
青森県西津軽郡深浦町
青森県は深浦町、五能線を降り立った私は、一路秋田へ向かって国道101号線の走行を開始した。
そして、早速遭遇したのがこの洞門群であった。
それは、地図との睨めっこでは決して見つからなかったであろう、小さな小さなものだった。
右に写るのは国道101号線である。
深浦駅から、秋田・能代方向へ深浦港に沿って走ること数分、深浦町役場のすぐ目と鼻の先である。
山側に小さな穴があるのが目に入った。
どうやらそれは、遊歩道として整備されているようだった。
隧道は遊歩道に続いていた。
綺麗に整備されており私的には興ざめだが、まあ、市街地に素掘りのままの隧道があっては、何かとマズいのだろう。
それによく見れば、十分コンクリが吹き付けられ安全対策をされている割には、なかなか素掘りのムードは残っており、わるくない。
ちょうど傍らに、立派な説明版が立てられており、隧道自体には銘板などの無い代わりに、色々と説明書きがあった。
それによると…、
「猿神鼻岩洞門」は、穴門とも呼ばれ、深浦湊への物資の安全な運搬の為に、明治25年から39年にかけての能代道改修の折、猿神鼻岩を掘削し完成したもの。
…とのことである。
最初の5mほどの隧道をくぐると、道は急な左カーブとなっており、そのさきにすぐ次の隧道があった。
二つ目の隧道も、一つ目と同様の規模でよく似ている。
幅、高さとも2mほど。長さは3mほどだろうか。
そして、その直線上にさらに3本目の隧道が見えている。
これが、3本目の隧道の先から振り返って撮影したものだ。
隧道は全部で3本あった。
それにしても、この3本目の隧道のみ、内部の作りは素掘りにコンクリ吹き付けと他の2門と同じであるが、坑門が立派である。
幅も広いし、高さもある。
…しかし、なんか怪しくない??
いかにも、明治っぽい石組みの坑門だが、妙に新しい気がする。
というか、内部の素掘り部分との接点が吹き付けられたコンクリによって見えないので、何とも言えないのだが…。
やっぱり、“後付け”っぽいなーー??
まあ、この坑門は復元されたものであって、元々こういう物があったのかもしれないが。
離れてもう一枚。
今日では、海側を国道が悠々と通り、公園のアトラクションに成り下がってしまった感が否めない隧道だが、たしかに、ここに明治の隧道が存在したのである。
今国道が通っている場所は、おそらく、当時は険しい磯だったのだろう。
それで、迂回する隧道が必要だったのだと思う。
公園として過剰に装飾されたとはいえ、未だ現役で、しかも当時の形状の殆どそのままに利用されているとは、なかなかに貴重な隧道ではあるまいか。
正確な竣工年度は不明ながら、明治の中期の作である。
“大正国道”の次は、明治の隧道です。
本文でも触れている通り、最初は「興ざめ」と感じたものも、じっくりと触れてみて、通ってみて、印象が変わりましたね。
明治期の隧道は今や殆ど残っていないし、まして、現役で利用されているものは、大変に稀です。
2003.3.23作成
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