その14
夏瀬洞門
2001.9撮影
秋田県仙北郡田沢湖町
田沢湖町の抱返り渓谷といえば、県内はおろか、北東北では結構名の知れた景勝地である。
しかし、絵葉書などでその景観は知られていても、意外にその実態は知られていない。
そのメジャーさに反して、抱返り渓谷の核心部に繋がる車道はない。
そこは、長時間に及ぶ徒歩によってのみ辿り着ける境地なのだ。
そして、さらにその数キロ上流に、今回紹介する夏瀬洞門は位置している。
先に述べたとおり、直接抱返り渓谷を遡上して来る車道はないのだが、国道46号線から山越えの林道が伸びており、この夏瀬一帯にたどり着くことができる。
既にそこは、深山と呼ぶにふさわしい境地だ。
写真は、一軒宿である(付近に集落も無い)夏瀬温泉である。
背後の山は、大影山という。
ここから、抱返り渓谷へ続く遊歩道もあるが、距離も長い上に、近年は橋梁の老朽化などのために通行止めの処置が取られている。(素掘り隧道ありとの情報あり。2003年現在未走であり、今後の課題。)
林道は、夏瀬温泉の先にも続いている。
更なる上流へと。
そして、まもなく現われる。
その、一風変わった洞門が。
無骨で飾り気のない造りながら、どこか優雅な印象を与える洞門。
かなりの年月を経ているように見えるが、名称や竣工年度などの情報はない。
車一台分の狭い洞門は、途中何度か方向を変えながら、回廊のように続いている。
長い洞門である。
そしてなぜか後半、鉄骨とコンクリートのハイブリッドな構造になっている。
これは、他では見ないつくりである。
洞門の柱の合間に見える玉川には、古くからの治水事業の歴史がある。
それは、全国でも稀に見る酸性水との、闘いであった。
玉川は、県随一の湯治場として全国にも知られる玉川温泉を源流に持つ。
というか、玉川の源流は、玉川温泉の源泉なのだ。
そのため、そのphは源流部ではなんと1.1にも達する。
これは、まさに塩酸そのものであり、戦前より「玉川悪水」と恐れられた玉川の水は、鉄をも溶かす死の水なのだ。
源流から30km以上下流にある田沢湖町一帯でも、玉川は殆ど魚の住めぬ死の川であったし、農業に利用するのもままならない状態であった。
この玉川で最も有名な治水事業としては、昭和15年に完成した「田沢湖導水」がある。
他の川とは接点を持たぬ巨大なカルデラ湖であった田沢湖を、巨大な中和池として利用しようとしたこの導水計画では、外輪山に導水トンネルを掘り玉川の酸性水を導いたのである。
しかし、中和と電源開発という一挙両得を狙った計画は、思いがけぬ失敗に終わる。
なんと数年後には、田沢湖自体が魚の住めぬの死の湖と化してしまったのだ。
昭和の絶滅種の一つ「クニマス」は、この田沢湖の固有種だった魚である。
戦前の強硬な政策により、丸々一つの湖が死んでしまったというのは、信じがたい事実だ。
子供の頃、どうして湖畔に集落を幾つも抱える田沢湖が、北海道の無人の山中にある湖を上回り、長年全国一の透明度を誇っていたのか不思議だったし、県人としてはなんか誇らしくもあったが……皮肉なものだ。
戦後も多くの中和策が試され、一定の成果を挙げているが、失われた生態系が回復することはなかった。
都会の人には、清流の証のように写るかもしれない「蒼い」水だが、これは、今日でも消えることのない、強い酸性による化学的な発色なのだ。
一帯は、田沢湖市街のすぐ下流にあるが、そうとは思えぬほどに、水は美しく見える。
林道の終点となるこの夏瀬ダムは、発電用に稼働している。 洞門も、この有人のダム施設の作業員の為にあるようなもので、一般車の立ち入りは制限されている。
険しいながらもハイキングコースとなっている抱返り渓谷に比べ、さらに夏瀬ダムの上流に続き、田沢湖市街に抜ける道は、一部だが大変アスレチックである。
昭和38年まで生保内森林軌道に供されていたそうだが、今では荒れるだけ荒れている。
その話は、また、いつか。
この吊橋の先…、
ここでも、俺の愛車は脱輪(車輪もげ)したんだよなー…。(遠い目)
2003.3.25作成
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