今夜の更新は、宮城県白石市の新幹線駅近くのホテルの一室からお送りする。
あるアルバイトをするために来ているので、しばらくは自宅に戻れない。
慣れないノートパソコンのキーボードは打ちづらいしモニタも狭いし明日は早いしで、三重苦であるが、ちょっとがんばってみたい。
いろいろと見苦しいかも知れないが、帰宅するまで大目に見てください(笑)。
このネタは、昨日ここへ来る途中ちょっと寄り道した、まさにもぎたての新鮮素材だ。
場所は栃木県日光市藤原。数年前までは藤原町であった川治温泉と鬼怒川温泉との境の辺りの、竜王峡と呼ばれている辺り。
⇒【所在地】
ここで私は、国道121号の旧道とおぼしき、ごく短距離…200m程度…の旧道を発見。
チャリを使って踏査を試みた。
そこで、明治の古地図にも描かれていない“奴”と出会った。
この場所は前述の通り竜王峡と呼ばれていて、鬼怒川の蛇行する渓谷のだいぶ高い縁を国道は迂回する。
江戸時代からの難所だったところだ。
現在は谷底に「竜王峡遊歩道」が作られており、それはまるで地図上で旧道のような雰囲気を醸し出すが、本来は発電施設の管理道路だったらしい。
私は右の地図の矢印のように、北側から旧道らしき道形を見つけ、これに入ってみた。
竜王隧道の殺風景な坑門を見ながら。
これが旧道入口。竜王隧道北口(川治温泉側)だ。
ここに隧道を経由しない旧道が有ることは古地形図も教えている。
なお、現道の竜王隧道は…さっきからドラクエのあのメタボっぽいドラゴンのイラストが頭を離れない…『隧道リスト』曰く、昭和41年に竣工した全長80mのトンネルで、きつくカーブしているので出口を見通せない。
辺りは日陰になっていて、スリップ事故がいかにも多発しそうなカーブだ。
山襞をショートカットするトンネルの外に迂回旧道があるというのは、まさしく王道。
しかし、旧道に入ってすぐ、ご覧の高いバリケードに阻まれる。
ゴ〜ルデンウィーク中と言うことで、背後の国道は頻繁に車が通る。
さて、バリケードの先は雰囲気の良い地道である。
道幅はなんとかぎりぎり2車線で、舗装は無い。
のり面は全くの無普請でごついが、意外に崩れは少ない。
少し進むと、取り囲む岩や木々によって国道の喧噪は急激に離れていく。
もっとも、旧道の折り返し地点である“岬”突端までも100m足らずであるから、完全な静寂は得られない。
それにしても、旧道に入ってからずっと続く谷側の重厚な擁壁が気になる。
石材をコンクリートで固めた…いかにも遊歩道っぽいもので、おそらくこの旧道がかつて竜王峡遊歩道の一部分であったことを示す。
70〜80mほど進んだところで、ますます高くなっていくのり面がネットに覆われた。
これが遊歩道時代に設置されたものか、はたまた昭和41年以前の車道時代のものであるか。ちょっとわかりかねる。
だが、問題はネットではない。
そのネットの向こう側。
何か有るぞ。
なんと、そこにはネットに塞がれた坑門が!/p>
高さ幅ともに2.5m程度の、軽自動車がようやく通れるサイズでしかない。
それはここまでの道幅より遙かに狭く、また、歴代の古地形図にも描かれていない存在だ。
きっと、ここまでの旧道よりもさらに古い物件 …明治期の隧道である可能性も。
隧道は旧道に対して60度ほどの角度を付け、唐突な感じで坑口をさらしている。
旧道を本格的に車道として用いるようになった昭和30年代には、もう廃止されていたのかも知れない。
旧道とこの隧道とは、互いに相容れない線形といえる。
← 洞内は明らかに埋め戻されている。
また、岬の地形を考えれば、隧道の長さはあっても20m〜30m程度。
→ その閉塞は明らかだったが、落石防護ネットの隙間から内部へ侵入。
隧道愛のなせる技だが、どんでん返しが起きることもなく、内部にはめぼしい遺物は無かった。
数秒で踵を返さざるを得ない。
チャリを押しながら旧道をさらに進むと、まもなく岬の突端の急カーブへ。
私は、この写真に写る左側のバリケードの向こうから来て、右の砂利道へ進む。これが一連の旧道だ。
私の背後には、尾根の背を伝って谷底へ下る遊歩道がある。
このカーブを数十メートル短縮する位置に旧隧道は有ったわけだが、気になるのはその由来だ。
ここは会津若松〜今市(日光市)〜東京の最短経路にあたり、三島通庸が福島県令時代に最も重視した道筋である。
そのために、明治20年代までには馬車が通れる状況に整備された。
旧隧道は明治初期に掘られたのではないか。
また、この道筋が電源開発によって車道としての体裁を整えたのは昭和20年代後半である。
ダンプトラックなど通るべくもない旧隧道は、この時点で役目を終えたと思われる。
ノーポイって、ポイ捨てをしないっていう意味だと思っていたが、実は違うのかも。
それにしても巨乳。
遊歩道へのアクセスルートとして轍が鮮明な残り半分の旧道。
そして、案の定あった。
旧隧道の南口らしき跡地が。
「キジも鳴かずば撃たれまい」と云うが、さしずめこの場合「柵も立てなきゃ見つかるまい」だ。
どうせ内部は塞がっている隧道であるから、さほどがっかりというのは無かったが、ご覧の通り自然崩壊中。
でも…
でも穴を探しちゃう。
そして発見。
本来の隧道断面の上部にある、下向きの傾斜坑。
いつもこの種の入口は戦慄だ。
ガスとか溜まってないか不安で…。
瓦礫の山を下って洞床に辿り着いても、そこから3mほどでまた山盛り。
で、山盛りがそのまま天井に達して、空洞はジ・エンド。
この盛り土の壁は意外に厚く、20mくらい有るのかも。
また、此方側はなぜか天井が高く感じられるが、崩れたせいかもしれない。
出よう。
再びこぎ出すと、すぐに社会=車界の喧噪が戻ってくる。
で、緩い下りを楽しむまもなく現道に合流。
ここには、白岩というバス停がある。
「竜王峡」という呼び名は何となく観光命名っぽいので、或いは元々は「白岩隧道」などとよんでいたかも知れない。
この辺のことは、帰宅したらしかるべき資料に当たって確認したいと思う。
竜王トンネル南口(今市側)。
向かって左がいま辿ってきた旧道だ。
小さな廃道だったが、まさか隧道があるとは思っていなかっただけに、これは嬉しい誤算だった。
完