その18奥羽本線 旧 第一鶴形隧道  2003.4撮影
 秋田県能代市 富根


 明治34年、青森市から伸びてきた鉄路は、当時はまだ東洋一の木都として著名であった能代市に達した。
当時この路線は奥羽北線と呼ばれており、明治37年に、県域の南端院内に福島から伸びてきた奥羽南線が達するまで、秋田県唯一の鉄道であった。

 明治34年に営業を開始したのは、二ツ井駅から、富根、鶴形を経て、機織(現東能代駅)までの区間であったが、この間には初め2本の隧道が設置されていた。
しかし、昭和40年代の電化工事に伴い、改廃が行われた。
結局、富根〜鶴形間にあった隧道の一本は廃止し切通に、もう一本は旧トンネルの隣に新トンネルを設けた。
さらに、二ツ井〜富根間には単線用の新隧道が開削され、上り線用に利用されている。

 この地に残る2本の廃隧道の内一本は紹介済みなので、残るもう一本を紹介しよう。




 前回紹介した第二鶴形隧道から富根駅方向へ、線路と平行し国道7号線を走行する。
そう距離をおかず、廃止された旧 第一鶴形隧道の西側坑口が、国道の脇に見えてくる。
この場所は、高速な車の流れの中からは見出せないと思うが、場所が分かればアクセスは容易い。



 ご覧のように国道から見える。
すぐ後ろには並走する奥羽本線の現役のトンネルが口をあけており、さらに後ろは視界が開け、米代の流れに能代平野を見渡せる。

 それでは、接近してみよう。






 国道からの入り口は舗装されており、目印として大きな鉄製の酒樽(『菊久水』の文字あり)が置かれている。
何ゆえにこんなものが…、という疑問は、後ほど解明することになった。
アプローチの道は短いが、ガードロープで封鎖されており、なにやらいつもの廃隧道とは違う雰囲気だ。

 そう、これは、私にとっての “嫌な予感” だ。



 労せず坑門の前に立つが。
やはり、嫌な予感は的中。
個人の所有物として、立ち入れないように処置されていた。
しかも、ものすごく厳重に!(「SECOM」のシールが張ってあった。)

 またも、

   ショボン…

 である…。



 しかし、現役で利用されているだけあって、その残存状況は良好だ。
とても、100年を経たようには見えない。(… と、思う。←自信なし)

 主にこれまで私が探索してきた多くの自動車用の隧道は、古いなどといっても、せいぜい昭和初期の竣工であった。
それが、この隧道をはじめ、奥羽本線の旧隧道と呼ばれるものの多くは、さらに50年を遡る歴史があるのだから、鉄道の歴史の深さを感じる。
 妙にシャチホコばって見える、厳つい坑門の構造も、かつての土木技術の水準では、正に必要なものであったのだと考えるようになった。
初めは、戦前のイメージというか…、まあ、うまく言えないが、そんな先入観で見ていたのだが。
 たとえばこの、坑門のアーチの中央に位置する立派な“要石”。
これも、ただの飾りではなく、この構造を安定させる為の、正に”要”、美しくも実用に照らした構造なのだ。



 振り返ると、そこはただの廃線跡である。
右のほうには、現在の線路の架線が写っている。


 さて、つぎは、この反対側。
東側の坑門を見てみよう。
移動だ。




 国道に戻り、ピークを越えると間もなく旧国道が合流してくる。
この先は間もなく富根駅なのだが、引き返す方向へと旧国道に入る。
すぐに、新旧の坑門が仲良く並んでいる光景に出くわした。
またも、労せず、である。


 どうやら、こちら側がこの隧道の“正門”らしい。
入り口には、なにやら立派な表札が掲げられている。(しかも廃された橋台に!)

 地下貯蔵研究所
とある。

 これ、実は酒飲みには有名な場所らしい。
ためしにネットで検索してみると、出るわ出るわ。
廃隧道内の年中安定して低温な環境が、酒の醸造に良いという。
なるほど、さもありなん、という感じだが…。

 こんなの…

 俺の期待してる廃隧道の姿じゃねェー!

 ショボン…




 怒りは納まらない。
いくら俺が俄か鉄っちゃんだからって、…
 馬鹿にするナ!

 こんな車掌車が、この廃隧道と何の関係がある?!
「鉄道に関した遺構だけに、なんかマニアックぽい鉄ものオブジェを置いてりゃ喜ぶだろう」というような、隧道ファン、鉄道ファン、明治ファンをなめ切った態度が、むっふー。
せめて置くなら、橋台と坑門の直線状に置いてくれ!




 うむ。
立派な坑門である。

 が、
坑門上部が、なにやら展望台になっている。
いらんことを…。

 この隧道内、予約すれば、見学できるらしい。(有料で)
あいにく、予約などしていないし、金を払って廃隧道って言うのもナ…。




 誇らしげに坑門脇に掲げられた、国の登録有形文化財を示す扁額。
たしかに、
『喜久水酒造地下貯蔵研究所(旧奥羽本線第1鶴形隧道),煉瓦造、長さ93m、幅3.8m,秋田県能代市字鳥屋場』として、登録されておる。

 廃隧道。
確かに、廃されているのだから、このように再利用でもされて人様のお役に立ってでもいなければ、文化財として保護するメリットはないわな。
でもそれって、やっぱり国は廃隧道などを文化財とは考えていないという証なんじゃ?

 ま、いいんだけどね。
私にとって、ここが気に入らなかっただけのこと。
それだけです。
そもそも、廃隧道だから、うらぶれてなけりゃならないというのもエゴな訳で、分かってますとも。
ただ、なんか、大好きなあの子が、遠くに行ってしまったようで… (←キモイよ)




   旧 第一鶴形隧道

 竣工年度 1901年  廃止年度 1971年  
 延長 92.54m   幅員   目測2.5m    高さ  目測3.0m

 現在は酒蔵として利用されており、立ち入りできない。

※この隧道名や廃止年度、延長などは、書籍『奥羽鐡道建設概要』内の表記を、 『NICHT EILEN 「ニヒト・アイレン」』 の管理人 TILLさま よりご紹介いただきました。
ありがとうございました!



2003.4.16作成
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