その17
奥羽本線 旧 第二鶴形隧道
2003.4撮影
秋田県能代市 鶴形
奥羽本線は、明治期に竣工したことことから、その後の電化などに伴うトンネルの改廃などがあり、当サイトの格好のネタとなっている。
同じ“本線”とはいえ、県内には目立った遺構のない羽越本線とは、対照的である。
さて、今回も、やはり昭和43年から46年にかけて行われた、奥羽本線秋田以北の電化工事によって、付け替え・放棄された隧道を紹介しよう。(ミニレポートでの紹介は初めてだが)
JR奥羽本線は、能代市街地の東端に東能代駅を設け、その後は進路を東に変える。
大館市までの40km余りに渡って、米代川や国道7号線に沿って東進する訳だ。
途中、能代市と二ツ井町のあいだの鶴形地区、そして、二ツ井町と鷹巣町のあいだの前山地区と、小さな山越えとなる区間が二つある。
いずれも、国道7号線を車で通り抜ける分には、何てこと無い峠なのだが、勾配にもカーブにも弱い鉄道にとっては、同じではない。
鶴形駅を経つ。
間もなく集落は途切れ、北側から順に、国道の旧道・線路・現国道7号線、という並びで、一緒になって登りが始まる。
この辺りでは、米代川はさらに北にあり、1kmほど離れている。
写真は、現国道から撮影しており、奥に見える旧道、その手前架線のかかった線路、さらにその少し手前、レンガつくりの橋台が、あるべき橋のないまま写っている。
どうやら、駅を出て早速、旧線はやや南寄りに分かれているようだ。
国道はご覧の切通で、ほぼまっすぐ越えてゆく。
朝のラッシュに掛かる時間で、車通りは非常に多かった。
左側の部分に、写っていないが、旧国道や線路と旧線跡が並んで走っている。
分かりにくい写真で申し訳ないが、現国道の峠付近から左下に、あっけなく発見された隧道の坑門が写っている。
写真やや上部に、コンクリートのような(実際はレンガなのだが)構造物が見えるであろう。
これが、坑門の上部である。
そう、どうやら隧道は埋没しているようだ。
歩道にチャリを捨て、接近を試みる。
夏場はさぞ接近が困難になることだろう。
背丈以上もある雑草の立ち枯れが、一冬を越してなお、そこらじゅうに乱立していた。
これら、写真では木の様に見えるが、ぜんぶ、中の空洞になった一年草である。
触ると簡単に、ポキポキと折れる。
そして、坑門はすっかり地中の人になっていた。
…うーーん、これって、入れるんかなぁー?
一応、入れるなら入りたいけどなー。
恐る恐る覗き込んでみると…。
100mほど先に微かに見えるのは、やはりこちら側と同じ三日月型の明かり…。
内部は全部、この坑門のように、土が詰まっているのだろうか?
多分そういうこともないと思うが、これはちょっと…却下だな。
匍匐前進は、好きじゃないし。
余りにも国道に近いので秘境感が乏しすぎ、失礼だけど、廃材捨て場のような感じに見えちゃう。
坑門を飾る明治の威厳も、後世のお行儀次第で、こんなに変わり果ててしまうという、残念な見本に、なっておりました。
早速にして目指す隧道の一つを発見したというのに、少し残念な気持ち。
現道に戻ると、反対側の坑門の様子を見たく、国道の切通を越えて振り返る。
奥に見える陸橋で、旧国道が線路を渡っている。
つまりは、この隧道が破棄された後、ここに代わりの隧道が掘られる事はなく、国道と同じく切通になってしまった。
そして、肝心の隧道はというと…
やはり埋没し、雑草に包まれた埃っぽい姿だった。
ああ、残念。
旧 第二鶴形隧道
竣工年度 1901年 廃止年度 1971年
延長 約 123.47m 幅員 目測2.5m 高さ 目測3.0m
両側の坑門がほぼ埋められており、進入は困難。
※この隧道名や廃止年度、延長などは、書籍『奥羽鐡道建設概要』内の表記を、 『
NICHT EILEN 「ニヒト・アイレン」
』 の管理人 TILLさま よりご紹介いただきました。
ありがとうございました!
さらにこの少し先、次の富根駅の近くに、旧「第一鶴形隧道」がある。
こちらは、この第二とは、全く違う余生を送っているのだが、これを次に紹介しよう。
2003.4.15作成
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