青森県津軽平野の南東に位置し、十和田・八甲田観光の玄関口となる黒石市は、歴史のある都市である。
1600年代から南津軽の主要な町として発展し、長らく政治・経済・産業の中心都市であった。
青森県では4番目となる昭和29年に市制が敷かれるなど磐石の発展を見せてきた同市だが、近年では弘前市や青森市といった大都市圏に挟まれ、また市内の主要な鉄道線の廃止など、明るいニュースばかりではない。
中心街に、未だ昭和の町並みを色濃く残すこの黒石に、目立たず、しかし矍鑠と活躍を続ける老兵…一本の橋があった。
津軽富士を望む小さな橋、「富士見橋」である。
黒石市を貫流する浅瀬石川の右岸に市街中心地はある。
現在国道102号線は、浅瀬石川の左岸を通行しており、中心部は幹線道路から離れてしまっている。
しかし、バイパス化する以前の旧国道は、市街地を多数の直角カーブですり抜けていた。
現在ではその道はいくつかの県道に分担され、市内交通の役目についている。
写真の部分は県道258号線で、旧国道そのままの景色が残っている。
写真の直角コーナーに設置されている青看も、未だ国道の表示のままである。
この先間も無く浅瀬石川を渡り、中心街に入る。
1.5車線の県道を進むと、町並みに隠れ目立たないが重厚な石の欄干の橋が掛かっている。
歩道橋が横に設置され、袂には18トンの重量制限の標識が設置されている。
いかにも、古そうな橋である。
気になって親柱を見てみると…。
シンプルながら、まるで寺社の一角の様な重々しい石の親柱。
そこに陰刻された竣工年度は…、
なんと、驚きの 昭和四年六月一日 。
これはまた稀に見る古橋の登場である。
対岸の親柱を見て、さらに驚き。
なんとも、大迫力な橋名表示である。
度重なる道路補修のせいなのか、既に“橋”の文字は地中深く埋もれてしまい見えない。
どちらかといえば無様だが、これもこの橋が未だ現役で活躍していることを物語る光景ともいえる。
4本ある親柱のうち、二本はご覧の通りの陰刻であり、多分竣工当時のままであろう。
残る二本には、真新しい表札が設置されており、下を流れる川の名は分からずじまいだった。
橋を迂回する小道に分け入り横から富士見橋を撮影してみるも、両側に後補の歩道橋が設置されており、竣工当時の姿は下部に覗く古びた橋脚に偲ばれるのみである。
以外に水量の多い川だが、下流には津軽平野の広大な農地が広がっており、農業用水として人工的に開削された物と思われる。
敢えて河川名が親柱に残されていないのは、そういった所以なのかもしれない。
この先は間も無く黒石市の中心街である。
撮影時は夕方で、ラッシュの真っ最中だった。
狭い県道をひっきりなしに通り抜けてゆく自動車に、狭い歩道を駆け抜けてゆく自転車の高校生。
それはありきたりなノスタルジーかもしれないが、ここには古き良き街の景色があるような気がした。
豪雪に半世紀以上耐え続けなおも活躍を続ける橋の姿は、古色蒼然たるものだがどこか誇らしげで、橋名の由来となった津軽富士は町並みに隠れ見えなくなっても、「富士見」は“不死身“に転じ、末永くここにあり続けるものと思う。
偶然見つけた一本の古橋だったが、黒石市の纏う空気と相俟って、なんとも魅力的な場所である。
2003.5.21作成