白神山地の豊富な森林資源を背景に木材集積地として栄えた早口は、現在でも北秋田郡田代町の中心地的存在である。
かつては奥羽本線から、早口川沿いに延々と山野の奥深くまで林用軌道が伸びていたが、昭和40年代には全て姿を消し、林道によるトラック輸送に切り替えられた。
早口から北へ約10km、早口川沿い最奥の集落である大野の少し手前、高落地区に掛かる橋は、その変遷と共に移り変わってきた歴史を持つ橋である。
今回は、この高落橋をご覧頂こう。
現在、早口から早口側沿いの諸集落を経て大野へと続く道は町道となり、2車線の立派な舗装路となっている。
スカイスポーツのメッカである十瀬山を右に見ながら純農村地帯を北上すること約10km、李岱集落を超えると景色は一転、山々が谷の両脇に迫りいよいよ山深くなってくる。
そして、味噌内林道との分岐を右に見て間も無く、大きな橋に差し掛かる。
これが、味噌内川に架かる高落橋で、昭和54年の竣工である。
橋上から下流側に目をやれば、現橋に寄り添うようにして残る廃橋が目に付く。
降りてみよう。
上の写真から想像できる通り、旧橋の両端の道は夏場完全に自然に還っており、以外に接近は容易で無い。
ここはもう強行突破しかないと、チャリを置き、強引に叢に割り込んだ。
背丈まである叢をかき分け進むと、すぐに橋が現れた。なんか、痒い。
どうやら親柱銘板共に無事のようであるが、余りの密林ゆえ正面に立つことが出来なかった。
橋の上へと歩み出よう。
現橋よりも一段低い旧橋は、一車線のいかにも林道規格な橋。
しかし規模は小さくない。
50mほどの長さの橋の真ん中付近には、大人数で食い散らかしたような痕跡がある。
確かに見晴らしも良いし、誰にも邪魔されず腰を下ろしてくつろげる場所だとは思うが、ゴミだけは持ち帰ってほしかった。
きっと、こんなに草木が生い茂る前ならば容易にアクセスできる場所だから、こんな不貞な輩が現れるのだろう。
ゴミを拾って帰ろうかとも、ちょっと考えたが結局実行しなかった私は…、もう一歩だった。
橋の下は目のくらむ一歩手前くらいの微妙な高さ。
最もこれは個人差の問題であり、一般には「高い橋だな」という印象をもたれると思う。
沢幅に比べて妙に水量が少ない印象の味噌内川の草地と化した川原には森林軌道時代の橋脚を支えていたと思われる橋台の基礎が一基残されていた。
ここの軌道がいつ撤去されたのかは分からないが、おそらくは今立っている旧橋の竣工年でる昭和37年ごろであろう。
対岸に渡りきり、間も無く旧道は現道に緩やかに吸収されたので、戻りつつ現道から旧橋を見下ろしてみよう。
(どうやらアプローチは“対岸側”すなわち、大野側からのほうが容易のようである、いずれ短い藪漕ぎはあるが)
森の中から橋だけが突き出した旧道。
旧廃道フェティズムを刺激する光景といえよう。
わたしもしばし恍惚感に酔いしれた。
ご覧のように、旧橋はまだしっかりとしている。
多分、自動車離合不能というハンデから現橋に架け替えが行われた物と思うが、わずか14年で役目を終えた悲運の橋は、たとえゴミを撒き散らす来訪者でさえ歓迎するのか。
町道ということで、財政難から取り壊しを免れていると見える旧橋、果たしていつまで持ちこたえるか。
2003.6.12作成