その28 30000HIT御礼“特別復活”レポート 中山峠2000.8.25撮影
岩手県沢内村〜花巻市



 秋田・岩手県主要地方道12号「花巻大曲線」は、奥羽山脈を二つの長大峠によって克服し両県を結ぶ全長33km余りの路線である。
しかし、昭和47年の路線指定以来ただの一度として、全線を通して通行できた日はない。
永らく二つの長大峠、それぞれ笹峠と中山峠と言うのだが、その両方が点線県道…不通区間だったのだ。

両県間には既に幾つもの整備された道があり、それらのメーンルートから外れた場所にある同路線の整備は牛歩の歩みのようであったが、それでも平成13年には遂に中山峠に風穴が穿たれた。
笹峠についても整備工事が進行中であり、近い将来その不通県道としての汚名は返上される日が来るだろう。

今回紹介するのは中山峠だが、これは開通したばかりの新道の方ではない。
かといって、そもそもが不通区間であり、旧道と呼べるものも無い。
県道の代用として利用された経緯を持つ林道、それが、今回紹介する中山峠である。
しかし、地図によってはしっかりと県道色に塗られており、一般的には旧道と認識される道だ。
ここは、一言で言えば、凄い道だった。
とにかく、長く、狭く、荒れ果て、そして森に埋もれた道だった。

踏破年度は2000年。
現在のようにサイトでの紹介を前提に「取材活動」として山チャリをする以前であり、残された写真は少ない。
また、この道については、既に公開を終了しているが古いレポートを一度作成している。
新道も開通しこのまま完全に消え去る定めの道とはいえ、当サイトに無くてはならない道の一つと考え、簡易だがレポートを新たに書き起こすことにした。






 岩手県和賀郡沢内村は、奥羽山脈の只中にあり南北に長い広大な村域を持つ。
主要地方道12号線は、笹峠で秋田県山内村から沢内村の南に接する湯田町に入り、そこからしばし主要地方道1号線との重用区間をもって、沢内村に入る。
そしてこの川舟地区にて再び2線は別れ、12号線は一路花巻市を目指し中山峠に挑むのだ。
笹峠と中山峠は共に奥羽山脈の横断道路であり、いずれも不通区間だった。
当時の県道12号線は山菜採りくらいにしか利用されない道だったといえる。

信号も無い殺風景な分岐点だが、青看だけはある。
しっかりと「通行止め」の標識付きで「花巻」が案内されており、そそる。





 12号線に入り間も無く、まだ川舟の集落から出ないあたりに、こんな看板が設置されていた。
2000年8月、既に新道の工事は完成が近付いており、この看板も役目を終える日が近付いていたのだが、当時の私はここに新道が開削されていることを知らなかった。
この看板の場所を過ぎるとすぐに湯沢橋で和賀川を渡り、対岸を1.5kmほど北上する。
もう集落はなく、この先峠の向こうまで補給点は一切無い。
当時1.5車線の舗装路だったが、今はどうだろう。

それと、この辺には県道標識が立っていて、その補助標識として『中山峠まで○km』と書かれていた。
それを見たときには、「ああ、問題なく通れそうだな」と感じたのだった。
いずれ、この補助標識は今は無いだろう。




 そして、分岐点が現れる。
和賀川の支流のひとつである湯ノ沢に沿ってまっすぐ進む道と、沢を渡り峠を目指す道である。
前者はその後改良され、行き止まりにはトンネルが穿たれ遂に花巻市へと“開通”した。
後者は…、ご覧の通り、当時既に通行止めとなっていた。
新道の工事に伴う一時的な通行止めではない。
看板に記されているではないか、『行き止まり通行禁止』と。
昭和30年代の架橋らしい古びた橋の欄干には頑丈な鉄パイプが渡され、一切の車両交通を断絶していた。

 「挑発的なことをしやがるな。」

当時まだ若かった私の闘志に火が付いた瞬間。
はじめは、もし通れ無そうなら黙って県道1号線で盛岡を目指そうと考えていたのだが、もう、引き返す気など失せていた。
チャリを担ぐとパイプを跨ぎ、いざ、長い長い「行き止まり」との格闘が始まった。



 橋を越え1km、2km、3km…。
真夏の森の中、半ば舗装路は消えかけていた。
道にはじめどれほどの幅があったのかも分からないほど両側から草木が押し寄せ、頭上には日光を通さぬほどの密林が覆いかぶさる。
辛うじて続く舗装路。
勾配はさしてきつく無いが、同じ様な景色の中、グネグネとひたすらにグネグネと、登りが続いている。
滴るのを拭くのも億劫になるほどに、止め処なく汗が落ちた。





 通行止めの橋から約4kmほどだったと思う。
朽ちているとはいえ、確かに森と道の領域を隔ててくれていた舗装が、突然に消えた。
分岐などなく、選択の余地も無い。
正面に続く2本の轍こそが中山峠に至る唯一の道だった。
早すぎると思った。
こんなに序盤で悪路になるとは思ってなかった…というよりも、そうなることを恐れていたのだ。
来るべき廃道に、心が震えた。
武者震いではない。初めて分け入る山中での廃道に恐怖を感じていたのだ。
まだまだ、私も若かったのだ。




 等高線に素直に従うように道は伸びていた。
無理な勾配はなく、道路構造物を要するような線形もなかった。
襞のように複雑に入り組んだ沢筋を越えるそのたびに、大きく道は迂回した。
橋などなかった、ただひたすらに斜面に素直に従った。
それが古い道なのだと、直感した。
2本の轍の隙間には元気良く雑草が生え、特に日のあたる場所がひどかった。
進めば進むほどに残る轍は薄く、そして古くなっていった。
その時が迫っているのを感じた。
直視せざるを得ない現実が。



 延々と続く冗長な森の景色に、一体どれほど進んだか分からなくなっていたが、恐れていた光景が眼前に現れてしまった。
乾いた沢が道を抉っており、その向こうには緑の地面が広がるのみだった。
轍が全て消えた。
この先は、何年も車が入っていないであろう道だ。
 この日、この季節には珍しくもない内陸特有の猛暑に見舞われていた。
正午を廻ったばかりのこの時、気温は33度を越えていた。
日影以外で立ち止まろうものなら、休憩のつもりが余計に疲労してしまうようだ。
たとえ足が苦しくとも、どんなにゆっくりとはいえ移動しているときの方が、微かでも風を感じることが出来た。
こんな日は、地図を見るためにリュックを下ろすのすら面倒だし、無駄な体力に思えた。
よって、今もってここがどの地点なのか正確にはわからない。






 標高はたしかに上がっていた。
時折木々の間から見える遠くの景色に占める空の割合は増えてきたし、肌で感じる高度感もあった。
しかし、一向に峠が現れない。
一定の勾配のなか、一定の景色が繰り返されているように感じられた。
それでも、べダルまで、時には腰まで、遂には全身を隠すほどの叢に阻まれる度疲労は募り、また、青青としたススキの葉に刻まれた傷も、体のどことなく張付いてくる得体の知れない種子の数も、増えていった。
たしかに自分の限界が近付いていることを感じつつも、それがいつどのように訪れるのか、限界を迎えた自分がどうなるのかさえ分からず、不安と焦りの闘いは続いた。





 はじめて景色が開け、自分が挑戦している山の姿を知った。
遥か眼下に見えるV字の谷底には立派な新道が工事の真っ最中であり、聞きなれた重機の唸りがここまで響いてきた。
ふと懐かしさを覚え山を下りたくなったが、感傷に浸る時間もなかった。
ここで一度だけ地図を開いたが、どうやら目指す中山峠というのは、正面に見える一際高い部分の近くらしい。
写真を見て分かるとおり、特に山歩きをされる方には感覚的に理解していただけると思うが、その距離はまだまだ相当に長い。
はっきりいって、峠からは遥か手前に、まだ私はいたのだった。




 そこから先は、とにかく地獄だった。
進めども進めども、写真のような道だった。
満足に漕いで進める場所は半分となく、背丈ほどもある叢を、チャリを押し、そのハンドルでかき分けて進む道だった。
正味1時間も、こんな場所が続いた。
殆ど視界が開ける場所もなく、後にも先にもこれほどに困難だった山道は、例を見ない。
正直レポートを書いている今となっては、その時の苦痛も恐怖も薄らいでしまったが、それでも、未だにここが自身にとって最も辛い場所であったと認識している。
この区間が山中峠中最も廃道化しており、新道か開通した今、そしてこれから、2度とここを人が通うことはなさそうだ。
失われた道となったのだ。






 信じがたいほどに苦しかったし時間もかかった、でも、生きて峠にたどり着いた。
通行止めの橋から約10km、ただただ一方的なのぼりだった。
下界からは約500mほどの比高だが、尋常な疲れ方ではなかった。

でも、海抜約800mの中山峠に立った時、その疲労が吹っ飛ぶほどの衝撃を受けた。
見晴らしが良い峠というのは他に沢山あるが、ここは全く視界が開けない。
しかしその代わりに、峠の直前から花巻市側のかなり中腹まで、広大なブナの原生林が広がっている。
全く予期していなかった景観の変貌に唖然とし、その美しさに息を呑んだ。
感覚的には、茨の道の苦難に耐え、聖なる森にたどり着いたというような喜びがあった。
わたしは、この中山峠が忘れられないのだが、それは上りの辛さもさることながら、なんといってもこの峠の景色が衝撃的過ぎた。





 しかも、実際にこの森は心地の良い場所だった。
木漏れ日は程よく日光をさえぎり、道中あんなに無風だったにもかかわらず、稜線を越える上空の風がここにはあった。
森を渡るよそ風はえもいわれぬ涼しさで、五感で感じるこの場所は神々しくさえあった。
降り注ぐ蝉の音までが、ここではどこかやさしげに聞こえたものだ。

この森は、峠に耐えた者への最高のご褒美なのだ。
いま、快感に酔いしれつつ、緩やかな下りが始まる。
登りとは全く違う景色が、どこまでも続くのだった…。





2003.6.15作成
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