その41 | 主要地方道30号 白沢峠旧道 | 2004.1.1撮影 由利郡東由利町 |
出羽丘陵に無数に存在する小さき峠も、年々トンネル化が進みその都度旧道が生じている。
その中でも、昭和62年という比較的早い時期にトンネルが開通した白沢峠は、由利郡と平鹿郡を結ぶ重要な路線として、現在でもよく利用されている。
その白沢峠だが、稜線越えの旧道の標高は高々200m。
しかし、私はこの殆ど無名に近い旧道で、手痛い撤退を演じていた。
2002年9月、東由利側からアタックしたものの、ほんの10mほど進んだだけで、猛烈なススキの原に断念。
それ以上進むことが出来なかったのだ。
そして、2004年の元日。
私は再びこの峠にチャレンジする機会を得た。
しかも今回は、あの男も一緒だった。
主要地方道30号「神岡南外東由利線」は、その名が示す町と村を経て県南内陸部を縦断する全長36キロ余りの路線である。
その全線は出羽丘陵地帯にあり、途中いくつかの峠を越える必要がある。
白沢峠もその一つであり、県南有数の保養地である保呂羽山の麓である大森町坂部と、東由利町蔵との間に存在する小さな峠である。
元旦のこの日、かつて共に山チャリの冒険を分かち合った朋“ホリプロ”と私は、ここを通りかかった。
峠の白沢トンネルの大森町側の坑門の傍には、立派な開通記念碑が建立されている。
現在ではさしてきついとも思われない峠に、この重厚な開通記念碑。
それだけ、この開通は喜びに満ちたものだったのだろうか。
約300mほどの、至って普通のトンネルを抜けると東由利町だ。
こちら側から峠を振り返ると、その鞍部は決して遠くない。
古い地図には、鞍部を抜ける旧道が描かれているが、そこへ至る道は現在、大変な状態になっている。
今回は、そこに再チャレンジしたいと思う。
トンネルから300mほど下った場所に、法内へと下る分岐があるが、そのすぐ傍に旧道との分岐点がある。
いや、「あった」と言うべきかも知れない。
それは、車の停まっている丁度後ろなのだが、冬とはいえ、その痕跡は大変に見つけ辛い。
だが、その先に現道よりも一段高く並行する道の存在を感じることができよう。
我々は、ホリプロとのドライブとの最中、私の提案でこの旧道へのチャレンジを決めた。
思えば、ホリプロと共に旧道を探索するのは、もう8年ぶりだ。
チャリも無く、当時との違いは明白だが、果たしてどのような探索になるのだろうか。
共に命を預けあった朋である。
ホリプロがもう何年もこんな探索から遠ざかっていたことは知っていたが、何の遠慮も無く連れ出す。
私の数メートル後ろを、枯れススキと雑木の密林と化した旧道敷きを付いてくる。
全く持って歩きにくいことこの上ない難所だが、二人は談笑しながら先へと進んだ。
流石奴だ… 全く動じる気配が無い。
私を信頼しているのだとしたら… それは誤りだというのに。
廃道の世界は、皆もご存知の通り完全自己責任だ。
たとえ彼が私の言いなりで付いて来たのだとしても、お互いに大人である。
私は責任を負う気など無い。
無責任?
そうとも。
だが、我々「チャリ馬鹿トリオ」とは、
それが暗黙に許された関係なのだ。
時を遡ること15ヶ月。
2002年9月に私がはじめてこの旧道に挑んだときの様子だ。
微かなアスファルトの引き込み道路として旧道の入り口を見つけたまでは良かったが、そのあとは地獄だった。
チャリと一緒に進入しようとした私も馬鹿だったのだが、当時はそれしか頭に無かったのだ。
進入から僅か10m。
もう、私は前にも後ろにも進めなくなってしまった。
特に、進むべき前方の藪は尋常でなく、歩いての進入すら出来なかった。
こうして私は、汗とススキの切り傷に塗れつつ撤退したのだ。
どうしようもなかったのだ。
少なくとも、当時の私には。
再び2004年元旦。
冬枯れに救われ、何とか前進を続ける我々。
相変わらず、ペラペラと軽口をたたきながら二人は峠を目指す。
路面はかつては砂利だったようだが、草に隠され見えない。
現道がすぐ真下を通っており、山側は雑木が密集する緩やかな斜面となっている。
道幅は3mほどだ。
道路構造物と思われるものは何も無い。
さらに進むと、道はより困難になった。
それは、現道のトンネルの直上に差し掛かったあたりだ。
本来の道路敷きが現道によって切り取られてしまっているのだ。
路面にはビニールシートが敷かれ、その先旧道は完全に消失していた。
ただ、10mほど右手の杉林を迂回することで、先へ進むことが出来る。
ほんの30mほど離れた場所に現道の白沢トンネル坑門が見える。
ここまで来ると、旧道の様子に変化が現れる。
そして、われらがホリプロの姿。
相変らず、彼はいつでもマイペースである。
持参の使い捨てカメラで廃道のようすをつぶさに記録している。
もちろん、撮影しながらも愛飲のカフェオレは口から離さない。
この旧道で最大の見所がここだ。
現道トンネル上部を横断するように蛇行しつつ、峠の鞍部に迫る。
そこには、これまでにも増して旧道らしい景観が待ち受けていた。
山肌に深さ1m、幅5mほどの広い掘割が穿たれている。
かつての白沢峠越えの道は、旧県道と言うよりは、既に古街道の様相を呈していた。
現在利用されている形跡は、全く無い。
正直、これほど立派な痕跡が残っているとは、意外だった。
ワクワクしながら、峠を目指す。
いよいよ峠の切通が見えてくる。
現道からはすぐ傍のように見えた峠も、やはり歩きとなると、ましてこの道の状況では、予想以上に時間が掛かっている。
私たちには些細な苦痛など、むしろ楽しいが。
峠のすぐ手前には小さな凹部が存在しており、何らかの発見を求めそこへ降りてみたが、湧き水が多く歩きにくい。
また、不法投棄物と思われるガラクタが散在している。
ホリプロの左に見える物体は、余りにも風化しており元の姿が想像できないが、自動車か何かの残骸のようにも見える。
ちなみに、彼にはなんらポーズをとることは要求していないので。 念のため。
峠は、ススキの原野の奥にぽつんと存在している。
余談だが、2004年は元日の段階でまだ、豪雪地である一帯もわずかこれっぽっちの積雪だったが、これを執筆している1月末までにはほぼ、例年と同程度の積雪になっている模様。
峠にそれっぽさを与えている切通の断面は、このようにかなり風化が進む。
ここが車道となる以前は、多分この上部を峠としていたのだろう。
現道はほんの30mほど地中を通過しているわけだが、通る車も稀であり峠は至って静かなものだ。
枯野に佇み、今来た道を振り返るホリプロ。
二人は、あれこれと旧道の在りし日の姿を想像し、語り合いながらここまで来た。
大きく時期に左右されはするものの、気楽な旧道探索に相応しい舞台となった。
ホリプロも、まんざらではない様子である。
ただ、しきりに「靴に雪が入った」と訴えている。
分かっているとも。
彼は、必ず「濡れ」とか「故障」とか、困難と常に共にある男なのだ。
それこそが、ホリプロをホリプロ足らしめる所以である。
さあ、今度は下りである。
実は、この旧道がどこへ降りているかは、まだ分からない。
相変らず、廃道が続いているようだ。
切通を抜けるとすぐ、真下に現道の坑門が現れた。
この斜面は非常に急であり、往来は難しい。
旧道はこの先、しばし現道から離れ高度を減らしていくことになる。
笹の密生する廃道。
峠の南側は杉の植林地となっており、まだ管理が放棄されたわけではないようだが、この道は使われていないようだ。
私が先頭となって、相変らず和気藹々と旧道探索は続く。
ここに来て、ついにホリプロの口から“あの話”が、出始めた。
笹薮を越えると、道はかなりはっきりとしてくる。
轍もあるが、それは古い。
地形はかなり急峻であり、ただ削っただけの法面には、延々と岩盤が露出している。
峠道としては、東由利町側よりも、この大森町側の方が険しいように思える。
道幅も僅か2mほどに限られており、とても冬季の通行は不可能だったに違いない。
杉の植林地の中、旧道は下り続ける。
周囲に見える出羽丘陵の波のような山並みも、軒並み黒く、まだ積雪は殆ど無い。
これも、月並みだが異常気象なのか…。
現道が再び木々の隙間に現れると、だいぶ近づいている。
しかし、ここから先が最も急な道となっており、苔生したコンクリート舗装が蔦や枯れ草の下に存在する。
ガードレールも、法面の補強も無く、本当にこんな道が平成になる直前まで主要地方道として利用されていたのだろうかと、現道の容易さを考えるとなお更、信じがたい。
たとえ夏季であっても、大型車の通行に耐えたか甚だ疑問である。
現道が迫る。
こうしてみると、現道はただの拡張や改良にとどまらず、大胆に盛土を利用した高規格な道なのだと分かる。
ここから合流点は見えているのだが、そこに至るには目の前の小さな沢を越えねばならず、旧道はここを迂回するように右手に蛇行している。
さあ、いよいよ探索は終わりに近づいた。
ホリプロが下り中語っていた“あの話”とは、無論、ピーシーエンジンのことだ。
エンジンといっても、彼の大好きな車の話ではなく、ゲーム機のピーシーエンジンだ。
今更「ユナ」のDVDがどうのとか話していたと思うが、ちょっと…。
お決まりの「今のゲームはつまらない」「ピーシーエンジンの功績が今のゲーム界を支えている」と言う持論は、やはりこの廃道でも展開されたわけで、まあ、私とて賛同できる部分もあるわけだが、やっぱり、どこに行ってもピーシーエンジンなんだなぁ、と思うわけである。
それもまた、ホリプロをホリプロ足らしめる所以であるわけだが。
沢を迂回しUの字を描く旧道。
ここを過ぎれば、現道と合流となる。
この辺も近年利用されている形跡は無く、この白沢峠旧道、廃道となって久しい道だった。
これまで越えてきた幾多の旧道に比して、距離も大きくは無く、高度も無い。
だが、チャリと共に突破することは困難だと言う結論だ。
それは、むしろ目立たぬ峠ゆえに、これほどに荒廃しているのだともいえる。
ここはちょっと、マイナーだ。
そういえば、マイナーを愛すると言えば、ホリプロである。
彼のテーマソングとして、彼自作の『マイナーマンのテーマ』というソングもあった。
歌詞は、「マイナー」を連呼するだけの単調なものだ。
まさに、ここはホリプロの復活祭に相応しい舞台だったかもしれない。
そして、現道に合流し終了。
ここまで、旧道は約2kmほど。
掛かった時間は、27分間だった。
ありがとうホリプロ。
楽しかった。
2004.1.23作成