その42 | 主要地方道73号 薄久内 | 2003.9.17撮影 雄勝町秋ノ宮 |
主要地方道73号「雄勝金山線」は、秋田県雄勝町と山形県金山町とを結ぶ全長10200mの路線である。
と、県の資料は述べている。
本線は、現時点で最も番号の大きな主要地方道で、平成6年に認定されている。
だが、未だに開通していない。
果たしてどのような道なのか、辿ってみよう。
国道108号線を雄勝町横堀から宮城県境へ向けて走ると、秋ノ宮地区に入るあたりで一つの青看がある。
そこは以前紹介した『旧旧川井橋』の重厚な橋桁が野晒しに展示されており、現在では川井橋の袂となる。
この青看は、これから探索する県道73号線のヘキサが唯一記された標識なのである(←秋田県側では)。
目的地は「薄久内」と小さく表示されており、この薄久内というのは、雄勝町秋ノ宮の字に過ぎない超ローカル地名である。
本来の目的地は、遠く離れた「金山町」のはずなのだが…。
では、いってみよう。
県道73号線に入るとすぐ、ご覧のスローガンが掲げられているのが見える。
上のほうに書いてある小さな赤い文字は
「みんなの願い 21世紀にかける夢と期待」。
ああ、余りにもベタである。
それにこの色あせぶり…
もう、開通など諦めたような気だるいムードを感じるのだが、思い過ごしだろうか。
さて、片側1車線の大変に快適な舗装路が薄久内の田畑の中を続く。
前方を塞ぐように立ちはだかる山並みは高く、秋田山形の県境を成している。
これは、鳥海山と奥羽山脈とを結ぶ丁(ひのと)山地であり、そこを貫通する道―秋田と山形を結ぶ道は、日本海沿いの国道7号線を除いて僅か二つしかない。
一つは国道13号線雄勝峠。
もう一つは、長大ダートの奥山手代林道である。
主要地方道73号線は、アウトだ。
前方にひときわ高く聳えるのは前神室岳(標高1342m)だが、遥か江戸の世に遡れば、向かって右手の水晶森の鞍部を越える道が本街道であった。
本街道、すなわち、羽州街道の一部だったのだ。
信じがたいことだが、事実である。
ただし、江戸の中期には現在の国道13号線に近いルートに遷道された事からも分かるとおり、大変な難所であったという。
そのまま、現在に至るまで車の往来はおろか、僅かな登山者を除いては越えられぬ道となっている。
その名は、有屋峠といった。
街道の歴史などを考えながら走っていると、変な道になってきた。
県道の両脇には点在する民家が迫り、突如道は狭まった。
そして、そのまま狭い道になるのかと思いきや、そうはならず、再び2車線に。
さらにさらに…。
振りかえれば、薄久内の集落が。
集落内で狭まった道は、集落を出ると再び広くなるも、ほんの50m足らずでまた、1車線に逆戻りとなる。
そして、そのままもう二度と、道は広がらなかった。
青看に記されていた薄久内を過ぎたということは、もうこの道の役目は終わってしまったのだろうか…。
いよいよ終点という予感が…。
片側にだけ白線の描かれた道。
主要地方道だと言わなければ、まるでただの農道だが、いい雰囲気である。
越えられぬ峠へ続く、袋小路の、終点の空気である。
一昔まえまでは、県内各地、いや、日本中にこのような袋小路の集落があった。
だが、終点は過疎、過疎はおらが町の荒廃を連想させるということで、出来上がってみれば何年と満足に通れないような道が、山を越え谷を越え生み出され、終点の名は返上された。
そして各地の山は荒れ果てたのであるが…
この集落は未だ終点だ。
徐々に谷が狭まり田んぼが消えると、道はそのままの幅で鬱蒼とした―いや、鬱蒼としていない妙にひょろ高い杉の森に入る。
木々は太く大きいが、下刈りがしっかりとされているせいか、開放感がある。
そして、そよぐ風は涼しい。
植林地って、今まで嫌いだったが、このような気持ちの良い森も、あるのだ。
うねうねと続く道の舗装は真新しく、いよいよ、怪しい。
杉林の中に数軒の民家が現れると、それが薄久内沢沿いの最奥の集落太平の始まりである。
林はすぐに終わり再び耕地が現れると、太平集落。
緩やかだった登りも結構きつくなりつつあり、最も上手の民家の脇で、舗装は、終わった。
突然の砂利道化。
一旦砂利道になったが、分岐点が現れ、その左の道は舗装されているではないか。
思わずそっちへ行きたくなるが、というか、行ったのだが、2km先で行き止まりだった。
これは、民有林林道薄久内線で、県道ではない。
引き返してきたあと、右へ進む。
今度こそ、県道だ。
何の県道らしいものも無いが。
轍の間に夏草の茂る余り使われてなさそうな砂利道。
すぐに再び分岐が現れる。
どう見ても本線は右。
なのだが、実はこの右の道は600m先で行き止まりの林道、太平林道と言う。
ハードな九十九折でまた体力を浪費したのだが、今度こそ、左の県道へ。
もちろん、何の標識もない。
水晶森への登山道が、右に分かれていく。
有屋峠への道も、この登山道だ。未探索だが。
それは完全な登山道にしか見えず、車道はそのまま沢沿いを奥へ続いている。
私の目的は峠越えでなく、県道のトレースであるから、このまままっすぐ進む。
二つ目の分岐から僅か100m。
起点からわずか5km。県道は遂に終点を迎えた。
そこは、砂防ダムによって行く手を遮られた広場であり、八方見渡しても、来た道以外に道はない。
意外だったのは、全く道路建設をしている気配が無いことだ。
やはり本線は当分の間、名前だけの県道と言うことになりそうだ。
平成6年と言う、比較的新しい時期に県道指定した意図はどこにあるのだろう。
峠を越えた反対の山形県側では、工事が進んでいるのだろうか?
いずれにしても、
主要地方道73号線、お前を、県内で最もマイナーな現役県道であると認定しよう。
2004.1.24作成