その45浄土ヶ浜の隧道群2003.7.17撮影
 岩手県宮古市 浄土ヶ浜


 三陸沿岸有数の観光地である浄土ヶ浜へ到着したのは、午後5時半過ぎであった。
朝、盛岡市を出発した私は、国道106号線の旧道を巡りながら北上山地を横断して、やっとここまで来た。
しかし、ここは今日の目的地ではない。
今晩の宿は、まだ遙か先。岩泉町のJR岩泉線の終点である岩泉駅なのである。
むろん、無料で眠れるスペースを求めた末の、無人駅拝借の予定である。

気分的に余裕はない中、私は浄土ヶ浜の正面玄関であるところの、広大な駐車場に立った。
メジャーな観光地には興味のない私が、時間のない中わざわざ立ち寄る、その理由は…。

 地図に描かれた隧道達だ。



  今回紹介する道は、浄土ヶ浜観光の遊歩道であるから、自転車での通行には細心の注意を払った。幸い通行は禁じられていないが、皆様も注意して走行していただきたいと思う。


駐車場にある大きな絵地図を頼りに、海岸線に出る。
浄土ヶ浜といわれる一帯のなかでも、最も中心となる景色まで、約600m。
海岸沿いの狭い遊歩道を進む。
平日の夕方ともなれば、観光者の姿も稀で、管理の行き届いた遊歩道がなんとなく、浮いて見える。



 そして、間もなく現れるのが、この隧道である。
扁額など無く、代わり映えのないコンクリート隧道だが、遊歩道の隧道なので、非常に狭い。
わずか20mほどの短い隧道を抜けると、直角のコーナーを経て、再び駐車場が現れる。
この駐車場までは、今走ってきた道とは違う車道が通じている。



 無人の歩道をゆっくりと走る。
歩道は海岸すれすれを通っているが、太平洋に張り出した重茂半島によって年中波穏やかな宮古湾は、まるで湖のようだ。
しかし、その潮の香りは、見慣れた日本海のそれよりも遙かに濃い。

二本目の隧道が、入り江の向こうに姿を現した。




 今度の隧道は、石組みの坑門を持つ。
しかし、観光用に化粧された、実はコンクリートの隧道である。

今は、味気ない隧道となっているが、浄土ヶ浜の遊歩道は古い地図にも、今と同じ場所に描かれており、隧道自体の年齢は相当だと思う。
その幅が遊歩道よりもさらに狭いのは、もともと素堀だったものを改修してコンクリート巻きにしたためと思われる。

二つの隧道を潜り抜け、いよいよ、あの有名な景色が、目に飛び込んでくる。



 ここが、誰もが絵葉書かなにかで見たことがあるだろう伝統ある名勝、浄土ヶ浜だ。
生憎、曇りで光量も少ないため白亜の海岸の美しさは今一歩だが、それでも、ここが著名な観光地である事が納得できる、独創的かつ浄妙な景色だ。

遊歩道は、さらに続いている。



 メーンである景色を過ぎるとすぐ、遊歩道は二手に分かれる。
左へ進む道が元の駐車場へと戻る周回路であり、専ら利用されている。
一方、さらに海岸線に続く道も、一旦は険しい海岸線から離れ、林の中へと進む。



 なだらかな森の中を進むとすぐに、一層深い森が現れ、それ以上は進めないかに見える。
だが、その麓には、小さな坑口が開いている。
一帯で最長の、三本目の隧道が、現れた。




 今までよりも一際小さい坑口。
自転車と比較してもらえれば、その狭さは一目瞭然だ。
そして、本隧道には煌々と洞内に光を灯す照明がある。
歩道扱いと言うことで、余り地図にも載らない隧道に、今侵入する。
予想外の好物件の出現に、熱くなってきた。



 内部は、素堀にコンクリを吹き付けただけのアトラクション仕様だった。
坑門の狭さに違わず内部も狭く、自転車同士でも離合は危険を伴うだろう。
そして、想像以上に長い。
浄土ヶ浜側から、洞内は急な下りとなっており、速度が自然に出るのであるが、なかなか出口は見えてこない。
微妙な蛇行があって、機械で掘った隧道ではないような気がする。
なんか、明るいから怖くはないけど、ワクワクする隧道である。



 隧道は、約200mほど。
急な下りのまま、小さな出口へと突き進んでいく。
人一人歩いていないので、完全に自分の隧道のようにはしゃぎながら通行させてもらった。
この長さに、この狭さ、素堀。
一歩間違えれば、大変な強烈物件だっただろうが…。



 脱出すると、そこには15段くらいの急な階段が待ちかまえており、その下には車道の終点があった。
写真の落石覆いの先はもう階段であり、気持ちよく突っ走ってくると、ヘルダイブという懼れもたぶんにある。
注意して欲しい。(←私が危なかった。)
しかし、どうりで自転車で走っている人がいない訳だ。
歩いている人も、いなかったけどね。



 一応遊歩道の一部だったらしく、案内板などもある。
しかし、この先は漁村と漁港をつなぐ、狭い車道である。
遊歩道よりは、私向きの道だ。



 浄土ヶ浜の一帯だけ、真っ白な海岸だった。
ひと山越えると、黒い海岸である。 不思議なものだ。
しかし、相変わらず美しい景色である。
ここは、リアス式海岸のまっただ中。
平凡な海岸線など、どこにもないのだ。




 さらにもう一本の隧道をくぐり、いよいよ本レポートの最終地点に近づく。
今度は、車道用の幅を持つ隧道だが、車一台ぎりぎりの幅しかない。
通行する車も、漁港に向かう軽トラくらいだから、これでも問題はないのだろうが。



 小さな砂浜が漁港となっている。
この蛸の浜漁港の直上を跨いでいるのが、県道浄土ヶ浜線の巨大橋梁だ。
高速道路などでよく見かける、大変にスパンの長い近代的コンクリート橋である。
この県道は、以前は浄土ヶ浜有料道路といったが、今は無料で開放されている。
その開通は昭和52年と、決して新しい道ではない。

そして、これとは対照的な細い橋が、岸壁の上にある集落と浜を結んでいる。
この景色、なかなか印象に残った。



 時間に猶予はないのであるが、少し名残惜しくなって振り返る。

険しい岩肌が海に落ち込む景色といえば、やはり私なら男鹿半島を思い浮かべるが、ここはまた違った景観を見せる。
男鹿は、海は海。崖は崖。山は山。 そんなさっぱりした景色だ。
きっと、あんまり厳しい冬のせいだろう。
でも、殆ど同じ緯度でも、太平洋側は違う。
森が、元気なのだ。
海にも飛び込まんという勢いで、崖のそこかしこに枝を張っている。

野性的だなー。



 細い橋から先は、やばいほどの急坂だった。
特に、墓地にさしかかってからは、呪われたような急さで、久々に前輪の浮く感覚を味わった。
22%前後の勾配と思われる。
限界は、近い。




 そして登り切ると、浄土ヶ浜線に合流して、今回のレポートは終了となる。
正味20分ほどの、駆け足の寄り道だった。
でも、いつもと違った景色を堪能できた、幸せな時間だった。

ヨッキれん初の、太平洋岸のレポートでした。 ぬるくてごめんなさいね。
まだ、太平洋駆け出しなもので、勘弁して下さい。

それはそうと、この後、いよいよ夕暮れを迎える中、私は延々と走るのであった。
そして結局、岩泉駅に到着したのは23時だった。
今思い出しても足が、痛くなってくる。
この日、何キロ走ったんだろうか…。

2004.3.1作成
その46へ

一つ戻る