国道341号線は、秋田県鹿角市と本荘市との間を、八幡平や田沢湖に角館といった県内の代表的な観光地を経由地に結ぶ路線だ。
比較的国道に指定されたのは最近のことであり、最も早く指定を受けた鹿角市花輪〜田沢湖町生保内間が昭和50年指定。
歴史のそう長くない国道であるが、既に大部分が一次改築を終えている。
それは、先に述べたとおり、多くの著名な観光地を結ぶ観光路線として、県政の中でも重視されているからだ。
蛇足だが、郡境の峠は標高900m近くあるのだが、ここの通年走行を実現しようと、零下20度積雪5mを越える中に試験除雪を行っているのだから、その意気込みといえば、ちょっと正気を疑ってしまう。
無論、その実現性は低いというのが、専ら専門家達の意見である。
今回紹介するのは、郡境の峠や八幡平の入り口に位置する、トロコ温泉付近に取り残された旧道である。
今回、約8年ぶりに田沢湖町から郡境の峠を越えてこの鹿角市側へと走った。
県内有数の山岳的なアツイ峠なのだが、トライするなら丸一日覚悟せよ、というくらいの長大な山越えとなるので、なかなか山行が探索スケジュールに組み込まれることはなかった。
それでも、やっと再走することになったのだが、天候は8年前同様生憎の雨。
峠は猛烈な霧だったが、このトロコまで下りてきてやっと、空に晴れ間も見え始めた。
トロコで八幡平アスピーテラインを右に送り、別荘地や温泉地を過ぎ、なおも鹿角市へ向けて急な下りを続ける国道に、名も無き分岐が現れる。
まあ、場所は地図を確認してもらえば大丈夫だと思うが、現道に対し直角に折れており、一見旧道の入り口ではない。
しかし、これがかつての国道だった。
入るとそのままもの凄い角度で下っていく。
道幅は1.5車線程度で、舗装はしっかりとしているものの、カーブも勾配もキツく、冬場は恐ろしい道になろう。
路面が濡れたこの状況では、結構スリリングだった。
しかし、この段階ではこの先3.5km程の旧道は、さらりと終わるものと考えていた。
途中には志張温泉というそこそこメジャーな温泉があり、舗装されていることから、まずは安心だったのであるが…。
山間を出来るだけ急勾配にならぬよう進路を工夫しながら走る現国道に対し、旧国道は平行する熊沢川の懸崖に耐えられず落ち込んでいく。
それこそ、谷底へ一直線という勢いで下ってきたのだが、入り口から300mほどで、分岐が現れる。
当然ハンドルはしっかりと舗装された左に向きかけたのであるが…。
ここは、旧道は正面が正解である。
左の道はますます谷底へ下りていくが、どこへ通じているかは後ほど知ることになる。
気づきが一瞬遅れれば、大きなタイムロスをするところであったが、何とか急ブレーキで正面の荒れた舗装路にイン出来た。
が、まだ危険は去っていなかった。
下りのママの快速で突っ込むと、確実に空へと招待されてしまう。
なんと、分岐から30mほどで突如舗装が切れたと思ったら、その1m先にはもう路面がないのだ。
閉鎖ゲートやバリケード、せめてコーンの一個でも置いて欲しい超危険な道である。
私も、先ほどの分岐で躊躇してなければ、間違いなく「飛んだ」だろう。
なまじ電柱が続いているだけに、まさか道がないなんて、予想できない。
これが、まるで罠のような路肩落ちの全容である。
路肩というか、路盤は全て落ちており、雑草がそこら中に繁茂しているので、かつて舗装路があった痕跡は無い。
ただし、不自然なことに、僅かに通路となっているらしい路上の雑草は最近刈り払われた痕跡があるのだ。
そのお陰で、先へと進むという判断を下してしまう私であった…。
またも罠だったのに…。
30m近い大崩落地を恐る恐る越えると、再びしっかりとしたアスファルトが見えるが、路肩や路上堆積土からは植生が復活しており、殆ど呑み込まれている。
アスファルトが罅なども少ないわりに、廃道度は進んでいる。
電柱が並走しているだけに、この廃ぶりには違和感を覚えた。
間もなく、電線は谷底へと消えていった。
足元には、根元から折れたガードロープの支柱が落ちていた。
眼下に続く電線のライン上は、道など無いのにしっかりと刈り払われている。
ということは、これまでの刈り払いは、電線の保守用だったのだのだな。
それに気が付いた私を、「もう遅い」とあざ笑うような光景が、この写真の右には展開している。
はっきり言って、この時期に来る道ではなかったのである。
もう濡れ葉っぱの滴などに動じる事がないほどに、私は濡れ、汚れていたのであるが、それでもこの景色は憂鬱だ。
ご覧下さい。
どーん!
どどーーーん!!
たしかに、苔生した舗装は足元に続いている。
しかし、それは人一人分弱しか露出しておらず、フキをはじめとした、栄養のない場所でもオッケイな植生が元気に育成している。
依然下りの勾配は比較的急な角度で続いており、しかも山側の土の斜面から路上に豊富な土砂が提供されるなど、植生回復の条件が整ったらしい。
まさか、完璧な舗装路でここまで藪に襲われるとは思わなかった。
廃止後、何年たったのだろう?
国道指定が昭和50年だから、そんなには経ってないように思うのだが…。
手入れのなされていない藪っぽい杉林の底は、薄暗く、蚊が多い。
ここをこの時期に下から攻略しようとしなくて本当に良かったと思う。
今回は下りだけに、多少の路面の悪さは強引に突破してしまえる。
しかし、土っぽい路面はトルクが掛からず、登りは相当に苦労するはずだ。
ふと崖側の視界が開けた。
気が付くと、もの凄い場所に独りになっていた。
眼下は緑の斜面が波濤を上げる熊沢川に落ちており、対岸にも緑のみ。
もう少し開発の進んだ温泉地をイメージしていたのだが、あてが外れた。
もう、路面上を覆い尽くす藪にはカメラを向ける気にもなれない。
救いを求めるように崖の開けた側にカメラを向けても、なんの救いも得られなかった。
なんか、さっきから痒い。
崖に沿ってグネグネと蛇行しつつ、徐々に高度を落とす旧道。
現道は右の垂直に近い森の上な筈だが、全く見えなければ、音すら聞こえない。
殆どの地図には普通に現役のように描かれている道が、まさかこんな有様だったとは。
既に帰り道気分にあった私は、手痛い「喝!」を食らったようだ。
法面には石垣やフラットなコンクリ面が良く現れた。
それ自体は大きくは崩れていないものの、雪崩なんかと一緒に大量の土砂が路面に供給されるのであろう。
何度も言うが、ここは完全舗装路である。
もう、石やら土やら倒木やらが散乱し、まともに走れない。
歩けない。
再び眼下の視界が開けると同時に、路上の藪も綺麗に刈り払われた一角に出た。
「やっと脱出か」と思う間もなく、刈り払いは丁寧にも電線の下だけで、道を横断する電線を潜れば、もう先には藪しかない。
無論、振り返ってみてもそこにある景色は同じだった。
ここにあるのは、「八幡平第二発電所」というものらしい。
電柱のパネルにそう書かれていた。
さっき分かれた下り道は、この発電所で終点だったようだ。眼下に見える。
刈り払いは電線の下だけ。
先は、ますます酷い藪だ。
6月でこの状況。
舗装路だって侮れないという教訓になってしまった。
チャリが押し戻される程の樹盛だったが、今さら引き返すわけにも行かない。
例によって、私には戻るべき電車があるのだ。
遅刻は、今日中に帰宅する道が断たれることを意味する。
「おにぎりの注文が、まだなんだよ!」 と、先へ急ぐ。
ごろんと。
長い緑の樹海に、もうコメントすら思いつかんわ。
やっと脱出なのかと期待を抱かせる久々のアスファルト露出。
しかし、カーブの先には再び藪が。
それでも、確実に高度を落としている。
どこまで行けば、地図に載っている温泉は現れるのだろうか。
もしかして、もう廃墟?
振り返り撮影。
はたして、この景色のどこに道が隠れていると分かりますか?
廃道歴10年の私にも、ちょっと分かりませぬ。
こんな中に、舗装路が隠されてしまったなんて …なんという藪のパワー。
「藪」といえば、初代ヤマトにそんな名の男がいたような…。
どうでもいいことだが。
法面を落ちる滝。
地図上では現道に沿っている旧道に見えるが、実際はこの急斜面に阻まれ、全く疎通できない。
旧道は、その全体を落石覆いで覆うなどしなければ、とても安心して通れるものではなかっただろう。
国道341号線の中でも、おそらくは最初に更新された場所の一つと思われるが、納得の悪道である。
再び急な下りとなり、路上には山肌から溢れた水が急流を作っている。
ここは土が路面に堆積しにくいのか、苔で良く滑る嫌なアスファルトが露出していた。
先ほども藪の中に見たのであるが、ご覧のように、崖際のアスファルトがこんもりと盛られ、水の流れを路外に出さぬようになっている。
確かに路肩を浸食から守る効果があるかも知れないが、道の有効幅員が損なわれ邪魔じゃないか?
現役時から、この様な施工がなされていたのだろうか。
林道などでは、まれに見られるものではあるのだが…。
眼下に現れた真っ赤なトタン屋根。
廃墟では無さそうだ。
あれが志張温泉元湯の建物なのか。
だとすれば、間もなく廃道は終わるのだろうか。
期待を込め、やや改善されてきた路上を急ぐ。
入り口から1.5km強。
廃道区間は約1.2km。
志張温泉元湯に繋がる舗装路を沢側に分ける分岐にて、振り返ると車輌通行止の余り見かけない標識が残されていた。
この標識を見て引き返さない輩もいるだろうが、もう50mもすれば、普通のドライバーなら諦めるに違いない。
車で入れるのは、精々このあと100mだ。
しかし、どういう訳かこの廃同区間の前後にはゲートやロープなどが設置されていない。
まだ行政では廃道として放棄したわけではないのだろうか。
だとしらら、「もう諦めなさい」と言ってあげたい。
銘板に因れば、昭和37年竣工の湯坂橋。
国道に指定されるずいぶん前から架かっていたことになる。
地名と異なる「湯」をあしらった橋名に、当時の華やかな温泉ムードが感じられはしないか。
この開通当時は、まだ田沢湖まで通り抜けることは出来ず、その終点は玉川温泉だった。
一応は田沢湖町の行政圏にあった玉川温泉から同町中心地である生保内までは、徒歩と林鉄を利用して丸一日も掛かる難路であったと言うが、昭和40年に現在の国道の元となった道が、自衛隊によって開削され、43年はれて山越えの自動車交通が可能となった。
玉川の林鉄が全線廃止されたのも、昭和39年頃だった。
かつて行き止まりの温泉に繋がるだけだった橋が、やがてひっきりなしに観光バスの通る往来となり、そしてまた今、鄙びた温泉宿だけのための橋になっている。
そして、現国道から別れて3.5km地点。
再び国道に合流して、旧道区間は終わる。
この合流地点には、鹿角市の名で
「2km先、落石のため通り抜けできません」と、
大変控えめな標識が建てられていた。(写真左)
いまはもう、落石だけじゃなく、道全体が消えているのは、ご覧頂いたとおりだ。
合流点から分岐を振り返る。
右が、旧道だ。
なお、通過に要した時間は、ちょうど30分間だった。