JR身延線の芝川駅の周辺は、平成22(2010)年に富士宮市と合併するまで、富士郡芝川町の役場が置かれていた町の中心地だったところである。
ここは古くからの交通の要衝の一つで、右図の通り、現在も国道こそ通じていないものの、3本の主要地方道が、ここから四方に伸びている。
中でも最大の幹線は主要地方道富士川身延線こと静岡県道10号線なのであるが、この道が市街地を通る所に、1本の地下道がある。
それこそが、今回紹介する物件だ。
残念ながら、この地下道の正式な名称が分からないので、現地の字名をとって、朏(みかづき)島地下道と仮称して進めたい。
まあ、主に紹介したいのは、地下道そのものと言うより、そこに併設された歩道の方なんだが…。
説明より、早速見てもらおう。
2012/12/10 13:22 《現在地》
問題の地下道に、南側から接近中。
目の前の道路が県道10号で、平行しているのはJR身延線だ。
少し先に踏切(名前は「島踏切」)が見えているが、県道から右折して踏切を渡る道は旧県道である。
現在の県道はここを直進し、そこに早くも問題の地下道が待っている。
ちなみに、この場面自体は別の探索の途中に自転車で偶然に通りかかったシーンである。
偶然なのに、なぜ写真があるのかというツッコミは、私には無用だ。
なにせ、私は自転車で初めての道を走るときは、ほぼ毎分撮影しているから。
島踏切前の新旧道分岐地点から、新道(現県道)を撮影。
これが、“問題の地下道”である。
特に長いわけでも、狭いわけでも、低いわけでも、カーブしているわけでも無い。
そう。
別にこの地下道自体は、普通であった。
なお、右に見えるのは芝川駅の構内だ。
そして左側のフェンスの向こうは、大きな工場になっている。
“何の変哲も無い地下道”へ、進行!
地下道かと思ったら、別に地下ではなかったみたいだぜ!(笑)
つ う か 、
そこ、歩道?!
別に地下道が「自動車専用」という道路標識はないのだが、
洞内はとても交通量が多いうえ、路側帯も狭いので、
歩行者は勿論、自転車だって余り通りたいとは思えない。
(一応、ここから自転車が地下道へ入っていく隙間はあるが…)
なお、この地下道前後の歩道は、「自転車歩道通行可」ではないので、
自転車は車道を通行するのが正解で、歩道を通行する場合は、押して歩く必要がある。
狭い!
ハンドルの幅から余り余裕がないので、自転車を押して進むのは困難だ(←でも乗ったら「違反」だからね!)。
それに、ここで反対側から誰かが来たら、ヤバイ。(もちろん反対車線に歩道は無い)
その場合は、自転車を担ぎ上げ、相手の頭上を越すようにしないと通れないかも(笑)。
傍らにある大きな工場の内部をフェンス越しに見学し放題だ。
働いている人の姿も間近に見える。
上を見れば、工場の大きなタンク設備が、この歩道を覆い隠さんばかりに張り出していた。
ちょーっと!
これ、完全に工場の建物じゃないんですかね?(笑)
部外者が入って良いんですかね? あるいは逆に、工場が歩道上に張り出していても良いんですかね?
楽しいが、向こうから誰か来ると面倒なので、さっさと突入。
なんか、“舞台裏感”がハンパない!(笑)
普段我々が見ている道路やら工場やらが“表”なら、これは本来人目に付かない“裏”や“隙間”を、無理矢理に利用している感じ。
屋根があるから昼間でも薄暗いのに、前後を含め照明は全く無いし、夜とか結構キテるだろうな、ここ。
「痴漢注意」とか、そんな甘っちょろいもんじゃねーぞ。
ここでの対向者との“ふれあい”は、体格如何では不可抗力だからね。
出口が近付いてきたが、その先も相変わらずの狭さ。
というか、もう分かってしまったよ。これは本来は歩道じゃないんだろう?
本来は側溝なんだろう? この歩道に路面は全くなく、全部“蓋”なんだもん。
地下道(そもそも地下でもないようだが…)の長さは100mくらいだが、
この間を歩道は、工場の中のような肩身の狭い状況で、激狭のまま堪え忍んだ。
果たしてこの歩道部分は、県が管理している歴とした道路敷きなのか、
それとも、工場の好意で提供されている一種の私道なのか? 答えは不明。
いずれにせよ、最後の出っ張った電源ボックスは危険なトラップだった。
13:24 《現在地》
外へ出て間もなく、小さな橋によって、歩道はあえなく終わった。
なお、先ほど分かれた旧道と再び合流するのは、400mほど先の釜口橋付近だ。
――以上。
この歩道の状況について、文献調査で調べられることは、あまり多くはなさそうだ。
軽く調べた限り、なぜこのような状況になっているのかの答えには辿り着けなかった。
やはりここで期待したいのは、現地に詳しい方の生の証言である。お手伝いを願いたい。
歩道については今のところ手詰まりだが、県道が通っている地下道自体も、何かしら秘密がある予感がする。
(←)写真は、芝川駅のホームから眺めた構内であるが、地下道の屋根が、まるでホームのような構造になっているのだ。(参考:最近の航空写真)
ホームの下を道路が潜っているというのは別に珍しくないが、ホームがそのまま全部1本の地下道の屋根であるというのは、どうなのか。
ちなみに、地下道が整備された時期は、航空写真の比較から、昭和44(1969)年から昭和50(1975)年の間と推測されている。
もっとも、見た目が「ホームのようだ」というだけで、現状はホームとして使われてはいないし、果たしてホームとして使うつもりがあるのかも不明なのだが。
工場とも直接は繋がっていないし、線路も敷かれてはいない。
だが、なぜここに地下道が必要だったのかという、根本的な疑問がある。
ところで、このように芝川の町を通りがかるだけでも、大きな存在感を感じさせる工場の正体だが、「王子エフテックス」という製紙会社である。
現在の社名は新しいものだが、この土地で同社の前身、前々身が操業を始めた時期は、思いのほかに古い。
同社サイトによると、明治31(1898)年の「四日市製紙芝川工場操業開始」が、この地との馴れ初めらしいから、1世紀を超える付き合いだ。なかなかに凄い。
つまり、部外者の私が単に“工場”だと認識したものも、地元に長く住む人々にとっては、非常に愛着のある駅前広場の老桜のような存在なのではないか。
そうなると、地元の人は、私が心配したような“部外者感”を感じる事もなく、あの歩道を通行できるだろう。
ゴテゴテとした注意書きとか、そういう部外者相手のサービスがないのも、基本が地元相手だとすれば納得だ。
…という感じで、勝手に想像はしてみたが、
ホームのような地下道が作られたワケと、歩道が今の場所に作られた経緯が、知りたい。
何かしら思うことがある方は、情報提供をお願い致します!
何か分かったら追記予定。