ミニレポ第217回 佐白山観光道路

所在地 茨城県笠間市
探索日 2016.4.17
公開日 2016.4.21

小さな山を取り巻く、3つのループを持つ道路


今回は、ミニレポの名前に相応しい、小さな山の、小さな道路を紹介しよう。


【周辺図(マピオン)】

舞台は、茨城県笠間市の中心部にこんもりと盛り上がった佐白山(さしろさん)だ。
左の写真は、笠間市街地から東に見えるその姿である。
標高は205mであるが、麓の地平も海抜が50mほどあるので、実質は150mくらいの高さをもった“小山”である。

そしてこの小さな山には、その名もズバリ「佐白山観光道路」という道路が存在する。
右図は現行の地理院地図だが、標高100mより上の山腹をぐるりと周回(第1のループ)しながら、一部で山頂付近へも登っている道路がそれである。

一周約2.6km。
大した距離の道では無いけれど、小さな山だけあって、この観光道路は佐白山というものを存分に味わい尽くしているように見える。
登山と周遊を1本で満足させているとか、なかなか無い道路である。
しかも、この道には山頂附近に、双耳をなす峰の間くぐるような短いトンネルまで用意されている。
で、このトンネルを含めた山頂付近もまたループに近い線形である。
これが第2のループだ。

さて、この道にはサブタイトルの通り、“第3のループ”もあるのだが、それはどこかというのが、本編のお話し。





2016/4/17 15:16 《現在地》

笠間市の代名詞的存在である笠間稲荷がある市の中心部から、佐白山への進路をとる。
車は麓の観光駐車場に停め、いつも通り自転車でのアプローチだ。

近世の笠間は、水戸街道の宿場町であり、笠間稲荷の門前町であり、かつまた笠間城を頂く城下町であった。
そしてそのお城の所在地が、まさに佐白山の山頂であった。
現在もお堀や石垣などの遺構が随所に残る全山が笠間県立自然公園として保護されており、麓から少し入るだけで鬱蒼とした木々の緑が、路上の空を小さくした。

そんな静かな市道を10分ばかり漕ぎ進むと、目指す観光道路の起点に着く。




15:25 《現在地》

標高150mのこの広い駐車場は、「千人溜り跡」と呼ばれている。
私は城跡には詳しくないが、各地の城跡に同じような名前の広場がある。山城が、その本分であるところの戦を、よく戦うための施設であろう。
そして、このまま真っ直ぐ進めば、高い木々の下に「大手門跡」と呼ばれている場所がある。
道なりに残り50mの高低差を詰めれば、天守があった標高200mほどの山頂に通じている。
だが、ここで右へ向かう道を選んでも、だいぶ遠回りではあるが、やはり同じ山頂に通じる。

これが、冒頭で紹介したとおり、佐白山観光道路がループ道路であるということである。
“第1のループ”というわけだ。
佐白山観光道路の旅は、ここからはじまる。

…のであるが、実際に足を踏み入れる前に、ご丁寧にも道の方から“自己紹介”をしてくれるという。
心して、耳を(目か)を傾けましょう。



佐白山観光道路完成之碑
 日本三大稲荷で知られる笠間市であるが 市の中央 に位し 天を摩す巨木の生い茂る 幽邃にして眺望の 良い佐白山を開発し 以つて当市の観光資源にしよう との試みは 市民の永い間の願望であつた  市議会に於いては 昭和三十八・三十九両年度を以 つて 観光道路建設の議決が為され 茲に漸くにして 一応の完成を見たことは寔に喜ばしい限りである  茨城県に於いても鹿島砂丘の一大開発を図り また 筑波山麓には学園研究都市の誕生の見ようとしている 秋でもあり 私共のこのささやかな企てが 他日当市 発展の為めの布石の一つとなることを信じ この事業 が未だ不完全ながら 今後このような目的に向つて 代々にわたり多くの後継者の手によつて完遂されるこ とを念願して已まない  茲に観光道路完成の記念すべき佳日に当つて この 事業に対し多大の御協力と御援助とを与えられた方々 に対し 謹んで深甚の謝意を捧げる次第である   昭和三十九年九月二十一日            笠間市長 長谷川 好三

この読みやすい丁寧な完成記念碑文によって、佐白山観光道路の素性が知れた。
市の単独事業として、昭和38〜39年に整備が行われたということである。
また、碑の裏面には、関係者41名の氏名が刻まれていた。

ところで、この手の碑の文面は大概、それが讃える事業についての内容が、実態より少し大仰だったり、楽観的だったりという印象を与えることが多いのだが、本碑文はなんというかそういう背伸びした感じがあまりしない。「私共のこのささやかな企て」、「この事業が未だ不完全ながら」などの表現は、この小さな観光道路のイメージに相応しく、より好感をおぼえた。
碑に滲み現れた堅実の精神が、この地味な観光道路を破綻や忘却という廃の魔道に堕とさず、今日を平和に迎えさせしめたのかもしれないなんて思った。



私が訪れた時、この千人溜り跡の駐車場には一台も車が停まっていなかったが、この先へ進むための佐白山観光道路は、一般車両通行止めである。
記念碑の左側にある道の入口には、寄せられた「バリケード」と1枚の案内板があり、その事を伝えていた。

また、案内板の記述から、この道の市道としての路線名「笠間市道0235号線」が判明した。
国道や都道府県道とは異なり、市町村道の命名規則は各市町村が任意に決めているので、県道“0”235号線という表現はあり得なくとも、市道“0”235号線は普通に存在するのである。
普段、市町村道の路線名を意識する機会は、国道や都道府県道に較べれば遙かに少ないので、こういう風に表に出ている場面を見ると、なんか嬉しくなるのであった。

すぐに立ち入ってみたい気持ちはあったが、城跡の大手門をくぐり天守があった山頂へ短距離で通じる“こちらの入口”は下山路に使うことにして、登りは遠回りとなる“もう一つの入口”から行くことにしよう。




こちらが記念碑の右側にある、観光道路の“もう一つの入口”である。

ここにもバリケードが設置されていたが、寄せられ、通行ができる状況になっていた。
このまま自転車で進む事にしよう。

佐白山観光道路、走行開始!


ささやかな道である。
世の中にある「観光道路」と名付けられた道の中では、かなり上位に来る慎ましさであろうと思う。

鋪装こそされてはいるが、道幅は乗用車1台分しかなく、ガードレールや法面の施工もなく、少し完備された遊歩道といったレベルである。
また、思いのほかにアップダウンが激しく、標高150mのスタート地点から反時計回りに山の裏側までの半周900mで、実に50mも高度を下げたのは、この区間がほぼ下りっぱなしであったことを意味している。
入口のバリケードは寄せられていたが、路上の落葉や細かな枝木の堆積を見る限り、積極的に自動車が入り込んでいる様子は無かった。また、平日午後の歩行者も疎らであり、私がこの探索中下山するまでにすれ違った数は、二人と犬一匹であった。



15:35 《現在地》

千人溜り跡の観光道路の起点(でありかつ終点)から反時計回りに進むこと900mで、ちょうどスタート地点から見て山の真裏側にある丁字路に到達した。
前述したとおり、この間は一方的な下り坂だったので、高低差はもちろん、単純な距離の点からも見ても、スタート地点にいたときより山頂は遠退いている。

ここを右折すれば下山できるが、私はごく短時間を立ち止まっただけで、すぐに直進した。


反時計回りの残り半分に入ると、底を打った道は登りに転じて、それも下った分以上に上っていく。
目指すは、山頂である。
小さな山の山腹を綺麗に半周しながら、まるで螺旋の一部のように上るのは、大きな山を相手にする登山道路ではまず見られない蹂躙的な線形で、ゾクゾクする。
こんなことに興味というか意識を傾けているのは、極めて一部の人にしか理解されない一種の変態性癖かもしれない…。
また、山中はどこも鬱蒼とした木々に覆われており、せっかくの独立峰なのに、眺望が開けないのはいささか残念だった。

なお、この日は4月だというのに妙に蒸し暑く、早くも羽化したコアブたちに眼前を飛び回られながら、汗を垂らしての登攀となった。



15:47 《現在地》

だが、そんな苦闘も長く続かなかった。山が小さいので、すぐに終わりが見えてきたのである。
ひときわ急な坂道の先に見え出したのは、この道に1本だけ存在するトンネルだ!
いったいどんなトンネルだろうかと楽しみにしていたが、道のサイズに見合った可愛らしいもののようだ。

現在地は標高170mに位置し、スタート地点よりも少しだけ山頂に近付いている。ここからだと、山頂はもう目と鼻の先である。
トンネルが潜っているのは、この山に乗っかっている二つの山頂(双耳峰という)間の鞍部を貫く物で、より高い(本来の意味での)山頂は向かって左側にある。




なお、このトンネル前から振り返ると、すぐ左の谷間を蛇行しながら下って行く道が見える。
これこそが、この道の続きであって、山頂附近を踏んだあと、あそこを通ってスタート地点に戻る事になる。

両者は、ここで極めて接近しており(最も近いところでは10mほどしかない)、これらを繋ぐ(地形図には無い)連絡路が存在する。
連絡路は未舗装だが、道幅は本道と同程度あり、その気になれば(本道同様に現在は一般車両通行止めのはずだが)自動車も通行可能だ。

まだ、本道の大きなループ(第1のループ)は走行の途中であるが、この連絡路を利用する事で、山頂を取り巻く一周600mほどの小さなループ(第2のループ)が完成している。
ここまでは、前説でも書いたとおり。
そして、この道には第3のループもあるという情報を、2015年4月9日に、読者の職人氏より貰っていた。
その確認が、今回の探索の目的でもある。



低っく!!
天井が低くい!

かなり苔生した坑門である。
そして、綺麗な半円形。
だいたいのトンネルは半円よりも天井が高いが、これは本当にそのまま正円の上半分といった感じの断面に見える。だから天井が低いのだ。道幅はこれまでと変わらないので、自動車も通行は可能だろうが、天井の低さがネックである。元来から、「観光道路」と銘打ちながらも、観光バスのような大きな車の走行は、目論んでいなかったように思われる。
残念ながら、扁額は見あたらない。だから、名前は分からない。
しかし、この道とは不可分の存在であるから、昭和39(1964)年竣工であるのだろう。



トンネル内にはささやかな照明施設が用意されていたが、なぜか点灯していなかった。そのため非常に暗く、照明を持参していないと、手の届く所にある壁や天井の様子さえ、ほとんど窺えないのだった。
…もっとも、わざわざ見る必要は無いかもだが…。残念ながら、不本意なカラフルさに彩られていたので…。
なお、このトンネルも山登りの一部であって、結構な登り坂だった。

反対側の坑門も同じようなデザインで、扁額は見あたらなかった。
そのため現地では終ぞ判明しなかったトンネル名を知ったのは、帰宅後に『平成16年度道路施設現況調査』を見て、そこに“それらしいトンネル”が、次のように記載されていたためだ。

タマダレトンネル 竣工:昭和39(1964)年度、全長:65m、幅員:2.5m、高さ:1.6m

竣工年、長さ、幅の数値が、このトンネルと一致している。高さはもう少しあるように見えるが、ここで言う高さとは「有効高」(車両限界)のことなので、半円断面のトンネルの有効高はこんなもんに違いない。
さらに、この「タマダレ」を漢字でどう書くのかという謎は、笠間市公式サイト内「市指定文化財:笠間城跡」にある以下の記述が、答えになりそうである。

井戸は帯曲輪近くの玉滴(たまだれ)の井戸が残っている。

このトンネルの正式名称は、おそらく「玉滴トンネル」である。



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15:54 《現在地》

トンネルを出て、ゆるゆると右カーブを一つこなすと、そこで遂に登りが尽きた。

今回のように反時計回りに進行すると、スタート地点から2.1kmにて、観光道路の最高地点に到達したのである。
残す下山分は、わずか0.5kmほどしかない。




現在地の標高は180mに僅かに足りないほどで、山頂を占める一角だが、千人溜り跡に匹敵する大きな広場になっている。
仮に山上広場とでも名付けたくなる明らかに人の手が入った平坦な土地は、現地の案内板に拠れば、かつての笠間城の主要部(本丸など)が置かれていたようだ。

そして広場の東西には2つのピークがあり、西側が標高182mのピークである。
佐白山という名の三角点はそこにあるので、同山の標高を182mとしている資料も多い。
だが、より高いのは東側のピークで、地形図は山頂に独立標高点205mを記している。
そちらはかつての笠間城の天守所在地であり、現在は(そしておそらくは笠間城が鎌倉時代に築城される以前も)、山名の由来となったと思しき佐志能(さしのう)神社が鎮座する。



16:00 《現在地》

折角なので、観光道路から広場を横断し、さらに数十段の石段を登り詰めると辿り着ける山頂(東ピーク)へも上ってみた。

山頂付近には、大きな石垣や石段が点在しており、どれが城跡で、どれが神社に由来するものかなどは分からないが、山頂を極めるというのは単純に爽快だった。

なお、ここだけは麓とは比べものにならないほど地形が険しく、突兀たる山頂が、山城の威容を示す天守そのものであったような印象を受ける。




観光道路からは全く望めない眺望も、この山頂には存在した。
しかし、これも周辺の鬱蒼とした木々の樹幹の高さのため、八方位のうち北東方向だけが見晴らせた。

地形的には、もしこの山頂の視界が自由であったとしたら、東には遠い鹿島灘の水平線が見通せるであろうし、南は筑波山地を遙かに一望、西はお膝元の笠間盆地を指揮するように見晴らす、そんな絶好の展望台であったろう。
山城の城主気分を味わうには、絶好の場所。

だが、そんな展望台の開発をせず、苔生した遺跡とその景観を維持しているというところに、観光道路や記念碑文にも通じる愛すべき慎ましさが感じられた。安らぎを覚える。



16:04 《現在地》

しばし…というほど時間を使わず、ごく短時間で癒しを補給した私は、すぐに下山を開始した。
これは私の城跡レポートでも観光レポートでもなく、観光道路のレポートなのだ。
まだ、本題が終わっていない。
それどころか、今回ここへ来た最大の目的である、第1第2のループに続く第3のループを、まだ見ていないのである。

それは、この下山路の途中にあるという。
情報提供者は、だいぶ珍しいものだと仰っていた。
ここまで、気分的な面での準備態勢は十分に整った。何でも受け入れる用意がある。私の胸は期待に膨らんだ。




良い感じの下り坂〜。

上るときは、山の外周を1周半もぐるぐるしながら上ったが、下りは北側に入り込んでいる谷筋の地形を使って、
グネグネと九十九折りの線形で行くようだ。市街地の隣接地とは思えない、深さを感じさせる山岳道路風景だ。



なんて事を思いながら、下っていくと――



ぇ?!




ループだwww

しかも、これは“平面”ループだww




↑これが、走行方法の見本ですwww↑


ループしてる道路と言えば、「ループ橋」や「ループトンネル」などが知られており、

専門的に探しているファンがいるほどの道路界の一ジャンルである。

だが、まさかサーキットや教習コースなどではない“公道”に、
「ループ橋」でも「ループトンネル」でもない、平面ループが存在しているとは!!


……たまげた…。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

16:09 《現在地》

こういう線形(平面ループ)の道路が、公道にほとんど存在しない理由だが、専門的には分からない。
というか、私も色々と道路の本を読んできたつもりだが、その事について触れた専門的な資料を見たことがない。

しかし、専門的でなくシンプルに考えてみるだけでも、不都合がある事は予想がつく。
例えば自動車を走行させるとき、1台ならいいが、車が連なっている状況では、渋滞や交通事故の多発が容易に予想できる。

そのうえ、あえてこの線形が必要になるような地形というのは、別の線形で代用が利く気がする。
具体的には、普通のヘアピンカーブでもいいんじゃないかって、そういうことになる。
あまり、この線形のメリットというのが、思い付かないのである。



それでも、この線形ならではのメリットというのを、頑張って考えてみる。
そもそも、こんな思考実験は、実際にその線形を目の前にしていないと、思い至ること自体ないのである。まず試考にさえ至らない。これは、なんか貴重な機会である気がした。(そして、それと同じくらい、平和でどうでもいい気もした)

 …う〜ん

   ううーーん……。

ゴメンナサイ、
やっぱり、思い浮かばないです。

カーブ全体が必要とする土地の広さを節約出来ているようにも見えないし…




そもそも、ここでも土地が足らなかったのか、ループカーブの外周部分は、わざわざコンクリートの桟橋状に張り出して設けられているのである。

このように手間もかけているのだが、悲しいかな、一般車両通行止めで許可車両しか通れない状況では、この広々とした外周部分が“踏まれている”様子は無い。
そこの路面には、しばらく堆積したままの落葉が、湿った土に変わりかけていた。


もし、これがどこかの国道か、せめて都道府県道上にあったとしたら、もっと遙かに有名になっていて、もしかしたら日本唯一かも知れないという貴重さが、広く議論されていたことだろう。

しかし、ここはマイナーな市町村道であり、利用者も地元の人が大半であろうと思われる。
そして地元のこととなると、多くの人が誤解するのだ。地元にある物に珍しいものなんてないと、そう思い込みたがる傾向がある。私もそうだった。

実を言えば、これと同じようなカーブ線形を、ある林道でも見たことがある。(なお、道路の終点に設けられた転回用のループや、ロータリー式交差点などは結構見るが、これらは除外する)
だが、その未舗装の林道のは、ここにあるようなループ内側の“路外”は存在しない。
ようは、利用者サイドで道幅を勝手に解釈して、そのように使っているだけかもしれない。
対してこちらにはループの内側に“路外”の草地があり(ここは未舗装というか少し窪んでいる)、通行方法が明示されていると言っても良い。

まあ、はっきりした道路標識などは無いから、別にこのループ通り通行せずショートカットしても違反ではないのだが(笑)。もちろん、歩行者は積極的にショートカットしていると思う。


ループを出ると、即座に幅の狭い橋になっていた。そして、この橋とループは不可分である。

というのも、橋がこの位置にあるから、それに接する切り返しカーブの曲率半径が極端なことになり、それを緩和するために、平面ループというある種の禁じ手のような、あるいはウルトラCの妙技を見せる必要が生じているという解釈が成り立つ。
この橋をもっと左にずらせば、橋は幾分長くなるだろうが、普通の切り返しのカーブで事足りたことだろう。

…なんて色々考えてみたが、こればかりは設計者に聞いてみないと答えは分からない。
そもそも、道路線形はだいぶ自由である。芸術の要素をすら含んでいる。
橋や坑門なんてものもそうだが、実用性のみで常に一通りに決定されうる物ではないのだ。
わが国の道路法に「平面ループはこれを禁ずる」と出ていない以上、市町村道の小さな観光道路という、おそらく終始平和であろう利用状況を鑑みたうえで、いくらか奇をてらった線形を設けたとしても不思議ではない。(どこに着想を得たのかは不思議だが)

もしかしたら、設計者や道路管理者による渾身の芸術、ないしは挑戦、もしくは“道路趣味者くすぐり”であったのかもしれない。
まあ、貪欲に道路を欲してきた私が、関東に移住して10年近く知らないままで過ごしたほどマイナーだったというのが、世の解答である気もするが(微笑)。



いや〜、楽しかったなぁ。

真面目な史跡の散策路と思ってたら、最後に道路界の遊園地のような場面に遭遇したのである。
一応、情報提供があったから、何かあるとは知っていたものの、実際に目で見るのはインパクトがあった。
この第3のループは、意味もなく4周してしまった(笑)。

こうして、ミニレポ感全開の展開に大満足した私は、これまたトンネルと同じように名札のない橋を渡って、愛すべき平面ループを後にしたのである。




あとはもう、流れでお願いしますって感じで、道なりに下るだけである。
この写真の場所は、少し前に“向こうの道”を汗して上ったところ。
本道は左だが、正面の未舗装路は“向こうとの連絡路”で、これを使えば1周600mの第2のループを好きなだけ周回できる。

ちなみに、この観光道路は全線が1車線で、待避所などはない。
開通当時から一般車両通行止めであったのかどうかは不明だが、もし解放するにしても、一方通行にしないと大変な事が起こりそうだ。
現状では許可車両が通行している(実はさっき山上で犬の散歩をしている人が車で来ていた)が、特に一方通行の指示はないのである。



16:10 《現在地》

笠間城大手門跡の標柱前で、来た道を振り返る。

奥に見えるのは、平面ループのところにあった橋で、青色に塗色された鋼鉄の箱桁橋だった。
こちらは今以て名称不明だが、きっとなにかこの土地に由緒のある名前が付けられていることだろう。

思えば、一周わずか2.6kmという観光道路に、橋あり、トンネルあり、ループありと、盛りだくさんであった。
それらも現状ではあまり道路ファンを楽しませる目的には使われていないが、本来の用途を思えば普通なことである(そうだった…笑)。



そして大手門跡から10mほど進むと、千人溜り跡の駐車場に帰還!

佐白山観光道路を巡る3つのループの物語も、これにて“周”演!



完結。



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