ミニレポ第234回 茂原市押日の細田隧道 後編

所在地 千葉県茂原市
探索日 2016.1.21
公開日 2018.2.21

内部に特徴のある素掘りミニ隧道


2016/1/21 14:24 《現在地》 

あら〜。 素敵な景色!

せま〜い穴をくぐり抜けて再会した地上は、隧道にかけられたタイムトンネルの呪文が、まだ解けていないみたいだった。

まぶしい野原のカントリーロードよ、コンニチワ。光と闇の境界に置かれた私の自転車だけが、妙に現代的で場違いだ。


ん? なんだろう、これ。

出口の左側の壁に大きな凹みがあるのだが、そこに何か…、見慣れないものが置かれている。



かっ カワイイ!

なんですかこれは〜?

シチュエーション的には、石仏?

隧道の出入口付近のこういう岩の凹みに、往来の安全を願って石仏(馬頭観音とか道祖神、またはお地蔵さまが多い)が安置されているのは、結構よく見る。特に素掘隧道の多い房総ではその数も多い。だが、この形の“モノ”を他で見た記憶は、ちょっとない。
まるで雪だるま。それも、手乗りサイズだ。
それが大きな凹みの中に、ちょこなんと四つ行儀良く並んでいる。一つは欠けているのか、半分くらいの大きさだ。

千葉だけに、落花生の神様なんてことは、さすがにないよね(笑)。
あなたは、なんだと思います? よろしければ文末のコメント欄から教えてください。

なお、『トンネルのはなし』は、この物体について、「八幡神社側の入口に、石造の繭にも俵にも似ている道祖神が祀られ」と書いており、道祖神だとしている。かわいいなぁ。



ちょっと進んでから隧道を振り返ってみたのが、この写真。
これまた、とっても良い雰囲気だ!

隧道の左上にある鳥居が、古老がこの隧道を“八幡さまの隧道”と呼んでいた由来に違いない。
立派な石鳥居の扁額に、「八幡宮」の文字が見えた。
この立地条件だと、確かに細田隧道と呼ぶよりも、“八幡さまの隧道”の方が通りが良いとこになりそうだ。
そして、隧道がくぐっている山の尾根は、社叢なのだろうか、鬱蒼とした木々の緑に盛り上げられて、実際よりもかなり高く見える。

ところで、鳥居の手前を斜めに登っていく道が見えるだろうか?
神社へ通じる参道なのだが、鳥居の下で社殿へ至る石段を分けたあともそのまま続いていて、隧道の上の深い緑へ入っていく。
私は思った。
あの道こそ、隧道ができる以前の峠越えの旧道ではなかろうか。

こういうのを見つけちゃうと放っておけない! ちょっと寄り道!


隧道の南口から50mほど下った(といってもほとんど勾配はない)ところが、神社の道との分岐地点であった。
私の見立てでは、新旧道分岐地点ということになる。

これらの道に囲まれた敷地は、なぜか綺麗に刈り払われていて、多少傾斜のある広場のようになっていた。
いまも盛大な例祭が行われたりするのだろうか?

なお、明治22(1889)年に刊行された『上総国町村誌』の押日村の項に(当地は明治22年まで押日村、以後昭和27年まで二宮本郷村、その後は茂原市となって現在に至る)、「氏神 八幡神社」と記載がある。古くから当村を代表する神社だったのだろう。




新道と旧道といっても、道幅はどちらも同じくらいに狭い。軽トラ幅だ。
ただし、こちらの旧道の方は途中までコンクリートで舗装されていた。
その“途中”というのは、神社の石段の入口までである。
だが、道形自体は石段の下を突っ切って、そのまま隧道上部の森の中へ続いている。
やはり、これが旧道という見立てで間違いなさそうだ。

写真の右下から中央に向って掘り込まれたような地形が見えるが、あそこが先ほど通った隧道のある道である。
新道のトンネルと、旧道の峠越え。
オブローダーとしても山チャリストとしても、これまで何百何千回と見てきた典型的な両者の関係だが、ここにはその最小級ペアがあるようだ。
なんか、尊いです!




寄り道から、さらに寄り道して、石段を境内まで登ってみたら――、眺めがよかった。

目の前の低地を豊田川が流れており、川に沿って県道14号千葉茂原線という、房総半島横断路の一つが通じている。
県道千葉茂原線の通称「茂原街道」と呼ばれるが、近世には茂原より江戸へと向う重要な街道であったそうな。
この押日という変わった地名も、神武天皇東征のおり、ちょうどこの辺りで日が落ちたから「惜し日」と言ったからとかで、
昔から主要な道に隣する土地であったようだが、それでもこの細田隧道のある峠道に関しては、
ずっと変わらずにローカルな存在だったんだろうなぁという印象。そこに親近感を憶えるのだ。



石段を分けた途端に、お役御免とばかり舗装を剥ぎ取られ、昔の姿へ戻ったみたいな土道になった。
道はもう間もなく峠の森へ分け入っていくが、今いる場所が明るいだけに、森の暗さが際立つ。まさに闇! 下手な隧道よりも暗く見える。

…旧隧道があったりしたら、どうしよう……。

そんなドキドキの場面で、私の目を引く存在がチラリ。
あれは、石碑かな?

…開通記念碑だったら、どうしよう……。


これは……、歌碑かな?
広い碑面に達筆すぎる筆字が流れるように踊っていて、とても私には読み取れないでござる(涙)。
大きな画像(6MB)を置いておくので、得意な方の助けを求めたい!

なお、篆書体の文字がギチギチに詰め込まれている題字(→)の方は、なんとか読めそうだ。

国際会議日本使節欧州各国親善訪問記念」と書かれているのだと思う。

裏面も見たが建立年は見当たらず、碑の素性は正直分からない。
とりあえず、この記念のために隧道を開削したというような碑ではないようだ。記念の歌を詠んだよーってことかな?
歌の内容次第では化ける可能性も?!




それではいまから、あの妙にグネグネしていた細田隧道の上に隠されていた旧道の峠に入るぞ。
自転車はここに置いていこう。 最後に、もう一度振り返ってパシャリ。

新道のトンネル坑口を見下ろすこのアングルは、もうなんか親の顔より見た気がするが、
その新道がこんなにも狭いというのは、ちょっと記憶にないパターンで、新鮮だ。



廃道出現! 切り通しだ!

切り通しは左に急角度でカーブしており、出口までは見通せない。

道幅はトンネルと同じくらいで、2.5mほど。意外に大きいぞ。
長年の放置によって崩土や落ち葉が沢山積もっており、こんもりとした踏み心地になっている。
最初に聞き取りをした古老は、戦時中に掘ったのではないかと仰っていたが、もしそうだとすると、廃止から70年前後を経過していることになる。

ん? 何か落ちているぞ。




なんだこれは?

金属製の笠のようなものだ。
おそらく、見る人が見れば「あれだ!」と分かりそうな、特徴的な形をしているが、私の知識の外だ。
印象としては、神社の例祭の時とかに使う飾りの照明の笠っぽいが、要らなくなって捨てられてたのだろうか。
旅人が落としていくようなものには見えないが、かといって余所からの不法投棄というほど場違いな感じでもないし、数も一つだけだ。他のゴミが落ちていることもない。
この切り通しにかつて掲げられていた街灯だったりしたら、一番嬉しいんだが…。

入口のカーブを曲がると、この切り通しの核心部が待っていた。




14:29

オオオッ!

想像よりも、だいぶすごい景色だった。

こんな濃い味の切り通しが、ひょっこり隠れてるんだもんなぁ。やっぱり、房総の探索は収穫が早くて大好き。
もの凄い山奥に行ったって、なかなかこんなすごい切り通しには出会えないかも知れないのに。

オーバーハングした左側の崖はとかく高くて、乾き気味の苔色が、古代の遺跡を思わせる。
右の法面はそれより遙かに低いが、社叢として残されたのか、目を見張るような巨樹が生えていて、左の崖と背比べをしている。

土被りの量からして、隧道ではなく最初から切り通しだった可能性が高い。
だが、隧道に匹敵するか、それ以上の手間をかけて道は切り開れていた。無名の道と侮りがたい!



(←)切り通しの中ほどに立って、振り返って撮影した。
左右の法面の高さがこんなに違う峠の切り通しは、なかなか珍しい気がする。
峠道があと3mくらい登ることを受け入れたなら、向って左側の低い法面は削る必要がなかったはずだし、この土地の地質がもっと堅かったなら、そうしたことだろう。

(→)進行方向にある残りの切り通し。
次第に低くなっていく。
切り通しの先は、どこへ通じているのだろう。
先に隧道の北口を通過しているが、そのときには周辺に旧道との分岐があることに気付いていない。
見逃すほど藪に紛れてしまっているのか?

それにしても、房総における“土木”の個性を改めて感じさせる展開だ。
小さな隧道から高低差10m程度の上部に、隧道と同じくらいの幅を持つ旧道が残っている。
関係者は、この旧道が不便だと感じたから、新たに隧道を掘ったのだろうが、隧道を掘るという事業に対する抵抗の低さがすごい。
隧道にせよ切り通しにせよ、地面を掘り抜ける工事に対する抵抗の少なさは、房総にある土木構造物の最大の特徴であると思う。
“土の国”とでも呼びたくなる。



ぽん!(←膝を打つ音) そういうことか!

分岐地点旧道の切り通しはその北端において、既に探索した隧道の北側坑口に通じる切り通しに路面を奪われることで、空中に消えていたのである。

これで、隧道の北側に旧道との分岐地点を見いだせなかった原因も判明した。

(→)隧道北口の直上に、旧道があった。
おそらくこの北口の切り通しは、旧道の路面を隧道の高さまで掘り下げたことによって誕生したのだ。



となると、私がこのレポートの冒頭で、隧道の北口へと近づくときに感じた小さな違和感にも、説明が付く気がする。

北口の手前の道は、ほぼ平坦であるにも関わらず妙にグネグネと曲がっていて、隧道内の見通しを妨げていた。
なぜこんな線形なのかと思ったが、急坂を登るためにぐねぐねとグネグネ曲がっていた旧道を、そのまま掘り下げたからではないだろうか。そう考えれば納得できる。

こうなると、もう一つの謎であった“隧道内のグネグネ”についても、「測量ミスによる東西坑道の食い違い説」とは別の説での説明を試みたくなってくる。
例えば……


「できるだけ隧道を旧道の下に掘ることで、地上の土地の買収費用を安く済ませた説」。

そんなセコい理由で、肝心な隧道としての通行性を、多少なりとも犠牲にするだろうか。
そもそも、ただでさえ充実していなかった測量技術で、狙い通りにS字カーブを作ることの方が難しいのではないか。

確かにそのような反論はあるし、正直私もちょっと無理があるかとは思っている(笑)。
だが、『トンネルのはなし』には、こんなエピソードの記述がある。
同じ茂原市内にある御領(ごりょう)トンネルの解説だが…

赤道の真下にトンネルを掘れば、取付道路を新規に造る必要がなく、更に、道路用地の買い上げの費用が省ける。また、峠の道は山の低い所にあり、そこにトンネルを掘れば長さが短くて済む。更に、トンネル入口までの切割りの道路の長さも短くて済む、結果的に、土砂の搬出も少なく、工期の点でも費用の面でも利点が多い。

「赤道(あかみち)」とは、公道のことである。(明治以降整備された公図で公道が赤い線で書かれたことにちなむ。今日においては、大正以降に道路法上の道路として継承されなかった旧里道を指す場合が多い)
右の写真は、平成28年に撮影した御領隧道の北口であるが、ものの見事に旧道の切り通しの真下に掘られているのが分かる。
御領隧道は直線だが、これに対して細田隧道が内部に不自然なカーブを持った理由は、そのまま切り通しの下に隧道を掘り抜いた場合、八幡宮の敷地内に南口の切り通しを掘ることになるから、それを避けたのだと考えることが……できるかもしれない。

まあ、結局のところ細田隧道の内部が曲がっている真の理由は、不明である。
普通に考えたら最初の説が有力だと思うが、『トンネルのはなし』の話も説得力があるし、同書の「曲げて掘った」という記述を重視するなら、後者の説も捨てがたい。

……さて、下山しようか。




14:36 《現在地》

切り通しを引き返し、自転車を回収してから、【新旧道分岐地点】を突っ切ると、薄暗い森の中を狭くて急な坂道で下った。だがそれもあっという間に終わる。わずか50mほどで、どこにでもありそうな郊外の街角へ飛び出した。
ここはもう豊田川の流れる低地である。交通量の多い県道14号が、すぐ近くを通っている。
“八幡さま”の小さな峠道は終わった。

出口を振り返ってみても、特に気を引くようなものは何もなく、本当に何の変哲もない。
しかし、こんなところにも思わず語りたくなる隧道や旧道が潜んでいるところに、古くから人のそばにあり続ける優しい里山の面白みがあった。




最後になったが、細田隧道は竣工時期が明確ではない。

私がたまたまお話を伺った古老は、「戦時中ではないか」と語ったが、『トンネルのはなし』は、「1900年(明治33年)頃に掘ったトンネルといわれている」と、口承のような形で書いている。また、行政の資料では竣工年の欄が空欄だった。

明治33年頃と戦時中とでは、だいぶ差があるわけだが、果たしてどちらが正解に近いのか。
残念ながら、私にはどちらとも判断できる材料がない。

右図は昭和27(1952)年の5万分の1地形図だ。
現在の地理院地図と重ねてみると、神社の記号(=八幡宮)の脇を越える「町村道」があるが、トンネルは書かれていない。
明治を含むこれ以前の全ての地形図も同様であった。
以後の版については、昭和45(1970)年の2.5万分の1地形図には道自体が描かれておらず、平成9(1997)年版には隧道が描かれていた。この間に作成されたどの版から描かれるようになったかは不明だが、いずれにせよ「明治か戦時中か」の解決に役立つ結果ではない。

事情に明るい人物のさらなる証言が待たれるところだ。




久々に登場、ボクはミニレポ君だよ!
このレポートの前編を公開したところ、盟友のミリンダ細田氏から次のような有り難いコメントが寄せられたぞ!

ありがたう。
全国の細田が喜んだスびょん。
細田は地味でマイナーだスからよ。
著名人で細田は、細田守監督か、細田博之国会議員だけだスからよ。
ミリンダ細田

完結。


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