ミニレポ第251回 国道4号旧道 折居橋

所在地 岩手県奥州市
探索日 2019.04.23
公開日 2020.04.03

日本一長い国道に架かる小さな橋


《周辺地図(マピオン)》

当サイトのレポート史上で、もしかしたら一番を争うくらいシンプルで短いレポートタイトルになったが、今回は国道4号の旧道に架かる1本の橋を紹介する。

その名は、折居橋。

所在地は、岩手県の奥州市内、JR東北線に陸中折居駅というのがあるが、その近くである。

それではさっそくご覧頂こう。





2019/4/23 15:55 《現在地》

ここは奥州市水沢真城の国道4号の路上で、南(東京方)を背にして北(青森方)を向いている。
目の前には、まさに絵に描いたような新旧道の分岐があるが、右が現在使われている国道で、左が旧道である。
旧道はここから1.2kmにわたって、現道の左側に並走し、古くからある折居集落(江戸時代は奥州街道の間の宿だった)を通り抜ける。

新旧道の分岐を特徴付ける三角地には、これまたよく見る光景だが、何かのモニュメントが置かれていた。
それは3階建てに相当する高い広告塔で、てっぺんには色褪せた「歓迎」の文字が掲げられていた。

平成18(2006)年まで、このすぐ手前に前沢町と水沢市の境があった。だからモニュメントは、国道4号という東北地方で最も重要な国道の利用者へ向けた、水沢市の熱の入ったアピールだった。今はともに奥州市に組み込まれているが、三角地を支配する巨大なモニュメントには、国道4号の強さが感じられた。




目的の橋である。

新旧道分岐地点の直後に架かっているこの橋が、今回紹介したい橋だ。




橋上の様子は、こんな感じ。

奥には現道の橋も見えているが、両者を比較してみても、長さはほとんど違わない。
幅はさすがに現道の橋の方が広いが、旧橋も2車線分の幅は余裕である。かつて国道4号として働いていただけあって、虚弱な姿はしていない。
路上に白線や歩道の区分がなく、交通量も多くなく、さらに橋の長さと幅が同じくらいであるために、現道の橋よりも広々とした印象を受けるくらいだ。




別アングル。
橋の下を流れているのは宮沢川という、北上川の小支流だ。

橋桁の構造に関して、特筆すべき所はなさそうだ。
長さ10mに満たない、ありきたりな鉄筋コンクリート(RC)桁橋である。



しかし、本橋には一見して、古い橋だと推測できる構造上の特徴がある。
皆さんもお気づきだろうが、高欄の高さが、明らかに現代の橋の設置基準(pdf)を満たしていない。低すぎるのである。

このこと自体はそう珍しい訳ではないが、これだけで古い橋というのは一目瞭然。
高欄の嵩上げ工事が行なわれた気配もないので、建設当初の外観をよく保っていそうだ。
まあ、高欄の高さ以前に、こんなコンクリート一辺倒の高欄自体が、現代の橋のデザインではないと思うし、その高欄が弓なりにカーブしていて橋の中程が微妙に高いのも、古い味付けだと思う。富士山大好きって感じ。

じゃあ、実際のところ、いつ建造された橋なのか?




← ニャー(涙)

肝心のところが、消えちまってるッ…!

この橋、親柱はないが、高欄の四隅に昔ながらの陶板の銘板があった。
だが、肝心の竣功年を記した1枚は、上半分が欠損…。
何年の「六月竣功」なのかが、分からない状況に……。

そして、この竣功年不明であることが、“本橋における最大の謎”を呼び起こすことになる!



さらに2枚の銘板を捕捉。

(←)「 ■居橋 」
これも上部が欠けてしまっているが、「折居橋」に違いない。
ちなみに、隣の現道の橋には銘板などがないので、現地では橋名不明だった。

「 をりゐばし 」(→)
コッテコテの旧仮名遣いだし、「ば」は「波」を崩した「は」ではなく、「者」を崩した変体仮名だ。
もうこれだけで古い橋だってはっきり分かるんだね。
普通に考えたら、戦前の橋。

残る銘板はあと1枚。





一番多いパターンだと、書かれているのは河川名だが……




!!!




“國道第四號線”

キターー!!! これは古いぞ〜!!


旧字体が、「國」→「国」と、「號」→「号」の2箇所に使われている。
特に「號」はPCで表示できない略字体が使われている。(Unicode文字番号2D239)
しかし、真に注目すべきは字の古さではなく、内容の古さだ。




この銘板は、いわゆる“大正国道”の生き残りだと考える。

通称“大正国道”とは、大正9(1920)年に施行された旧道路法に定められていた国道である。
昭和27(1952)年施行の(現行の)道路法が定める国道(敢えて区別するなら“昭和国道”)や、明治18(1885)年に内務省告示により「国道表」として定められた国道(いわゆる“明治国道”)と区別するために、道路ファンの間で広く“大正国道”と総称されている国道だ。

大正9年4月1日に旧道路法が施行された同日、内務省告示第28号として、一号から三十八号までの国道が告示(路線認定)された。
ちなみに、国道一号は「東京市ヨリ神宮ニ達スル路線」で、以下三十八号まで全てが「東京市より●●に達する路線」という型式だったが、国道四号については、次の通りだった。

四号 東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線
 経過地 (東京市日本橋区本石町三丁目経由) 東京府南足立郡千住町 宇都宮市 福島市 宮城県名取郡岩沼町 仙台市 盛岡市 青森市 函館区 小樽区

右図は、大正国道4号のルートを示している。
東京日本橋を起点に、仙台を経由して青森に達し、そこから海上区間(青函航路)を通過して函館へ上陸、終点札幌へと至る、陸上区間だけで1100kmを越える日本一長い国道だった。
もっとも、大正国道26号「東京市ヨリ沖縄県庁所在地ニ達スル路線」はこれより遙かに長かったが、鹿児島までは大正国道2号と重複しており、単独区間の長さは、大正国道4号が最長だった。

そして、ここで指摘しなければならない重要なことは、多くの“大正国道”は、後の“昭和国道”と異なる採番をされたが、国道4号の東京〜青森間は、たまたま、これが一致してしまった。(函館〜札幌は昭和国道5号になった)
そのため、折居橋は、昭和27年までは大正国道4号だったが、それ以降は昭和国道4号になったのである。
したがって、ここにある「國道第四號線」の銘板を見ただけで、大正国道の名残だと“断定は出来ない”。
竣功年の銘板が健在であれば、この問題は解決できたはずだけに、口惜しい。

余談だが、大正国道の名残は、全国に少数確認されている。
当サイトが紹介済みのものとしては、ミニレポ第12回「巌橋」が唯一だろうか。
巌橋は、山形県鶴岡市(発見当時は温海町)を通る国道7号の旧道で、「國道十號線」の銘板が残っていた(大正国道10号は「東京市ヨリ秋田県庁所在地ニ達スル路線」だった)が、残念ながら改修によってこの銘板は失われた模様。
TTS Road Explorer」内の「大正国道コレクション」も参考になる。

折居橋の銘板に話を戻すが、この橋が旧道路法時代のもの(昭和27年以前の橋)であることは、ほぼ間違いないと思う。

いろいろ検索して調べたところ、補修工事の入札記録(pdf)から、橋の長さ(8.28m)や路線名(奥州市道折居町線)は分かったが、竣功年に関する正確な数字は見つけられなかった。
しかし、別の記録(pdf)から、隣にある現道の橋(名前は同じ折居橋)が昭和38(1963)年3月1日竣功であることが判明。
その前年に当たる昭和37年の航空写真(←)を見ると、確かに新道の工事が集落の東側で始まっているし、この竣功年は間違いなさそう。

旧道の折居橋が昭和27年以降に建設されて、わずか10年以内で新道に切り替えられたとは考えにくいし、橋の構造や銘板の文字遣いから感じられる古さを考慮すれば、本橋はおそらくは昭和10年前後、時局匡救土木事業による主要橋永久橋化の一環として建造された橋である可能性が高いと考える。




というわけで、残念ながら断定できる資料はないものの、折居橋の銘板は、極めて貴重な大正国道の遺産である可能性が極めて高い! やったぜ!!

余談だが、日本橋から折居橋までの距離はおおよそ480kmある。
東京と青森を結ぶ現代の国道4号(全長約740km、バイパスを含めると830kmを越える、この実延長は日本最長国道)にとって、折居橋の位置は中間よりもだいぶ終点寄り(青森までは約260km)といえるが、大正国道4号時代だと、ここから終点の札幌へ行こうとすると、陸と海を合わせてまだ700km近くあるわけで、ぜんぜん前半戦だったという現実。
昔の国道4号は、マジで長かった! 岩手県奥州市まで行って半分行ってないとか、運ちゃん死んじゃう!


最後に謝辞。
この銘板の情報をツイッターで教えて下さった、銀スカ@雪国さま、ありがとうございました!!
皆様の中でも、大正国道や明治国道に関係する遺物をご存知の方がおりましたら、ご一報を!


完結。


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