ミニレポ第257回 長野県道278号大野田梓橋停車場線 封鎖区間 前編

所在地 長野県松本市
探索日 2018.11.09
公開日 2021.09.26

上高地からの帰りに見る「通行止」の青看の向こう側


今回は珍しく、前置きなしで、いきなり現地を見てもらおう。
結構多くの読者さんが、このスタート地点は、目にしたことがあると思う。



2018/11/9 15:50 《周辺図(マピオン)》

ここは松本市安曇の大野田地区の国道158号上だ。
見覚えないだろうか?
おそらく、関東方面から上高地や乗鞍を訪れる旅行者の大半がこの場所を通っているはずだが、私は上高地方面を背にして松本方面に向いている。だからこれはおそらく帰り道で目にする風景だ。
もちろん、中部山岳地帯を横断する貴重な国道158号であるだけに、旅行だけでなく職業ドライバーとしてここを通行された経験がある方も多いと思う。
長く険しかった梓川の渓谷地帯から、平和な松本盆地へ抜け出そうとする直前に、この場所はある。

で、ちょっとでもオブローダーの“ケ”がある人であれば、この場所に立つ青看に、ワルい興味を引かれるのではないだろうか?




国道らしい立派な青看だが、左折する県道278号線の行き先が消されていて、代わりに「通行止」の道路標識が表示されている。

この消された行く先の部分をフラッシュ撮影をすると、下地に隠された文字が描き出す微かな凹凸を読み取ることが出来る。
曰く、「梓川(Azusagawa)」と書かれていたことがわかる。
平成17(2005)年に松本市に編入されて自治体名としては消滅した南安曇郡梓川村、現在の松本市梓川梓周辺を示しているとみられるが、おそらくは合併以前に設置された青看であろう。



これはとてもシンプルに、県道278号線は廃道になりましたという感じのする青看なので、気になった人は多いのではないだろうか。
かくいう私もその一人で、通りがかるたびに気にはなっていたのだが、なんとなく素通りすることを繰り返していた。
しかし今回、こんな中途半端な夕暮れ間際の時間で、しかも天気もあまり良くないが、ついに立ち寄ることが出来たので、実態を確認してみることにした。

写真は青看の直後に現れる丁字路で、信号のない交差点だが、「通行止」の県道278号線へは、ここを左折する。
矢羽根型の県道標識(正式名は「都道府県道番号」)が立っているが、この交差点が県道278号大野田梓橋停車場線の起点である。
直進する国道は、新渕橋という新しそうな橋で梓川を渡っていくが、県道は渡らずにこのまま左岸を行く。




この地図は最新の地理院地図だが、県道278号の行き先は、このような感じで描かれている。

県道はここ大野田に始まり、梓川左岸の山際を縫って東進して、梓川渓谷の出口であり、梓川扇状地の扇頂にあたる八景山(やけやま)集落に至る。
この間は「1車線の道路」の記号で描かれていて、やや“険道”っぽい表現ではあるが、特筆するほどとも思えない。
また、現在はこの地図の範囲は全て松本市だが、平成17(2005)年までは、大野田は安曇村、八景山は梓川村に属し、さらに対岸の赤松は波田町に属するというように3つの町村が接する地域であった。




「通行止」を表示している青看に怯まず左折すると、“ヘキサ”に先んじて、直ちに2枚の立て看板がお出迎え。

この先
 落石のため
  通行できません

   松本建設事務所

この先 通行止
梓川方面は国道一五八号

迂回をお願いいたします。
   松本建設事務所

やや色褪せ始めている立て看板の存在や、青看の修正という面倒な仕事が行われていることから、この先の通行止は一朝一夕に解消されるものではないことが察せられた。
下手したら…、このまま永劫に廃道化するのかも……。(将来の見通しはレポートの最後に)



しかし、とりあえずまだゲートなどで塞がれてはいないので、そのまま県道278号線に入っていくと、辛うじて2車線幅を確保された川べりの道が延びている。
正面には大明神山がどっしりと構えていて、道は間もなく、この大明神山の懐が梓川に浸食されて出来た峡谷に入っていくことになる。
地図を見る限り、県道278号線で険しいと思えるのはこの峡谷の区間だけなので、「落石のため通行止」というのも、この区間であろうと想像が出来た。

また、みんな大好きウィキペディアの本県道の解説ページを読むと、「旧安曇村内において、2013年4月5日より崩落のため長期通行止めになっている区間がある。 」との一文を発見。
平成25年(2013)年4月5日から通行止ということなら、探索時点で5年半、執筆時点では8年半が経過しつつある。(執筆時点でも通行止は続いている)




15:53 《現在地》

県道へ入って約180mで、道は突如90度左に折れて、そのまま丘の上へ登っていく。
この急変を前に、旧安曇村が独自に用意したらしき“極小の青看”が、標識柱に取り付けられた状態で現れる。
青看曰く、入口にあった大きな青看で県道278号の(消された)行き先とされた「梓川」方面は、この先を右折するとのことだ。
また地理院地図を見ても、この先に分岐があることになっていて、県道は右折である。

極小青看が示す先には――。




封鎖された道が!!

当サイト的には見慣れた光景とはいえ、落ち着いた晩秋の信州路に突如現れた道路封鎖の物々しさが、異様である。

なお、平成以前からこの地方を訪れていた方ならばご存知かも知れないが、実は県道の入口からここまでの180mほどは、かつての国道158号(=旧国道)である。
したがって、当時はここが県道278号線の起点であった。




写真は、上記の分岐地点から、旧国道の進行方向を撮影した。
旧国道は、大野田集落の中を通過していく。
そしてこの集落の入口に、今では珍しくなった「安全門」が残っている。

安全門とは、主に安全に関する標語を掲げるために使われていた道路上の構造物だが、現代では道路を跨ぐ鳥居などとともに、新規の設置はかなり難しいと思う。
そしてここにあるのは、私が日本一好きな安全門である。
掲げられている「難路注意」が、格好よすぎるのである。
この先、北アルプス横断に挑む長い長い険路を予感させる「難路注意」は、旧道の有様(レポート)を知っているからこそ、より一層の真実味をもって迫ってくる。

我らが県道は、かつての酷道ぶりを窺わせる安全門を脇目に見つつ、問題の通行止区間へと突入する。



起点から僅か180m地点で現れた、封鎖地点。

動かす気のなさそうなガードレールのバリケードが道幅の大半を塞いでおり、
残された車1台分の幅に、動かせるA型バリケードが置かれていた。
松本建設事務所が設置した3枚の立て看板が、「落石による全面通行止」を告知している。
道路法が求める通行止表示の3要素は、「区間、期間、理由」だが、理由の明示しかなされていない。

復旧させる気があるのか、ますます怪しい雰囲気だ。



バリケードの脇が甘いので、自転車に乗車したまま進入した。
ウィキの情報によれば、この時点で通行止から5年目ということで、落葉が路上に溜まっているくらいで、まだ荒れているという印象は受けない。
この先に、通行止の原因となった落石現場が、おそらく復旧されないまま放置されていると思う。どうなっているのか、気になる。

封鎖前にこの道を利用したことがある方は、案外多いと思う。
行楽シーズンを中心に国道の松本方面はしばしば渋滞していたので、これを回避するために選びうるルートの一つが、この県道であった。




入ってすぐに振り返ったのが、この写真だ。
標識柱に「H10安曇村」のステッカーを貼られたミニ青看が、県道の順路を示していた。




道幅はギリギリ2車線をキープしているが、歩道はなく、昔からある道路っぽい。
左の石垣の上には、大野田地区の宅地や耕地が広がっている。対して右側は梓川の谷に落ちている。

実はこの道、封鎖前年の平成24(2012)年6月に撮影されたグーグルストリートビュー(リンク)が残っていて、これから踏み込む封鎖区間の全線を見ることが出来る。これは現状との比較をつぶさに知ることが出来て興味深いものがある。




15:55 《現在地》

バリケードから約150m、大野田集落の外れまで来ると、道は右へカーブしていく。

カーブの先に、もう人家はない。代わりに、最終警告のように立ちはだかる第二のバリケードが。
この先には、梓川の渓谷が用意した解放前の最後の難所が、待ち受けている。

“ヘキサ”の標識柱に、まるで罪人のように縛り付けられた立て看板には、
すっかり文字が薄れているが、「落石注意」の赤い文字が微かに見えた。
そんな落石が現実に道を襲って、長い通行止の時間をもたらすことになってしまった。




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