国道252号が越える六十里越は、福島県只見町と新潟県魚沼市を隔てる海抜873mの峠で、国道はその120m下を全長789mの六十里越隧道で通過している。
南会津地方と新潟県を連絡する数少ない産業道路だが、全国有数の豪雪地を通る険しい山岳区間のため、例年11月下旬から4月末まで年の半分近くは閉鎖の不便を甘受する。しかし全国有数の大人造湖である田子倉ダムの青い湖面を眼下に見ながら、雪崩地形のアバランチシュートが連なる独特の山岳風景を走るワインディングは情景に満ちたもので、「六十里越雪割り街道」の愛称を有する観光道路として人気がある。
六十里越の現在の国道は、福島県と新潟県による10年あまりの難工事を征して昭和48(1973)年に全通した。
上の地図はこのうち福島県側の道のりを描いた最新の地理院地図で、右端の田子倉ダム下から、左端の県境六十里越隧道まで、おおよそ13kmの長いワインディングである。
途中に多数の橋やトンネルがあるが、このうち隣接する「あいよし橋」と「出逢橋」は開通当初なかったもので、共に国道の局部改良として平成15(2003)年に開通した新しい橋だ。
だが、2020年代になって相次いで冬季閉鎖期間中に雪崩による流失するという憂き目に遭い、これを執筆している令和7(2025)年現在はどちらの橋も存在していない(地図はまだそれを反映できていない)。2本の橋の代わりとなるバイパス橋が現在建設中である。
……これらの真新しい“廃道”の存在は、現代の土木技術によって建設された新しい橋でさえ容易く流失してしまうほどの暴力的な豪雪を物語るエピソードである。
観測上においても、年や場所によって7mもの積雪深を記録するというから、それが雪崩となって落下する際の破壊力は人智を超えたものとなり、この道路が未だ冬季閉鎖の呪縛を免れない最大の原因となっている。
そんな六十里越の国道について、2025年秋、当サイト掲示板に次のような書き込みが行われた。
いつもお世話になっております。石川県民です。 国道252号を何回か通っているのですが…白沢トンネルの田子倉ダム側坑口の左横に、旧白沢トンネルの坑門らしきものが見えます。 https://maps.app.goo.gl/hrUxvQA8UCZFFhB3A この坑門の後ろ(隧道側)は見当たらず、坑門だけが残っているような感じです。 https://maps.app.goo.gl/95pX2zbuVNmc3LHL6 グーグルマップを見ると旧道とロックシェッドがあるようです。 出逢橋とあいよし橋が雪崩で流出した件は有名なのですが、旧白沢トンネルについては情報が少なく、
ご存じ方がいらっしゃいましたら、ご教示頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
……それではご要望に応えて、教示させていただきましょう。
私も、以前通行した際に「旧白沢トンネル」の存在に気付いた一人として、2021年5月に状況を探索していたのである。
@ 地理院地図(現在) | ![]() |
---|---|
A 昭和60(1985)年 | |
B 昭和46(1971)年 | |
C 昭和42(1967)年 |
「石川県民氏」の言う通り、国道252号の白沢トンネルには旧トンネルがあった。そのことは彼も指摘する現地の遺構や右図のような歴代地形図の変化から読み取ることができる。
@は最新の地理院地図で、「白沢トンネル」が描かれている。
Aも同じ位置にトンネルがある。(前後のスノーシェッドが少なかったり、只見線の田子倉駅が健在だったり、多少違いがある)
Bは昭和46(1971)年版だが、白沢トンネルの位置が異なる。これが「旧白沢トンネル」である。
他にも全体的に国道が狭く、スノーシェッドも皆無に近いといった違いもある。
Cは昭和42(1967)年版で、国道が開通する前の風景である。当時はちょうど「旧白沢トンネル」の東口辺りが道路の終点だったようだ。
また、国道より2年早い昭和46(1971)年に開通した只見線もまだない。
旧トンネルの諸元は、お馴染みの『道路トンネル大鑑』所収の昭和42年3月31日現在における道路トンネルリストに、次のように掲載されている。
路線名 | トンネル名 | 竣功年 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面 |
国道252号 | 白 沢 | 昭和42(1967)年 | 298.8m | 5.5m | 4.5m | 覆工あり | 鋪装あり |
このように、昭和42(1967)年に開通した全長約300mのトンネルであったことが分かる。
しかしこれが、昭和63(1988)年に福島県が発行した『福島県のトンネル1988』のリストでは、次のような諸元に変わる。
路線名 | トンネル名 | 竣功年 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面 |
国道252号 | 白 沢 | 昭和57(1982)年 | 375m | 8.8m | 4.7m | 覆工あり | 鋪装あり |
こちらは現在も使われている白沢トンネルのものである。
つまり、初代白沢トンネルは昭和42(1967)年に開通するも、15年後の昭和57年には現在の2代目トンネルに道を譲ったことが分かる。
先ほど例示した「あいよし橋」や「出逢橋」と同様に、非常な短命で終わってしまった構造物であったといえる。
いったいどのような事情があったのか。
そして、その現状は。
本ミニレポートにて解き明かしていこう。
2021/5/14 10:56 《現在地》
旧田子倉駅跡近くに車を停めた私は、いつものように自転車に乗り換えて、そこから約1.5km県境寄りの白沢トンネルを目指した。
そして写真は、もう間もなく辿り着くという場面で、白沢トンネル西口まであと200mの地点である。
上っていく道の先に立ちはだかる鉄塔がある尾根が、トンネルが潜る松渕山(海抜690m、満水位+約200m)の尾根だ。
チェンジ後の画像は、進行方向を望遠レンズで覗いたものだ。
古びたコンクリートの擁壁が見えている。
実はこれが、旧白沢トンネルの遺構である。
明るい時間に走行するすべての西向きのドライバーが、この遺構を目にしているはずである。
旧トンネルとは思わない人も少なからずいると思うが。
はいはい。
近づくと、ますます坑門ですねぇ。
よく見ると、黒い御影石の扁額も付いたままです。
ただ、旧トンネルとしては、その立地に少し違和感がある。
現道にある現トンネルよりも、少しだけだけど標高の低い場所にあるのだ。
これは峠越えの新旧トンネルの関係としては、通常と逆転している。
10:58
はい、新旧トンネル揃い踏み!
ちょっとだけ低い位置、かつ手前にある旧トンネルだが、全長は298.8mと、新トンネルの375mよりも短い。
この坑門の位置関係からは、新トンネルの方が短そうに見えるが、そうなっていない。
また、旧トンネルへ向かう分岐は特にない。現道の盛土されたカーブに上書きされている感じだ。
ここまで来ると、旧トンネルの坑口の状況がよく分かる。
扁額が取り付けられたコンクリートの坑門が、背後の地山からかなり突出するカタチで建っている。
一見奇妙だが、おそらくこれは坑門とスノーシェッドを兼ねた意図的な突出構造だったと思う。
また、坑口前に盛土がなされており、隧道は開口していないことも分かる。
なお、これは残雪期の風景で、遺構がとても目立っているが、夏場はもう少し見えづらくなっている。
2024年8月に撮影されたストリートビューがこちらである。
そういう地形なのだろうが、周囲と比べて坑口前は残雪の量がとても多い。ちょっとした雪渓のようである。
路肩に自転車を停め、徒歩でガードロープを越えて路外へ。旧坑口の観察へ向かう。
坑口前より振り返る、登ってきた国道の様子。
田子倉駅跡がある只見沢の向こう側にも、こちらと同じ様な規模とカタチの尾根が横たわっており、そこには全長236mの入間木(いるまぎ)隧道がある。あちらの竣功は昭和33(1958)年と記録されており、旧白沢トンネルより9年も古い。
一連の道路上にある各トンネルの竣功年を見ると、田子倉ダム側から6本目のトンネルである入間木隧道までは昭和30(1955)年から昭和33(1958)年に相次いで竣功しており、その先は旧白沢トンネルが昭和42年の開通と大きく遅れ、一方で県境の六十里越隧道が昭和41(1966)年の竣功であるから、実は旧白沢トンネルが六十里越で最後に開通したトンネルだった。その後、昭和48年に全通となる最後の開通区間は、六十里越トンネルから旧白沢トンネルまでの5km間だった。
その区間が如何に険しく、また工事資材の搬入が難しい奥地であったかが窺えよう。
11:01 《現在地》
そしてこれがそんな六十里越“最終開通区間”の玄関口となった、旧白沢トンネルの残された坑門(東口)だ。
年代が少し異なるため、入間木隧道など田子倉ダム側の6本のトンネルとは坑門のデザインが異なっている。
具体的には、アーチ環部分に石組みを模した模様がない、よりシンプルな意匠となっている。
また、扁額のデザインも違う(これは陰刻だが、他は陽刻、もしくは扁額なしである)。
さらに、扁額に刻まれているトンネル名が、他は「○○隧道」だが、これは「白沢トンネル」とより現代風である。
探索時点で完成から54年、新トンネルへの代替えから39年の月日が経過しており、廃止後はおそらくずっと地べたの近くに置かれていたとみられる扁額だが、さすがは耐久性や耐汚性に優れる黒御影石だ。現役さながらの光沢と美しさを保っていた。はっきり言って、勿体ない。
坑門はあるが、残念ながら開口はしていない。
遠目にもそう見えており、さらに実際に近寄って触れてみたが、覆すことは出来ず。
物理的に坑口前の盛土を退かせば、おそらく開口部の糸口は掴めるだろうが、この様子だと内部にも土砂が充填されていそう。
もちろん、風や冷気など、空洞との接続を感じさせる要素もなかった。
わざわざ埋め戻していることは、この旧トンネルの短命さと関係がありそうに思った。
特徴的な、坑門と地山の間の空間にも立ち入ってみた。
通常のトンネルだと、土に潜らなければ、この角度から坑門を“裏見”出来ないと思う。
かまぼこ形に膨らんだトンネルアーチ(坑道)の外壁が、残雪から僅かに露出していた。
大規模な雪崩が直撃して坑門が前に倒されたら、坑道が割れて洞内へ入れるようになるかもしれないが、そういうことを期待したら駄目だねごめんごめん怒らないで。
坑道が地山に突き刺さっていく部分には、構造上、僅かに隙間が残っていた。
“隧道ぬこ”なら入っていけそうだったが、この空間が“洞内”と繋がっている可能性は皆無だろうから、“隧道ひと”な私は入らない。
もちろん、空気の流れもない。
以上が、国道の車窓からも存在を確認できる、旧白沢トンネル東口の現状詳報である。
一方で、反対側の西口については、「石川県民」氏も書いておられたとおり国道からは見えないし、現状についての報告も少ない(ない?)ようだ。
私もまったく状況が分からないので楽しみにしてきた。 行ってみよう!
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