廃線レポート 定義森林軌道 その5
2004.11.16


 インクラインの跡を発見し、これを上り詰めると、作業小屋がそのままに放置されていた。
これより先は、便宜上、「上部軌道」と呼ぶことにする。

定義地区に端を発する定義森林軌道は、その起点から十里平までおおよそ6km。
我々一行が探索を開始したのは、この十里平からであり、距離にしてインクライン直下まで、さらに2kmほどを数えただろう。
この先に、どれほどの軌道跡が眠っているのか?

林鉄探索者達のバイブル『JTB刊 全国森林鉄道』巻末資料の「総延長11.3km」の表記より類推するに、あと3〜4kmほどが残されているのだろう。
さらに、視線や枝線の可能性もまだ、否定できない。
また、インクラインの存在をも暗喩した貴重な資料である航空写真には、この先も部分部分に鮮明な痕跡が、かなり奥まで写っている。

あと3kmは、堅い!

私は、そう確信していた。




上部軌道 その始まり
2004.11.3 9:18


 ここへ辿り着いてから、約15分を経過。
屋根がある場所で雨を避けて少し体を休め、軽くスナックをつまんだりしたが、急激に体温が低下しはじめた。
もうこの先、大きな沢を渡渉するような場面はないと考えられたが、各自小振りのリュック一つづつと言う軽装をチョイスしており(細田氏のリュックが大きかった)、代わりの乾いた装備品などを用意していない。
いくら保温性に優れているとは言え、晩秋の沢水や雨でずぶぬれのウェーダーに包まれた下半身は、休んでいれば爪の先まで震えてくる。
上半身も、濡れた木々を掻き分けてきたせいで、もう既に湿っぽい。
歩かねば、凍えてしまいそうだ。

現地標高は、海抜560m前後。
インクラインで、80m程度高度を稼いだ計算になる。

時間にも余裕はないし、我々は早々に、出発することにした。



 インクライン付近の概念図を作成した。

作業小屋の背後にはやや広い平坦地があり、山裾にそって作業小屋へは入らずにそのまま東へ行く軌道敷きがあったような、地形的痕跡が見られる。
この部分も帰りに立ち入ってみたが、振り返れば小屋が視界から消えない程度の距離で、斜面に完全に閉ざされ消えてしまった。
おそらくは、留置線や待避線の類であったと思われる。
残念ながらこの部分には明確な遺構は現存しない。

レポは、図の上方へ向けて再出発となる。



 作業小屋を後に、森の中へと歩き始める。

小屋や上部軌道があるのは、大倉川と矢尽沢とに挟まれた海抜700mピークを中心とする、急な山嶺の一画である。
地形図を見て頂けると鮮明なのだが、このピークの大倉川側斜面、海抜560m付近(河床は海抜500m前後)は、まるでそこに道路を通して下さいと言わんばかりの、不思議な緩急地が帯を成しており、軌道も暫しこの海抜付近を静かに進むように思われた。

実際に、私のその見立ては誤っていなかったのだが、現れる景色は想像を超える驚きを、私たちにもたらしたのである。





 100メートルほど進むと、早速軌道の痕跡が現れた。
地形図上は些か緩やかに見えた地形も、周辺に比べればという程度のものだったのか、川に向かって落ち込んでいく急斜面に、石垣の上部をコンクリで均した路肩の縁だけが、崩落を免れて緩やかなカーブを断続的に斜面に覗かせている。
まだ歩くのは容易いが、余り歩く者はないようで、踏み跡もそれほど鮮明ではない。

気がついたのは、上部軌道の石垣には、コンクリが一部用いられている点だ。
定義林鉄は昭和13年開通とあるが、この年に全通したのではなく、インクライン上部と下部とでは、開通時期に大きな隔たりがあるのかも知れない。
この先も、コンクリを用いた遺構が多数出現する。
(最も、大倉川橋梁の橋脚はコンクリート製であるが)


  錦秋の軌道
2004.11.3 9:20


 我々は、眼前に出現した光景に、またも息を呑んだ。

それは、ありがちな驚きではない。
軌道敷きの探索をしていたのだが、軌道とは関係のない驚きだ。

これは、写真では伝えきれないものだ。
少なくとも、私などの腕ではとても。

我々は、軌道敷きもろとも、暁色のとばりの下に踏み込んだ。

それは、簡潔に表現すれば、紅葉。

されど、この緑と、赤と、黄と…、
幹の重々しい黒と、鈍色の空と、空気の微かに霞みたる白と、

言葉を失う。
ただ今は、軌道がかつて通っていた、その自然の見せる大きな大きな景色に、黙って身を沈めた。




 やはり地形図は、現地の地形を極めて良く反映していた。
それが描く通り、軌道のある海抜付近は、帯状の平坦部が続いており、軌道はゆったりとした森林にあった。
軌道の通り道の上部の一部は、僅かに伐採から杉の植栽という林業の痕跡が見て取れたが、むしろ最大の伐採好適地と思われる、軌道のやや下部に幅広く点在する、写真のような緩急斜面のブナ林は、全くの手つかずのように見える。
大倉川の深い峡谷は、さらにこの斜面の奥に急激に落ち込んでいるはずだが、森は深く、もはや音は聞こえず見ることも叶わない。
インクラインを境に、軌道は別の世界へ踏み込んでいた。

 錦秋の森へ。




 ここは、どこだ!

余りの美しい道行きに、昇天してしまったのではないかと。

冗談抜きで、ここは一人で来たら… 

 大 天 魔 
だったかも知れないな。

大天魔というのは、深山に人知れずある、別世界のような幽玄境地。
そこへ足を踏み入れると、大概の人は居心地が良くて長居してしまうが、そうすると命を失ってしまうという。
昔から東北地方の山村に伝わる、おとぎ話。

無神論者の私だが、この話の説得力の無さが、むしろ面白いと思う。
実際に、説明不可能なほど快適な森って、稀にある。

ここも…。
これで寒くなかったら、最高だった。


 足元には、穏やかな森の軌道敷きを分断する、小さな小川が、その流れの少なさのわりに深い谷を開けていた。
写真は、その小さな谷を挟んで対岸を見通したもの。
この谷には、かつて木橋が存在した痕跡がある。
上部軌道としては一つめの橋なので、仮に「一号橋梁」と名付ける。

橋は落ち、面白みはないのだが、そんなことよりも、我々はこの夢のような軌道敷きが、どんな景色を展開していくのか、その先が、とにかく楽しみであった。
落ちた橋は、もはや障害でしかない。
そう言えば乱暴だが、さっさと谷を渡って先へ進むこととした。

それにしても、綺麗だ。
別の季節の森も、どんなにか素敵だろうか。
新春の薫るような美しさは言うまでもなかろうが、敢えて私は、無音の冬景色を見たいと思った。


 森よ…。




 一号橋梁の痕跡。

沢は雨天にもかかわらず殆ど水はなく、浅い。
幅2m、谷の深さは軌道敷きから3mほど。
橋台は存在せず、岸に近い位置に2基の木製橋脚の痕跡がある。
森に抱かれた小橋梁だけに、現存しやすい立地に見えたが、橋脚は完全に朽ちて傾いており、梁材は現存しなかった。

沢を越えて、先へゆく。





 次第に狭まる等高線 
2004.11.3 9:33


 一号橋梁を渡ったその袂に一際大きくそそり立っていた、ブナの巨樹。
その力強くも嫋やかなる主幹には、枝先から集めた水を、上手く己の根元に集水する機能もあるのだという。

なるほど、確かにブナの樹型は天に向かって鋭角的に枝を分かれさせており、漏斗の様な形になっている。
そして、今目の前では、その幹を小さな小さな滝となって簾落ちる水の膜が観察される。

くじ氏の披露した、ブナの知恵。

やるな、こやつ。
ますますブナが好きになったよ。



 どこまでも続くかに見えた、“母”を感じさせる森。

しかし、地形は一様などではあり得ない。

進むにつれて、知らず知らずに大倉川は次第に迫り、森を穿つ一大峡谷が、軌道敷きの進路を断たんとするかのように、その危険な支谷を延ばしはじめていたのである。
穏やかなる一号橋梁の小沢は、そのほんの先兵であった。

依然大倉川谷底との高度差は変わらず、80mにも達している。

一号橋梁から歩いて3分、
インクラインからは1.2kmほど進んだ地点で、我々の「観光旅行」は終わった。








 午前9時38分、
2 号 橋 梁 」 跡、 出現。

現存すれば、これはかなり大きな木製橋梁だったに違いない。
おそらくは、矢尽沢橋梁にも匹敵したであろう。

現状は、渡るべき支谷の右岸(すなわち、写真の対岸だ)が著しく決壊し、おそらくはそこに立っていただろうコンクリート橋脚が倒壊。
合わせて橋全体が、崩壊し消失している。
かなり豪快に破壊されているのが、その目茶苦茶に散乱した材木や、巨大なコンクリートの橋脚が谷底でひしゃげ苔生して斃れている姿からも分かるだろう。

またも我々は、ここで足を止めた。
止めざるを得なかったと言った方が正解だ。
この谷をどのように越えるか。
無論、上流の迂回という線もあるが、いずれにしてもこの支谷は深く切れ込み、踏跡が僅かに残る正面突破の方が無難と考えた。

我々は一人ずつこの谷間に降下し、谷底の橋脚の残骸がたまたま沢水を暗渠に通しているのを利用し、濡れずに対岸へ達した。
問題はむしろ、対岸の活崩壊面の上りだったが、ここも慎重に上り詰め、木造の小さな橋脚跡の残る対岸にたどりついた。



 谷底の苔生した倒壊橋脚は、確かにコンクリート製であった。
その上に立って、支谷の下流を見下ろす。

橋から僅か3m先は、一挙に大倉沢のV字(もしくはU字)峡に落ち込む瀑布であり、流れは加速度的に速まって視界から消えている。
水量こそ少ないが、滝頭は目前であり、かなり恐い。
なにしろ、足場のコンクリは滑っているし、谷側に大きく傾斜しているのである。

また、擂鉢状に崩壊している支谷対岸の崩壊地も、やはり恐怖の対象であった。



 遭遇から3分後、無事に全員が対岸の軌道敷きに立った。

振り返って、下流側の橋台を見る。
かなり大規模な施工が成されていることが分かる。

一号橋梁とは対照的に、一挙に危険度の増した2号橋梁であった。


だが、刺客はまだこれだけではなかった。




 2号橋梁付近にて、遂に大倉川の穿つ大峡谷の露頭に顕わとなってしまった軌道敷き。
今久々に、大倉川の流れを谷間に見る。
インクラインの前に見た時には、あんなに間近であったのに。

それを挟んで対岸には、意外なことに、緑色の目立つ杉の植林地と思われる帯が、等高線に沿うようにして描かれていた。
これはもうしばらく続くのであるが、私の知る限り対岸には今も昔も林道はなく、近づく術は徒歩以外に思い当たらない。
特に、植林には事前に伐採があったはずで、すでに生長している杉林を遠望する限り、林鉄と同時代の林業施工ではないかと思われるのだ。

林鉄のある側の左岸には伐採地が少なく、それがない右岸には帯状の伐採地…。

以下は私の推測を多分に含むが、
空中索道を利用した集材により、林鉄を利用した効率的な伐採が可能だったのかも知れない。
保線上、林鉄付近の林相を変更することは得策でないと考えたのだとしたら、当時としては先進的かも。



 続々放たれる 刺客 
2004.11.3 9:45


 またもあっけなく、軌道敷きは消失した橋に断たれた。
2号橋梁からほんの100mほどで、3号橋梁と呼ぶに相応しい、さらに規模の大きな橋梁跡が出現した。

今回も、支沢の流れは少ないが、先ほど同様、両岸は切り立っており、昇降には危険が伴う。
また、精神的な圧迫感となっているのが…。



 橋を迂回するように付けられた微かな踏み跡が、あんまりにもギリギリの場所を通っていることだ。
足を踏み外せば、支沢に落ちるのではなく、50m以上谷底の本流に直行の可能性もある。

進むほどに、地形は軌道を許さない険阻なものに変化していくのを、感じた。




 慎重かつ速やかに、やはり3分の後にこの橋を乗り越えた。

3号橋梁は、コンクリートの橋脚基礎も、その上に載っている木製橋脚も一応の形を保っているものの、橋台がはっきりしない。
谷底へ滑り落ちてしまったのか、もともと素の地面に橋が接していたのか分からないが、橋桁部分の梁材などは、全くと言っていいほど残っていなかった。
支谷に一度落ちたとしても、その後本流まで押し出されているのか。
或いは、人為的に撤収された名残なのか?


二つの巨大落橋を超えると……






 引き続き、のっぴきならない状況下を軌道は往く。

大倉川の懸崖と軌道との陣取り競争は、もうギリギリの攻防となっており、不用意に踏み込むものには命の保障は出来ないムード。
無論、一番危険なのは、カメラ片手に浮かれている我々探険隊だ。

斜度45度を越える斜面が、軌道の路肩から一直線に50m下の谷底へ通じている。
我々が歩けるスペースは、その路肩の石垣のコンクリ製の縁。
縁すら崩土に埋まっている場所も多く、適当にそこいらの木々に体重を預けながら、アスレチカルな進行となる。

確実に前進はしており、おそらくは大倉川と笹木沢とが合流する地点も遠くない。
この合流地点で、本流である大倉川は再び流れの向きを東よりに変えるのだが、航空写真で追うことが出来る軌道跡は、そこまででだったのだ。
図上で試算された距離的にも、その合流点あたりは、いよいよ軌道の終点に近いのではないかと類推される。

あと、500メートルか、あるいは1キロか。
もう少しだ… …おそらくは。



 地形図上でも、この支沢は存在が予想できていた。

今までよりも、ひときわ山側に深く切れ込んだ急谷が、本流から軌道の高さまであっという間にせり上がってきて、行く手を阻む。
ここは堪らず、軌道もすぐに橋で越えようとしないで、山側に一時進路を変える。
そして、少し沢と一緒に山側へ切れ込み、沢が痩せてきたのを見計らい、一気に対岸へと渡る。

そんな姿が、私の脳内にはイメージできる。
その通りに軌道敷きの痕跡もある。
ただし、

 橋はほとんど完全に消失しており、橋脚橋台ともに現存せず。

残っているのは、数本の材木のみ。
往時の姿は、想像しがたいほど、失われている。
山中進むほどに橋や軌道が欠損しているのは、ある程度予想通りだが、これほど進んでいるとは、想像以上の部分もある。

写真は、4号橋梁跡地。





 相次ぐ橋梁の倒壊遭遇。
ますます厳しくなる地形。
不鮮明さを増すばかりの軌道跡。


新発見を求む我が心は、

ある一枚の鉄板を、

地に落ち、伏したる、ただ一枚の四角い鉄板を、

ひっくり返した


     そのとき   


大変なことに!!!!








大変なことに!!



おー



 林鉄やってたはずなのに、なぜか以上に興奮する道路遺物が…。
 なんなんなんだ、ここは…?!




その6へ

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