松野隧道 磐越西線旧線

公開日 2006.07.20
周辺地図

 蔵の街喜多方の片隅に、いまから80年近くも昔に廃止された、一つの鉄道隧道がある。
一般の書籍などでは、おそらくこれまで取り上げられたことはなく、決して派手な存在ではない。

 大正7年6月12日をもって通行できなくなったその隧道……松野隧道の廃止理由は、隧道自体の変状にあったという。
それは、決して穏やかな最期ではなかったのだ。
いまや誰も語らなくなって久しいが、おそらくそこにはかつて、慌ただしく測量する鉄道夫達の姿や、それを脇目に恐る恐る通過する蒸気機関車、近在の里々から多くの野次馬も集まったに違いないし、地域の新聞社もここを取材したかも知れない。
かつてこの場所で、……まだ真新しかった一本の隧道が廃止された。

 その、痕跡を探しに、私は初めて会津の山へと潜った。




忘却の彼方へ

幻の松野隧道を求め

 四方を山に取り囲まれ、さながら一つの国のような会津地方。
実際に近世までは一つの行政区としてこの地方は存在していたが、その北端に位置するのが、蔵やラーメンの街として知られる喜多方である。
猪苗代湖や磐梯山といった風光明媚な観光地に取り囲まれ、空が透き通ったこの街に鉄道が通ったのは、明治37年のことである。
郡山から若松へ、そしてやがては新潟を目指すべく建設が進められていた岩越線が、若松〜喜多方間を開通させたのである。
さらにその3年後の明治43年、喜多方から山都(やまと)までが開通し、そこに松野隧道と慶徳隧道という、2つの隧道が供用せられたのである。



 喜多方市の西の山際に位置する松野地区の、さらに山沿いを蛇行しながら通過する磐越西線のそばへ近付く道は、ありそうで余り無い。
山都までの丘陵山地を越える峠区間にはこれと言った並走路が無く、松野隧道へ近付くための道も自ずから一本の農道に絞られる。
少し苦労したが、その入口を見つけてしばし田んぼの中を走ると、大きな築堤に穿たれた立派な暗渠に遭遇。
松野隧道へ向かう道は直進だが、ちょっと寄り道。



 明治43年竣功という、東北地方でもかなり古い歴史を有する暗渠の一つだ。
それも、当時のままの姿で使われているようだ。


 制限高2.7mという煉瓦製の暗渠。
側壁を縁取るような立派な角石の存在感が、独特の威厳をもたらしている。
内部は狭く車一台ギリギリの幅しかないが、それもある意味当然で、これを作った当時はまだ自動車など無かった。
 暗渠の反対側は、築堤と山に取り囲まれた広場になっており、その奥には赤い鳥居が見えていた。
どうやら暗渠の正体は、参拝のために作られた通路だったようだ。
 内壁には、ネコのしっぽほどもある巨大な青毛虫が一匹、身じろぎもせず張り付いていた。



 青々とした夏草が路傍から覆い被さる砂利道を少し進むと、まるで線路に呼ばれでもしたかのように自然と築堤の上に出た。
写真は登り切った地点から振り返って撮影。
時刻的にもう夕暮れで、西日をいっぱいに受けた喜多方平野が明るくて、写真ではぜんぶ白飛びしてしまった。



 そして道はおもむろに線路を跨ぎ、反対側へ続いている。
踏切には名前が付いており、慶徳踏切という。 車一台やっとの幅しかない踏み切りに、車を操る私は少しだけ緊張させられた。
 警報機は付いているが遮断機はない。代わりに、すぐ傍に列車の通過時間を記した立て札が取り付けられていた。
だいたい一時間に2本くらいの列車が通過するようだ。



 この旧線跡は、大正7年という大変古い時期に廃止されているので、おそらく5万分の一地形図でもごく初期の版にしか記載がないだろう。
今回は事前調査が不足しており、当時どのように線路が敷かれていたのか明確な資料が手元にないのだが、現地を見た限りでは、この広場のあたりで右側に旧線が別れていたと想像される。(この広場にはコンクリートの建物の基礎のような跡があった。保線小屋だろうか)
今回私に与えられた事前情報と言えば、おなじみ『鉄道廃線跡を歩く([)』巻末の線路付け替えの一覧表にある、「松野隧道の変状のために0.9kmを付け替えた」旨の記載のみであった。
後は現地で探そうという気持だったのだ。  



 車道はここで線路から右に分かれ、浅い掘り割りを通って山側に入る。
おそらくは、このルートが旧線である。
ただ、ちょっとばかりカーブが急なので、もう少し穏やかに現在線と別れていたと思われるが。
いずれ、この周辺で線路を通せそうな場所と言えばここの掘り割りしか見当たらない。



廃止後78年目の遭遇   

 これは間違いないだろう!

 おもわずそう独りごちた。
真っ直ぐ伸びる浅い掘り割りは、まさしく見慣れた廃線跡の姿。
さらに、目の前にはもはや迂回できないほどに差し迫って小高い山がある。
隧道の居場所も、ほぼ特定されたか?!
車の置き場所を探しながら、ノロノロと接近していく。
ちなみにこの砂利道は行き止まりのようで、探索中も誰とも出会わなかった。



 キタキタキタ…
  キタキタキタキタ…
   キタキタキタキタキタ…



 日影が好きそうな草たちに取り囲まれ、隧道はいかにも就寝中といったご様子。
ここがかつて苛烈な変状によって、完成後僅か8年という早さで廃止された非業な隧道であるという雰囲気では、ない。
冒頭でも述べたが、この場所で繰り広げられた右に左にの大騒ぎなど、あまりに昔のことで、その“空気”などというものが残っていないのも、当然のことか。

 隧道は薮の向こうにいて、「全ては終わっていますよ」とでも言いたげに、静かに口をあけていたのである。



泥の海へ

 図の正確さは保証できないが、だいたい赤いラインが廃止された旧線で、これまでに辿った部分である。松野隧道を出ると再びこの車道と出会い、沢を跨いですぐに慶徳隧道に続いていたはずだ。



 付近に車を置き、長靴着用、ライトなどを装備し、いざ松野隧道への接近を開始する。
この隧道について私が事前に得ていた情報はきわめて限られており、「変状のために破棄」されたということは知っていても、実際にその変状がどの程度まで進んで破棄されたのか、破棄された隧道がどのように処理されたのかなどは、全く知らなかった。
地形図から想像する限り、この隧道は精々250mほどの長さで、それほどの難工事を予想させるような立地でもない。
隧道が変状して破棄された例としては、どうしてもあの有名な奥羽本線赤岩駅近くの第7号隧道と比較してしまう。
あちらは明治32年に竣功するも、結局12年で廃止されている。その理由は、集中豪雨で隧道のある山自体が谷に落ち、隧道内部に変状を来したためだった。ただ、立地的に、あの赤岩はさもありなんと思わせる険しさだが、こちらはそういう意味ではとても地味な立地と思われる。



 道路からは腰丈ほどの笹藪が隧道を隔たせている。
踏み跡のようなものはなく、これまで文字通り日影の存在であり続けたことを感じさせる。
しかし、その姿は荘厳ささえ感じさせる立派なもので、明治期の隧道としての装飾的要素は一通り備えている。
東向きだが谷間にあるために余り光が届かないようで、その保存状態は悪くない。
まるで車道の隧道のように横長に見えるが、これは単に下の1mほどがコンクリート製の壁で覆い隠されているためだ。
元々は普通の単線断面の隧道だったに違いない。



 覆い被さるように森が見下ろしてくる。
本当に、森に抱かれたという表現がぴったりの坑口だ。
近付くと、ひんやりとした空気が満ちているの分かる。

 この隧道に使われている黒っぽい煉瓦だが、これは喜多方市でかつて盛んに生産された三津谷の煉瓦だ。
磐越西線には多くの煉瓦構造物が現在も残るが、それらの多くがこの喜多方で生産されているのだ。
高い品質に定評があったという。



 控えめに外界と隧道を隔つ苔生した壁の上に立って、いざ隧道を覗く。
誰しもそう思うと思うが、この真っ暗の煉瓦隧道には、なかなか一人で入りたいとは思えない。
既に夕暮れ、辺りにはヒグラシの音色が満ち、ここに隧道など無くても十分に寂しい情景である。
その上、78年もの間だ、殆ど誰にも顧みられなかっただろう隧道が口をあけている。
入ってくれと言われなくても入る気満々でいたものの、この深い闇の濃さには、コンクリート隧道にはない威圧感がある。
ネタでなく、普通に怖い。



 だが、時間は待ってくれないので、意を決して入洞。
コンクリの壁から泥っぽい洞床に下りると、そこは想像以上に深い泥沼の様相で、一気に膝まで潜り込んだ。
幸いぎりぎり長靴内部を浸食されはしなかったが、危なかった。下手したら身動きが取れなくなるほどに深い。
ジュッポジュッポと不愉快な音を上げながら、速やかに奥へと進んだ。
立ち止まると動けなくなりそう。
 



 水の出口を完全に塞がれているだけあって、洞内にはヘドロと化したチョコレートのような泥が充ち満ちていた。
これではいままで人が入ろうとしなかったのも頷ける。
見える範囲に崩壊などはないが、黒ずんだ煉瓦は精彩を欠き、どことなく霞んでいる。
それは単純に古いというのではなく、活躍できなかった無念さのようなものが沁みだしている色だった。



 滝だ……。

 かなりの水が落ちている音が、奥の方から絶え間なく聞こえていた。
変状により廃止されたという隧道だけに、異常な出水が続いているのであろうか。
出水があるとしたら、その水が何所へ逃がされているのか不思議に思えたが、ともかく滝としか思えないハッキリとした水音が聞こえる。
もし貫通しているとしたら、この長さなら出口が見えていてもいいはずで、闇が隧道の結末を予告していた。



 私は、この直後、松野隧道に起きた「真実」を目撃する!!!