発見された隧道への突入を敢行する!
とはいえ、このコンクリートの坑口は、すんなり入れる穴ではない。
本来の断面サイズを10とすれば、9.5は土の中という有様である。
土砂崩れで自然とこうなったのか、故意に埋め戻されたのかは分からないが、とにかく人は外聞もなく地面へ体を擦りつける儀式をしなければ、中に入ることは出来ない。
まあ私だって少しは打算というものがあるから、身体を捻じ込む前に頭だけ突っ込んで中を見た。
すると反対側の出口が見えたので、突入することと相成った。
もちろん、自転車は外でお留守番だ。まさか相棒も車を降ろされて20mも走らぬうちに置き去りとは思わなかっただろう。
チェンジ後の画像は、腰から外したウェストバッグ一式を先行して入洞させている場面。開口部の容赦ない狭さが見て取れると思う。しかも坑口を埋める土砂は硬く締まっていて、徒手空拳ではろくに拡幅もまかり成らなかった。そんなわけで、背中から降ろしたザックも自転車と一緒に留守番となった。
土埃と乾いた土の匂いを纏いながら、開口部より洞内へ。
そしてそのまま土砂の急斜面をずり落ちるように洞床へ。
洞床には、浅く水が溜まっていた。
(→)
なんだこの断面?!?!
これには驚いた。
この隧道、とても珍しい断面をしている!
断面全体の高さに占める側壁の割合が異常に大きく、その分だけ天井部のアーチが極端に扁平である。
いわゆる欠円アーチ断面の隧道なのだが、一般的に欠円アーチ(例:小牧峠隧道)の隧道は、高さに対し道路幅が広く取られているものが多い。欠円アーチのメリットは、幅を広く取りやすいことにあるのだから当然だ。
だがこの隧道では幅よりも高さが大きく、その点では林鉄らしい断面だが、そこに欠円アーチが組み合わされて、なんとも見慣れない不思議な空間を作り出していた。
天井はいかにも昭和時代のアーチらしく場所打さのコンクリートだが、側壁はこの林鉄の法面でよく見かけるのと同じ谷積石垣だ。
この、隧道の側壁が谷積であることも非常に珍しい。
一般的に側壁を石積みで仕上げる場合、煉瓦と同じような積み方である布積が行われることがほとんどである。というのも、谷積は布積と比べると垂直に積み上げることがやや不得意なので、垂直である側壁にはあまり向かないのだろう。
わざわざ、普通の隧道より遙かに側壁が高いこの隧道で、側壁を谷積の石垣とした理由ははっきりしないが、この路線の屋外の法面には多くの谷積石垣があるので、同じ感じで側壁まで仕上げたのだろうか。
あるいはもしかしたら…… ……いや、これについては隧道全体の観察を終えてから言及したい。
なんとも不思議な通行感覚のある隧道だ。
手で触れられる両側の谷積石壁と、手の届かない天蓋となって視界を遮る天井の小アーチ。
この見慣れぬ組み合わせによって、これまで幾千とくり返されてきた隧道体験が、新たな色を帯びていく。
新鮮。まさしくそれだった。活きの良さなど微塵も感じさせない石室のような空間が、
こんなにも新鮮な空間と感じられることは、大きな喜びだった。
非常に興味深い構造を持った個性溢れる隧道だが、如何せん短い。全長25mくらいか。
一度入ってしまえば、最初から見えている出口へ辿り着くまでは、どうやっても1分以上は使わないだろう。
しかも洞内は完全に直線で、内部の状況も最初から最後まで特に変化はない。
変化と言えば、洞床はほぼ全て水没しているが、水深は浅かった。
内壁は乾いており、洞床にある水の出所は両側の坑口から入り込んだ雨水だろう。溜まり水の逃げ場は全くないが、それでも水深が浅いのは両側とも開口部が狭いからだ。
(←)
アッというまでに出口へ近づき、歩き終えた洞内を振り返った。
返す返すも、隧道としては特筆すべき異様な断面。異様な構造物に見える。「○○みたいだ」という喩えさえ思いつかないぞ。
(→)
そして出口へ。
出口もご覧の通り相当に埋没している。
だが入口に比べれば、3倍は大きな開口部だ。
如雨露のように上方向へ空いているので、ここに穴があることを知らない人が遠目に脱出する人を見たら、地面に人が生えてきたみたいに見えると思うな。
天井に頭を当てないよう、身を屈めながら、地上へデュルデュルデュル。
ここはどこだ?
とりあえず、見覚えのある場所でない。
15:25 《現在地》
GPSの測位を待つまでもなく、すぐに現在地は判明した。
案の定、旧林道の道路脇に出ていた。
全長25mほどの隧道は入口から出口まで全体が地上にある旧林道と並行しており、ただ旧林道は少しだけカーブしているため、出口側の間隔は少しだけ空いている。でも直線距離なら5mも離れていない隣だな。
この写真の右に見える平らな部分が、旧林道だもの。
そしてこの通り、少しでも離れると隧道の出口は全く見えなかった。
ここに隧道があったことを知っていて地面を探せば見つけられるだろうが、そういう意識がなければ、わざわざこのちょっと窪んだ程度のぼんやりした場所を探したりしないから、この隧道がいままで発見されにくかったのは当然だ。入口も出口も揃って目立ってなさ過ぎだ。
これが隧道を出たあとの進行方向の眺め。
県道の大滝橋(平成11年竣工)を迂回するだけのミニ旧道区間、その一番奥まったところにいる。そして残りの下流側半分が見えている。
目の前の不必要に広い平坦地は、谷を埋め立ててある。
軌道だけがあった当時は、ここにも(以前の上流部探索で数え切れないほど見たような)石造橋台の木橋が在ったと思うが、埋め立てられたか全く痕跡はない。
さて、このまま先へ進むことは出来ない。
自転車とザックを隧道の入口に置き去りなのだ。旧林道を戻って回収するぞ。
逆方向から隧道出口がある辺りを見ているが、ここに分岐があって、さらにその奥に隧道が埋れていることに気付くのは難しいと思う。
それと分かって見れば確かにある、のだが、普通は分岐がありそうにない場所だ。まして隧道なんて、てんでさらさら無さそうな地形である。
奥に、第2駐車場に止めてきた愛車のフロントが見える。
まもなく、隧道の入口を見つけた地点に帰着する。
いま歩いているこの広い道が旧林道で、左の山土の中に、あの奇妙な谷積石垣の欠円アーチ隧道が埋もれている。
それこそ本当に、埋めて作った隧道なのかも知れないと思う。
そういう作り方をしたから、あの奇妙な構造なのではないか……という可能性がある。
いわゆる開削工法だ。地表から隧道を作る深さまで地面を掘り下げ、そこに側壁や天井となる構造物を作った後で、最後にそれらを埋め戻して完成させるのが開削工法。現代でも都市部などで広く行われているトンネルの工法である。
開削工法で作られるトンネルの特徴は、土被りが浅いことと、断面が四角形であることだ。
土被りが浅ければ強い地圧に抵抗する必要がないので、施工性とコストに有利な四角形の断面が選ばれる。
本隧道の位置は、土被りが浅いうえに柔い土山っぽいので、通常の山岳工法によって掘り進められたか疑問である。浅すぎて天井が落盤しそうに見える。
だから開削工法で隧道を作った。そして見慣れない断面の隧道が出来た。これはいかにも正しそうな理論であるが、しかしこんな古い時代に山地で開削工法の隧道を掘った前例は極めて少なく、ましてや林鉄の前例は聞いたことがない。
15:28 《現在地》
そもそも、これは入口を前にしたときにも書いたが、隣にこんな広い旧林道がある現状の地形からだと、もうこの場所に林鉄の隧道が必要だった理由自体が分からなくなってしまっているのだ。
普通に山岳工法で(少し変わった断面の)隧道を作ったが、後から林道を隣に開通させたことで、開削工法を疑いたくなるほど隧道の土被りが浅くなってしまっただけ、…なのかも知れない。
改めて、“きっかけの石垣”を見ると、なるほどこれは明らかに軌道跡のラインに沿ったものだと分かる。旧林道ではない。
谷積の石垣なのも、隧道内の壁とそっくりである。
形状的にとても不思議な感じがする隧道だったが、あれが工法に由来する形状だったのか、単なる施工者のオリジナリティに由来するものなのかは、解明出来ていない。
しかし、大発見に気を良くした私の探索は、ここからまだ続く。
もう盛り上がりのピークは過ぎちゃったけど、最後までお付き合い願います。